まちへ、森へ。

横浜つながり、早春の熱海

令和六年(2024)2月、建国記念の日の三連休最終日。見頃を迎えた熱海梅園の観梅に出向く。熱海梅園は明治19年(1886)、横浜の実業家である茂木惣兵衛(もぎ そうべえ。茂木家は生糸貿易、伊勢佐木町・野澤屋百貨店の経営などで知られる)らによってその原型が開園した。

 

午後からは日本に唯一残るブルーノ・タウトの建築「旧日向別邸(きゅう ひゅうがべってい)」を見学(要予約)する。ブルーノ・タウトが手掛けた地階部分は国指定重要文化財となっている。先行して建てられた上屋部分は渡辺仁(わたなべ じん。震災復興のシンボルとなった横浜山下町・ホテルニューグランドの設計で知られる)が手掛けた。

 

熱海梅園

 

 

JR小田原駅からおよそ25分、JR東海道線普通列車の終点・熱海駅で下車。一番ホームに移動してJR伊東線に乗り換える。
伊豆急下田方面からやって来た折り返しの普通列車は伊東線・伊豆急行線直通の伊豆急リゾート列車「リゾート21・黒船電車」。事前に調べていたわけではないのだがたまたま乗車することができた。

 

 

 

黒船電車の車両は海側の展望が広がるように座席を配したパノラマ仕様になっている。これほどのリゾート列車でありながら別料金不要で乗車できる。

 

 

 

せっかくのリゾート列車だが熱海駅からあっという間の一駅二分、来宮(きのみや)駅で下車。黒船電車を見送り。

 

 

 

JR伊東線・来宮駅。
熱海駅から先の東海道線はJR東海だが、伊東線はJR東日本の路線。こちらはSuica・PASMOの簡易改札機でそのまま通過できる。

 

 

 

駅前には早咲きの「あたみ桜」。開花期は一月から二月。

 

 

 

駅から坂道を登ることおよそ10分、梅園前交差点に到着。

 

 

 

熱海梅園は梅まつり開催期間は有料。大人一般は300円(2024年2月現在)。

 

 

 

現地の案内図。
梅園の広さは4.4ヘクタール(100m四方×4.4)。園内を巡るには順路の番号が参考になる。

 

 

 

園内に入ってすぐのところにそびえる、双幹の夫婦松。

 

 

 

大塚実氏顕彰記念碑。園内の記念碑としては最も新しい。
平成後期の梅園整備に私財を投じた大塚実氏はOA商社・ITソリューション事業を展開する大塚商会の創業者。熱海伊豆山温泉「ニューさがみや」でホテル事業も手掛けており、熱海にはひとかたならぬ思い入れがあるようだ。

 

仏教風に言えば茂木惣兵衛は開山、大塚実は中興の祖、といったところか。

 

 

 

連休最終日とあって来園者が多い。

 

 

カラーマンホールを見つけた。

 

 

 

全体的に見頃を迎えた園内。遅咲きの梅もぼつぼつ開花が始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

唐梅(とうばい)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貫一・お宮の梅。
尾崎紅葉が「金色夜叉」の執筆を始めたのは明治30年(1897)から。作品内に登場する熱海の梅林はその頃から既に名所だった。

 

 

 

お宮の紅梅は紅千鳥(べにちどり)。貫一の白梅は十郎(じゅうろう)。十郎は小田原の曽我梅林で主力となる品種の実梅。「十郎梅」のブランドで広まっている。
曽我梅林のページ

 

 

 

芭蕉の句碑。
芭蕉が詠んだ梅の句を熱海の俳壇の先覚者が建碑したようだ。

 

 

 

花香美(はなかみ)。

 

 

 

月影(つきかげ)。青軸(あおじく)系の梅。

 

 

 

甲州野梅(こうしゅうやばい)。

 

 

 

林州(りんしゅう)。

 

 

 

園内を流れる初川(はつかわ)と赤い欄干の駐杖橋(ちゅうじょうばし)。

 

 

 

 

 

 

 

鴛鴦(えんおう)。

 

 

 

雨宮敬次郎翁碑。明治後期に小田原〜熱海の軽便鉄道を創設した翁を顕彰する碑。

 

当時の東海道本線は現在の御殿場線(国府津〜山北〜御殿場〜沼津)を経由していた。軽便鉄道は国府津から小田原まで来ていた鉄道から乗り継ぎできるよう、小田原から温泉地熱海までの足として開業。やがて現在の東海道線の元となる熱海線、丹那トンネルの開通により軽便鉄道はその役目を終える。

 

 

 

紅千鳥(べにちどり)。

 

 

 

三吉野(みよしの)。

 

 

 

梅園開設百年記念植樹。

 

 

 

「茂木氏梅園記」(もぎし ばいえんき)の碑。明治20年(1887)の建碑と古く、表裏に漢文が刻まれている。篆額(てんがく。碑の題字を篆書で書いたもの。ここでは碑の上部「茂木氏梅園記」の部分)は伊藤博文による。

 

茂木氏とは明治期の横浜の実業家、茂木惣兵衛(もぎ そうべえ)。茂木家は生糸貿易、野澤屋(伊勢佐木町)の経営などを手掛けて財を成した。横浜界隈の地理・歴史散策愛好家には原善三郎・三溪(富太郎)と双璧をなす豪商として知られる。
原三溪は横浜本牧に三溪園を開園して後世に文化遺産を残した。茂木惣兵衛は伊勢山皇大神宮能楽堂などを手掛けたもののそちらは関東大震災(大正12・1923)で消失。横浜市内に有形の遺産を見ることは難しい(原家、茂木家の野毛山別邸は震災による焼失ののち野毛山公園・野毛山動物園となっている)。
野毛山公園の成り立ち(野毛山公園のページ
熱海梅園は茂木惣兵衛が手掛けた文化事業が形として残る、貴重な存在といえる。

 

 

 

梅園記の要約。
内務省の役人であった長與専斎(ながよ せんさい)がこの地に保養のための施設の造成を提唱。神奈川県議がこれに賛同して惣兵衛に持ち掛けたところ、惣兵衛がそれは良きことと応じて事業に乗り出した。流れに小橋を架け高みに四阿を設けたその美しい遊園は梅が多く植えられたことから「茂木氏梅園」と呼ばれた。

 

碑文の裏側には惣兵衛のほかにも横浜財界の平沼専蔵らが資金協力した、と記されている。平沼専蔵もまた野毛山に邸宅を構え、その跡には並亀甲積(へいきっこうづみ)の立派な石垣が残っている。
旧平沼専蔵邸跡(野毛山公園から伊勢山へのページ

 

 

 

中山晋平記念館に展示されている「熱海梅園之図」。
梅園はのちに宮内省に献上。戦後に皇室財産税として物納され国有財産となる。その管理は熱海市が行ってきたが昭和35年(1960)に国から熱海市に譲渡された。

 

 

 

鹿児島紅(かごしまこう、かごしまべに)。

 

 

 

梅見の滝へ。

 

 

 

滝に白梅。

 

 

 

 

 

 

 

平成初期に造成されたこの滝は、裏見の滝となっている。

 

 

 

 

 

 

 

香浮橋(こうふばし)。

 

 

 

梅園の最奥に架かる梅園橋(うめぞのばし)。この大きな橋は平成後期の再整備事業で澤田政廣記念美術館への連絡橋として架けられた。

 

 

 

呉服枝垂(くれはしだれ)。

 

 

 

園内最奥の大きな四阿(あずまや)からさらに奥へ。

 

 

 

足湯の源泉。「高温注意」の立て札があり、かなり熱そう。

 

 

 

熱めの温泉は流れ下って適度に冷まされ。

 

 

 

寛ぎの足湯に。すぐそばではタオルも売っていた。

 

 

 

白滝枝垂(しらたきしだれ)。

 

 

 

韓国庭園。
ここは平成12年(2000)、当時の森喜朗首相と金大中大統領との間で熱海にて行われた日韓首脳会談を記念した庭園。

 

中山晋平記念館と韓国庭園はこちらのページへ

 

 

 

南高(なんこう)。紀州の「南高梅」ブランドは全国区。

 

 

 

緑萼枝垂(りょくがくしだれ)。

 

 

 

青軸系の緑萼が枝垂れとなった品種。

 

 

 

紅牡丹枝垂(べにぼたんしだれ)。

 

 

 

牡丹のような八重咲の紅梅。

 

 

 

中山晋平記念館へ。

 

中山晋平記念館と韓国庭園はこちらのページへ

 

 

 

茂木氏梅園記の碑と香浮橋、美術館。

 

 

 

茶屋のあたりには、大木に育った梅。

 

 

 

大木の梅は「思いのまま」。一本の木に紅梅と白梅を付ける、このような紅白咲き分けの梅はその様から「源平咲き」ともいわれる。

 

 

 

「梅園」バス停まで戻り、熱海駅へ。梅まつりの期間は梅園バス停はかなり混むので、一つ手前の「澤田記念美術館」バス停から乗る方が良いかもしれない。
熱海駅からは徒歩で10分、日本に残る唯一のブルーノ・タウト建築「旧日向別邸」を見学する(要予約)。

 

 

旧日向家熱海別邸(ブルーノ・タウト「熱海の家」)へ

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