平成30年(2018)7月下旬、横須賀・安針塚から葉山の木古庭、上山口の棚田を経て御用邸の海岸、森戸神社へ。
この日は連日の猛暑から解放されたとはいえ日中は30度に達したため体力的に無理のないように水(氷を詰めた保冷ジャグ)と塩分(タブレット)を大量に用意、一時間おきに補給しながら歩く。
2.葉山・木古庭の不動滝
県立塚山公園から葉山へ。まずは木古庭の不動滝を訪れる。不動滝は不動明王信仰の対象となった、小振りな直瀑の滝。平安末期〜鎌倉初期の武将・畠山重忠にまつわる伝承がある。
県立塚山公園・按針塚(あんじんづか。横須賀市西逸見町)の裏手から大楠山(おおぐすやま)ハイキングコース(石畳道)を経て葉山の里山へ向かう。時刻は朝の10時過ぎ。
ここからは山道のハイキングコース。車止めに掲げられた「イノシシ出没注意」の注意書き。
山道は切通しになっている。
いかにも古道然とした、味わい深い道。
この古道の足元は凝灰岩を切り下げた(掘り下げた)ままの道。
送電線鉄塔作業路を分け、階段を下りていく。
よく整備された、山道のハイキングコース。
真夏とはいえ、午前中の木陰は幾らかしのぎやすい。
車道に出る。
本町山中(ほんちょう やまなか)有料道路の高架沿いに進んでいく。
※本町山中有料道路は令和四年(2022)3月で無料化された。
突き当りを右に進むと横浜横須賀道路・横須賀インターチェンジのループをくぐって畠山(はたけやま)への登山道。
やや気温が落ち着いたとはいえ暑い真夏の日、ここはなるべく体力を消耗しないよう車道を行く。
ハイキングコースの案内板。
横須賀インター前の信号。右へ道なりに下っていく。
トンネル手前で右折して旧道へ。
この旧道は葉山町木古庭(はやままち きこば)から六浦(むつうら)・金沢方面へ山中を抜けていく旧道。道端には庚申塔(こうしんとう)などの石造物がちらほら見られる。
木古庭には古東海道(古代の東海道)が通っていたと推定される。古東海道は藤沢から鎌倉を経て横須賀・走水(はしりみず)へと抜けていく官道。
下山川(しもやまがわ)を渡る畠山城址橋の手前にも庚申塔。「入里(いりのさと。木古庭地区の小名)おこしんさま」と呼ばれている。
畠山城址橋から畠山へ続く山並みを振り返り見る。
畠山は平安末期における頼朝の挙兵時、三浦氏の長老義明が畠山重忠の軍勢を衣笠城(横須賀市)で迎え撃った時に、武蔵から南下してきた重忠勢が陣城を構えた山との伝承が残る。
石橋山(小田原市)の合戦で大敗した頼朝への加勢が悪天候で間に合わなかった三浦勢は、三浦の本拠へ引き返す途中の小坪(逗子市)で畠山重忠勢とちょっとした行き違いから合戦となった。衣笠城の合戦はそれに続く合戦。
なお頼朝が伊豆にて挙兵した当時、古くから源氏に従っていた三浦氏に対し重忠は父重能(しげよし)が京で平家に奉公していたため平家方に付いていた。重忠は石橋山で大敗した頼朝が真鶴から安房に逃れたのち、頼朝の陣に参じて忠誠を誓うこととなる。
下山川沿いに進んでいく。下山川の河口はこのあと訪れる、葉山御用邸のある一色海岸。
左手に見えるお寺は葉山の古刹、本圓寺。
日蓮宗大明山本圓寺(だいみょうざん ほんえんじ)。
この寺は鎌倉時代の中期、日蓮が房州(現千葉県)にて日蓮宗を開いたのち海を渡って横須賀から鎌倉へと向かう途上、木古庭に滞在して道場を開いたのが起こり。後に弟子の日印が大明山本圓寺として開山した。
門前の石塔。文政三年(1820)と刻まれ、西浦賀の石工の名が見られる。
横浜横須賀道路をくぐる。
県道・不動橋交差点で横断歩道を渡る。
川沿いに旧道を直進。
不動滝への登り坂。
所々に見られる案内板。
畑を抜けていく。
路傍にポツンと、野萱草(ノカンゾウ)の花。
山道を抜ける。
途中には榧(カヤ)の古木の案内。
枝が大胆に払われているものの、かなり太い幹の木が立っている。
この太さであれば樹齢二百年か、それ以上あろうか。
不動滝に到着。
不動滝は信仰の滝。滝の手前には二基の石灯籠が配置されている。
不動滝とこの先に建つ不動堂は先に立ち寄った本圓寺の管理となっている。
本圓寺の公式サイトによると、不動滝には畠山重忠にまつわる伝承がある。それによると重忠が衣笠城の合戦のおり、守り本尊の不動明王像の加護によって戦に勝利。凱旋ののち像をこの滝谷山に勧請すると清水が湧き出て一条の滝となった。
落差5m余りの、すっとした端正な滝の姿。かつては滝行の人々が御題目を唱えながら滝に打たれる様子も見られた、という。
江戸時代後期の地誌「新編相模風土記稿」巻之百二十四三浦郡巻之八木古庭村における不動滝の項には「この滝は水田の灌漑に用いられていたが元禄の末に水涸れにより用水に乏しかったところ、宝永四年に本圓寺の日進が祈誓し水が復旧。此の事を扁額に記し堂前に掲げた」とある。
大山・良弁滝にしても横浜根岸・白滝不動の滝にしても、こうした姿の良い里の滝は古来より里人が放ってはおかない。
なお神奈川県東部における直瀑の小滝は根岸の白滝不動滝のほかに横浜下倉田(戸塚区)の紅葉滝などがある。紅葉滝もまた灌漑に用いられていた。白滝不動の滝は水源が市街地開発で細ってしまい、紅葉滝に至っては市街地開発により往時の姿そのものを失った。
こうして往時のままに水を落とす不動滝は、今となっては貴重な存在。
傍らには不動明王の石像。
先へと進むと不動堂が見える。
瀧谷山瀧不動堂(ろうこくざん たきふどうどう)。「木古庭不動尊」と通称される、日蓮宗本圓寺の境外仏堂。
不動堂の扁額。現在の扁額は明治三十六年(1903)奉献、とある。
この不動堂は先に不動滝で見たとおり、畠山重忠により戦勝御礼として勧請された。神仏習合の時代には木古庭の鎮守として里人の信仰を集めてきた。
不動堂の奥に建つ、神明社。
参道の鳥居越しに拝殿を見る。「町制施行90周年記念 葉山町の歴史とくらし」によると、明治41年(1908)に上山口の杉山神社に合祀されたが昭和43年(1968)に再びこの地に祭神が遷されたとある。
参道石段を下りて、上山口の棚田に向かう。車道の傍らには庚申塔。「大沢の庚申塔」と称し、延宝二年(1674)造立とかなり古い。
滑り止めの刻まれた急坂へ。
緩く下っていく。
坂を下ったあたりで、左手に見える建物(ホテルフェスタ)を目印に未舗装の細い道へ。
この道はちょっとわかりにくい。手前の車道あたりでたまたま居合わせたご近所の方に地図を見てもらいながら尋ねてみて、通行できることを確認。「棚田までは坂道を登っていくよ。暑いのに御苦労さんだね」などと会話を交わし、先へと進む。
未舗装路を進む。
狭い舗装路から車道に復帰。
登り坂へ。
上山口地区に入った。
竹林の傍らを進む。
緩い登りが続く。ジリジリと照り付ける日差しがとにかく暑い。
高台までやって来て、眼下に眺望が開けた。
沢が道路を横切り砂防指定地の看板が立つあたり。この辺りから里道を棚田沿いに杉山神社へと下りていくことができる。
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