平成30年(2018)7月下旬、横須賀・安針塚から葉山の木古庭、上山口の棚田を経て御用邸の海岸、森戸神社へ。
この日は連日の猛暑から解放されたとはいえ日中は30度に達したため体力的に無理のないように水(氷を詰めた保冷ジャグ)と塩分(タブレット)を大量に用意、一時間おきに補給しながら歩く。
3.葉山・上山口の棚田
葉山・上山口の棚田は「にほんの里100選」にも選定され神奈川県下では有数の棚田。現在では往時よりも規模が縮小しているが、ボランティアの人々との協同でその姿が維持されている。その先は御用邸旧水源地、茅山荘門前を経て葉山公園入口へ。


斜面を下る沢が車道を横切り砂防指定地の看板が立つあたり。この辺りから里道を棚田沿いに杉山神社へと下りていくことができる。


先へ少しばかり進むと、棚田を見下ろせるところに来た。時刻は午前11時40分ごろ。
棚田の畦は崩れやすいので立入禁止。しっかり固められている小道から眺める。


上山口(かみやまぐち)の棚田。すくすくと稲の育つ、真夏の青い田。
「にほんの里100選」にも選定された葉山・上山口の里山と湧水、棚田。県下では随一のこの棚田は、昭和30年代ごろの写真によると斜面一帯に無数の棚田が広がり、それこそ「千枚田」の景観を呈していた。
県下各所で都市化の進む現在では、ここ葉山でも農業者の高齢化や後継者不足は否めない。そうしたなか、県内各所の谷戸田(やとだ)でも見られるように、ボランティアの人々などとの協同によって棚田は守られている。
参考「町制施行90周年記念 葉山町の歴史とくらし」


水が張られた、田植え前の棚田。
※画像は「私の家庭菜園/葉山の棚田風景」様が御提供下さいました。


砂防指定地看板脇の里道から杉山神社へと下りてゆく。


里道の傍らに、青々としたイガを付けた栗の木。


護岸整備された沢を横切る。


上山口の夏、日本の夏。


休耕の棚田も目に付くが、それでも棚田は確実に守られている。


杉山神社へ。


上山口の総鎮守となる杉山神社。江戸時代後期の地誌「新編相模風土記稿」巻之百十三浦郡巻之四衣笠庄上山口村によると同書編纂当時は杉宮と称し、神像は海中より得たとある。
「葉山町の歴史とくらし」によれば、元宮は山中に在ったが寛政八年(1796)現在地に遷座。杉山神社と改称したのは明治八年(1875)のこと。


杉山神社から棚田周辺を一回りする。


上山口会館を過ぎたあたり。






県道へ下りていく。


脇道に逸れたところに建つ、正吟の庚申塔。寛政12年(1800)の造立。


県道を渡り、下山川対岸の旧道へ。


御拝堂橋。


橋からの下山川。


旧道。この旧道は律令国家時代の古東海道と推定され、近世には浦賀道(うらがみち。東海道戸塚宿廻り)となっている。


左奥に先ほどの棚田が見える。


三基の庚申塔とお地蔵さん。


そのうちの左から二つ目のものは元禄四年(1691)造立のもので「栗坪(くりつぼ)の庚申塔」と称され、町指定重要文化財となっている。
一番左のものもそうだが、庚申塔によくある青面金剛(しょうめんこんごう。夜叉神)像が彫られたものではなく来迎印(らいごういん)ポーズの阿弥陀如来像が彫られているのは、庚申信仰が庶民にも広まり始めた17世紀(1600年代)後半頃のものに散見され、ちょっと珍しい。


里道に入り、奥に見える橋から県道へ戻る。


橋の上より。




再び県道。


葉山国際C.C.入口の信号を左へ。時刻は午後12時20分ごろ。


県道の高架下をくぐっていく。


滑り止めの刻まれた急坂。


坂の途中を右手に入ると、御用邸旧水源地へ向かう道。
なお、このまま登っていくと間門橋(陸橋)への分岐に通じる。もう少し棚田を巡るつもりでその辺りまでぐるぐる歩き回り、消耗してしまった。


右手に入っていく。


少し進んだ先で右手の狭い道を入る。ここを見落として通り過ぎると、その先の右手は立入禁止。


こちらは立入禁止。


狭い道を下って振り返る。


下った先を左折。




特養ホームの葉山清寿苑。


突き当り角地の駐車場付近が御用邸旧水源地。


道路脇の放水管。


旧貯水槽の遺構。
ここの湧水はもともと近隣の生活用水であったが大正二年(1913)に御用邸の水源として宮内省(当時)に買い上げられ整備された。その後昭和49年(1974)の台風により損傷、通水停止になるまで使用された。
参考「葉山町の歴史とくらし」


水源地から先は県立葉山公園(旧御用邸付属馬場)入口交差点までひたすら歩くことになる。時刻は午後1時、ここにきて暑さがしんどくなってきた。こまめな水分、塩分補給が欠かせない。


広がる水田。


星山橋。


橋からの下山川。


橋を渡ると、茅山荘(ちざんそう。非公開)。
茅山荘は実業家の畠山一清(はたけやま いっせい。荏原製作所創立者)により大正12年(1923)に建てられた別邸。明治の元勲ら華族、皇族の別荘地であった時代から大正・昭和初期の実業家・文化人の別荘地へと発展していった葉山の歴史を今に伝える。


先へと進む。


下山川沿い。


平橋(たいらはし)。近くには平兼盛墓と伝わる五輪塔がある。予定では立ち寄るつもりだったが暑さで消耗していたのでパス。


葉山カレッジの案内板前を通過。
当初はこの先で峰山の大池を観てから長者ヶ崎を見下ろしつつ下るつもりだったのだが、山道を登っていった先、畑の辺りで道が分からなくなってしまった。暑さがしんどくてボーッとしていたので探索はやめにして引き返し、葉山公園までは車道を歩いて近道をすることにする。


ひたすら歩く。


葉山にもあった、ブラフ積(づみ)の擁壁。ブラフ積とは横浜の開港期に山手周辺から広がっていった洋式の石積み。長く切った石の長手(ながて。長辺)と小口(こぐち。短辺)を交互に積む積み方で、レンガのフランス積に相当する。横浜市内各地でも昭和40年代くらいまでは広く用いられた。
ここの石積みは小口がぴょこっと飛び出ているのが特徴的。


まもなく葉山公園入口交差点。


国道134号・葉山公園入口信号。
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