亀戸天神の藤まつり
令和七年(2025)の4月下旬、亀戸天神(東京都江東区)の藤まつりを観に行く。最寄りの駅は総武線各駅停車・亀戸駅だが一駅隣り(東京駅寄り)の総武線快速・錦糸町駅からでも乗り換え時間を考慮すれば所要時間は大差ない。
-PR-

藤(フジ)

令和七年(2025)4月の下旬、亀戸天神(東京都江東区)の「藤まつり」を観に行く。亀戸天神の最寄り駅はJR中央・総武線各駅停車の亀戸駅(徒歩およそ15分)だが、一駅隣りとなるJR横須賀・総武線快速の錦糸町駅からでも乗り換えを考慮すれば所要時間は大差ない。

 

亀戸天神の藤まつり

 

 

東京墨田区・錦糸町駅北口から錦糸公園沿いを進み、蔵前橋通りへ。横十間川(よこじっけんがわ)に架かる天神橋を渡り江東区に入ると「亀戸天神藤まつり」のバナーが目に入ってくる。

 

 

 

創業は文化二年(1805)という、元祖くず餅「船橋屋」本店の藤棚。

船橋屋のくず餅は小麦粉のデンプンを発酵させてつくる、弾力のある餅。「久寿餅」とも表記され(川崎大師門前の「住吉」など)、葛粉を使った葛餅とは別もの。

 

 

 

亀戸天神に到着。

東京都神社庁のウェブサイトによると、亀戸天神社の創建は江戸時代前期の寛文二年(1662)。菅原道真の末裔、菅原大鳥居信祐が天神信仰を広めるために太宰府天満宮に倣った社を造営したのがその起こり。江戸時代には亀戸天満宮とも称されていた。

 

 

 

鳥居をくぐると、反橋(そりはし、太鼓橋)。

 

 

 

反橋に続いて架かる、平橋(ひらはし)。
反橋、平橋、反橋と三つの橋が心字池に架かる庭園は太宰府天満宮に倣った造り。三つの橋で大宰府と同じく過去、現在、未来を現わしているそうだ。

浄土信仰に基づく浄土式庭園(奥州平泉・毛越寺など。関東では横浜金沢・称名寺)を連想させる橋の並びは、天神信仰が浄土信仰と結びついていることを思わせる。

 

 

 

亀戸天神といえば、藤と反橋。浮世絵で亀戸天神といえば、

 

 

 

やはり、これ。
歌川広重「名所江戸百景 亀戸天神境内」
画像出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」

 

 

 

反橋の上から。

 

 

 

訪問時、社殿は修繕の覆いで囲われていた。

 

 

 

江戸時代の境内。心字池の中之島には松が目立つ。藤棚は池を囲むように配されている。池にせり出した納涼床みたいな設えが、風情があっていい感じ。
二代広重(立祥・りっしょう)「江戸名勝図会 亀戸天神」
画像出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」

 

 

 

下り藤(さがりふじ)の紋が入った紫の暖簾は、境内に店を構える江戸懐石「若福」。

 

 

 

「若福」の松とツツジ、そして遅咲きの椿。

 

 

 

椿の紅白咲き分け(源平咲き)とは、ちょっと珍しい。

 

 

 

実ったばかりの青梅(白加賀)を手前に。
天神様といえば、菅原道真公と飛梅。池の周りを廻っていると梅の木も目立つ。それぞれの梅には品種名の札がついており、その種類もなかなか多い。藤で有名な亀戸天神だが、観梅もあり。

 

 

 

紅梅殿。
紅梅殿は亀戸天神の創建と同時に太宰府天満宮の御神木「飛梅」の実生(みしょう。種子から発芽させた植物)を勧請し奉斎したのがその起源。現在地の祠は昭和63年(1988)の再建。

 

 

 

弁天社。
こちらは寛文五年(1665)に太宰府天満宮の心字池畔に鎮座する志賀社を勧請したのが始まり。後に弁財天(水の神様、芸能の神様)信仰と習合した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芭蕉の句碑。道真公九百年忌にあたる享和二年(1802)に芭蕉門下の人々が芭蕉翁百年忌にあわせて建立した、とある。
「しばらくは花の上なる月夜哉」
俳句で「花」といえば桜だったような気がするが、当時から亀戸天神の藤は見事だったわけで、「まあ細けぇこたぁ、いいんだよ」ということか。

 

 

 

今度は手前にシャガの花を入れ込んで。

 

 

 

スカイツリーと藤の花も、なかなかな取り合わせ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よく見て廻っていると、紅藤(べにふじ)があった。

 

 

 

白藤も。

 

 

 

筆塚。
書道家の廃筆納めは江戸の後期、文政年間のころから行われていたとある。

 

 

 

薄曇りの下の藤もまた、美しき哉。

-PR-

このサイトは(株)ACES WEB 「シリウス2」により作成しております。

新世代型サイト作成システム「SIRIUS2」

-PR-