令和六年(2024)5月下旬の週末、中世における鎌倉街道のひとつである鎌倉街道・中の道(なかのみち)古道を鶴ヶ峰(つるがみね。旭区)から下永谷(しもながや。港南区)まで、およそ12kmを歩く。
3.上柏尾から下永谷へ
このページでは国道1号・上柏尾(横浜市戸塚区)から鎌倉古道の風情が尾根道に残る「下永谷市民の森」(横浜市港南区)へ。市民の森から先、港南戸塚区界(下永谷柏尾町界、下永谷舞岡町界)をたどり、「鎌倉古道・早掛けの道」を下永谷駅(横浜市港南区)まで歩く。
国道一号・上柏尾(かみかしお)信号(戸塚区)。ここから下永谷(港南区)までは鎌倉街道・中の道のなかでも古道の風情が比較的よく残っている区間。
古道を歩くまえに瑞穂神社に立ち寄ることにする。上柏尾の歩道橋から一つ先の左手の道へと入っていく。
瑞穂神社への案内が出ている。
ここにも。
こちらにも。
瑞穂神社の入口。
注連柱(しめばしら)をくぐり。
こちらは杉木立に注連縄(しめなわ)を渡して注連柱のようになっている。
山蔭神道瑞穂神社の由緒案内。
社殿。
来た道を戻って右折したら、右への道を分けて正面奥へ上っていく。
尾根筋の古道への上り。
奥まった右手に柏尾野外活動シルバー健康広場入口。
広場への下り口から見下ろす広場。
中の道古道へ。何か、随分切り開かれてしまっている。
どうやら、最近になって大掛かりに宅地造成されたようだ。
タワーの林立する東戸塚駅周辺の眺望は開けている。
市街地に残された緑地であっても地権者にとって活用が難しく行政にとっても買取が難しい小規模緑地は維持が負担でしかないこともあり、こうしたミニ開発は各所で絶えることがない。史跡に準じるエリアの環境の維持は、何か制度のコペルニクス的転回がないと叶えることも難しく、結局は二度と元に戻ることのない形になってしまう。
先へと進んでいく。
山道の途中に稲荷社。
稲荷社の祠の傍らには石塔と石仏。石塔には「金神」、石仏には「子宝観世音菩薩」と書かれた立札が立っている。
「金神」って、何だろうか。石塔も風化が著しいので何と刻まれているのかは分からない。庚申塔(こうしんとう)によく像だったり文字だったりが刻まれている「青面金剛(しょうめんこんごう)」とは関係ないだろうか。「金剛神(こんごうじん)」とか、いずれも「夜叉神(やしゃじん)」のことだし。そう考えると、この石塔は庚申塔のような気がしてきた。知らんけど。
ここからランドマークタワーが見えた。
先へ進むと、金網フェンス沿いに宅地が迫っている。
送電線鉄塔の脇を通過。
まだまだ続く金網沿いの山道。
道が舗装路になる。
県営柏陽台アパート、柏尾小学校に通じる車道に出られる小階段。
いったん住宅街の街路に出る。このあたりからは戸塚区と港南区の区界となる。
宅地を少しばかり進むと下永谷(しもながや)市民の森。
案内板。
下永谷市民の森は面積およそ6ヘクタール(100m四方×6)。開園は昭和47年(1972)4月。横浜市における「市民の森」の第一期として開園した、最古参のひとつ。
車止めのそばに「五山見亭(ござんみてい)」と名付けられたあずまや。
下永谷市民の森・西側の尾根道は鎌倉街道中の道古道の跡。森が広がるのは港南区の側。
途中で「いこいの広場」に下ってお昼の小休止。
気持ちのいい、森の小径。
いこいの広場。結構広く、開放的。テーブル・ベンチが4組ほど設置されている。
この時期はまだ下草の成長に刈払いが追い付いていない様子。これはこれで草むらの原っぱという感じでいい。季節は二十四節気の「小満」を過ぎた頃、小さくも生命力が満ち溢れる季節。
この広場が整備されたのは、この森の中では比較的新しい時期。50年を超えるこの森の歴史の中、手元にあった平成23年(2011)3月発行の改訂版マップにはこの広場はまだ載っていなかった。
散策路に引き返す。
見晴台。
木々が成長しており、見晴らしは遮られがち。
山の神稲荷台広場。でもお稲荷さんの祠があるわけではない。
かつては朱塗の末広がりの小さな鳥居が建っていて小さな石祠らしきものがあったようなのだが、いつ頃失われたのだろうか。
画像出典 『市民グラフヨコハマ 横浜のオアシス「市民の森」ガイドマップ No.83』(1993)
その代わりと言う訳ではないが、広場には立派なアカガシの木が立っている。根元には大木に見られる板根(ばんこん)を張りつつある(樹皮が丸く剥がれているのでケヤキかな?と思ったら札にアカガシとあった)。ただ、赤テープの巻かれた幹は近いうちに伐採されるのだろうか。
中の道古道に戻る。
市民の森・南側出口から住宅地を直進。この先、右手からY字に合流する道を合わせて道なりに進む。
現在の区界はY字に合流した先を右折し左折するのだが、いずれにしても現在の街路は古道の道すじではない。
このあたりからは鎌倉古道中道の道筋(港南戸塚区界)からなるべく逸れないようにしながら港南区側の街路を歩く。
突き当りを右折。
戸塚区の区界標の立つ中古車販売店の角を左折。
西港南台郵便局前を通過していったら美容室の角を右折、古道跡の道すじへ。
道なりに進み、舞岡病院職員住宅前を通過。この辺りからは再び港南戸塚区界となる。
この先には十字路。
西港南台自治会案内図の立つ十字路を右折。
進んでいくと、左手に下永谷第三公園。奥の方に案内板が立っている。公園を突っ切って、向こう側の道へ。
これが、例の「こうなん ひまわりてくてくガイド案内板(早駆けの道)」か。せっかくの古道案内板だが古道の道すじの反対側に立っているので古道歩きの人たちにとっては非常に気付きにくい。
何でこっち側に立てたのだろうか。かなり古びているようなので、立て直すときは位置を再考して欲しい。
下永谷第三公園の古道側(区界)に戻って先へ進む。
このくねり方はいかにも古道の跡という感じ。
カーブミラーの角を右へ。
左手に資材置場。
右手にボーイスカウト横浜第88団野営場。
未舗装路の古道跡が続く。
笹が刈り払われた道。
車止めの先は舗装路。
右手に特養ホーム・恒春の丘の敷地を見ながら進む。
「いざ、鎌倉」というベタな台詞が口をついてしまいそうな、鎌倉古道中の道「早駆けの道」。
左手に特養ホーム・芙蓉苑。下っていった角までが「鎌倉街道・中の道」の跡となる港南戸塚区界。
まち歩きの計画当初はこの先を日限山(ひぎりやま。港南区)から小菅ケ谷(こすがや。栄区)と歩きJR根岸線・本郷台駅まで行くつもりだったのだが、最近の脚の様子だとちょっときつそうかな、と思って歩いてみたらその通りだった。今回の古道探索はここまでとする。
角を曲がって敷地沿いに下りていった先は、舞岡上郷線・下永谷駅入口(画面中ほど)からの道。左折して地下鉄ブルーライン・下永谷駅へ。
下永谷駅に到着。およそ12km、4時間ほどのまち歩きはここで終了。ちょっと疲れた。丹沢を歩くレベルには程遠い。山は逃げないのに脚力が逃げていくw でもまだまだ、どうにでもなるさ。まだ若いんだし(白目)。
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