2.田浦梅の里(田浦梅林)
田浦梅の里(田浦梅林)は神奈川県横須賀市、JR田浦駅から低山を登った山頂部(田浦緑地)に広がる梅園。その歴史は令和の上皇陛下のご生誕を記念して造られた旧田浦梅林に遡る。どこから登っても階段をコツコツ登らねばならないが、山頂には海、市街地、低山の雄大な展望が広がっている。
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田浦梅の里(田浦梅林)、尾根と谷戸をつないで古道歩き

令和7年3月上旬の週末、二週連続して田浦梅の里(田浦梅林。横須賀市)へ。
さらには梅林探訪と併せて、田浦の谷戸と尾根歩きへ。旧温泉谷戸(田浦泉町)と月見台(城の台、しろんだ)の旧市営住宅リノベーション事業の地および両者を結んで浦賀道(うらがみち)古道の道すじ(按針塚から大田坂・十三峠、横須賀線ガード・田浦3,4丁目まで)を歩く。

 

2.田浦梅の里(田浦梅林)

 

1.JR田浦駅からのの字橋、十三峠・大田坂を経て田浦梅の里(田浦梅林)へ、はこちら

 

 

田浦泉町(たうらいずみちょう)、京急ガードのすぐ先の橋が「田浦梅の里」入口。
そちらのルートはいくつかある梅林入口のうち急登のルート(男坂)。行きはここを登っていく。山頂の梅林からの帰りは旧梅林を経て旧梅林入口へ下ることにする。

 

 

 

JR田浦駅の駅前にある「田浦梅の里周辺案内図」(赤文字、赤青矢印の加工はサイト管理者)。拡大版はこちら

今回はここまで赤い矢印のルート(尾根越えの道)をたどってきたが、途中(国道16号トンネル手前、田浦駅バス停あたり)で青色の矢印のルート(国道トンネルを抜けて谷戸みちを辿る平坦な道のり)へ進む方が一般的。

 

 

 

梅林入口からすぐ、グイグイと登っていく。

 

 

 

高度を稼いでいく。眼下には谷戸に広がる田浦の街(2丁目・3丁目)。緑青屋根の長善寺、その脇を通る浦賀道(東の浦賀みち)が見える。

 

 

 

さらに登っていくと、眼下に田浦大作町(たうらおおさくちょう)の街が谷戸沿いに延びてゆく。

 

 

 

泉町側の梅林入口(男坂)を登り切った。高圧線鉄塔の建つ付近で標高およそ66m。梅林入口が標高およそ9mだから、60m近く登ってきた。
この先に見える第一東屋、そのまた奥にあるトイレ付近(標高およそ58m)まで下り、梅園から芝生広場、展望塔(標高およそ120m)へと登ってゆく。

 

 

 

「田浦梅の里」案内図(赤文字の加工はサイト管理者)。拡大版はこちら
田浦梅の里公式サイトによると、田浦梅林で見られる梅は白梅の白加賀(しろかが。しらかが)、青軸(あおじく)、淡い紅梅の養老(ようろう)など。そのほか、淡い紅梅の豊後(ぶんご)も見られると記述されたサイトもある。個々の木に品種名の札はついていない。

全体的には白梅、淡い桃色の紅梅が多い。色の濃い紅梅(緋梅)は多くはないが、アクセントを添えるように植えられている。白梅は実梅(みうめ。実を採るための梅)の白加賀がある程度まとまって植樹されているように見受けられる。青軸はそれほど多くはなさそうな印象。梅園を高いところへと登っていくと淡い桃色の梅が多い。こちらが養老あるいは豊後だろう。

 

 

 

白加賀。
梅の実はかつては災害時の備蓄用として塩気の強い梅干しに加工されていたが、市に寄せられた様々な意見を基にして1995年からは梅ワイン(横須賀梅わいん。1995年8月より販売)に加工されるようになった(神奈川新聞1998.10.5より)。その後は梅酒や梅ワインに利用されるようになっている。

 

 

 

第一東屋そばの緋梅(ひばい。濃い紅梅)。
この緋梅は一重。花びらの見た感じでいうと紅千鳥(べにちどり)あたりだろうか。

 

 

 

田浦小学校卒業生による植樹。
令和6年度3月末(令和7・2025年3月31日)をもって田浦小学校は廃校、長浦小学校に統合される。この年の植樹は田浦小学校の卒業生としては最後の植樹となる。

 

 

 

メインの散策路を登り、振り返り見る。

 

 

 

白梅越しに見える海。

 

 

 

淡い色合いの八重咲の紅梅。調べてみると養老は一重咲きの梅なので、これは豊後だろうか。豊後も一重咲きだが、水戸偕楽園の梅図鑑によると八重咲もあるらしい。

 

 

 

老木も多い田浦の梅。老いた樹々は樹皮が白く覆われている。
この上の管理小屋あたりに来場者の声と管理者の返答がいくつか掲示されていたのだが、樹皮に着く白いものは「ウメノキゴケ」といって地衣類の一種です、とあった。苔が覆うようになってくると、樹の寿命もそう長くはない。
また、梅園全体の梅の本数はピークだった頃は2,000本を超えていたが老化による倒木もあって令和6年末で1,400本ほどまで減少。そのため植樹にも取り組んでいる、ともあった。

 

 

 

第二東屋より上の園路だったか、紅白に咲き分けている梅があった。紅白咲き分け(源平咲き)の梅というと「思いのまま(輪違い。りんちがい)」という品種が有名で各地の梅園でもよく見かけるが、これはおそらく豊後の咲き分けであろう。

 

 

 

薄桃色の紅梅と白梅。

 

 

 

この薄桃色が養老だろう。

 

 

ここからは第一東屋・トイレ奥の畑付近から裏ルートの散策路を登ったもの。
観梅よりは芝生広場へのアクセスとして利用されそうな裏ルートは、低い位置から梅の高木を見上げる感じになる。

 

 

 

そして、梅の季節におけるもう一つの見どころである水仙が低い目線で見られる。

 

 

 

これだけ高木になってしまうと、梅実の収穫が大変なことになりそう。

 

 

 

手前の水仙にピントを合わせようとしたのに、ボケた。

 

 

 

裏ルートをさらに登っていくと、

 

 

 

芝生広場に到着。

 

 

 

芝生広場からは、海の眺めがいい。

 

 

 

見えるとつい撮ってしまう、追浜(おっぱま)の住友重機クレーン。

 

 

 

海上自衛隊・船越地区にいた船は敷設艦「むろと」。調べてみたら、ちょっと特殊な任務に就く珍しい船らしい。

 

 

 

この白梅は何だろうか。白加賀ではないし、青軸でもない。みっしりと咲く華やかな花の姿は、梅と杏子を掛け合わせた豊後系の何かのような気もする。

 

 

 

この淡い紅梅はたぶん養老。

 

 

 

さらに上へと上がっていくと建っている記念碑。奥には横浜横須賀道路(横横。よこよこ)が見える。
記念碑の表面にはこの敷地を横須賀市に寄付した田浦在住の大学教授・詩人の石川宏氏の詩が刻まれている。
裏面には田浦緑地の由縁を記した碑文。石川氏により寄付された山林およそ36万平方メートル(36ヘクタール。100m四方×36)を元に市が田浦緑地として整備。田浦大作町側の旧田浦梅林と併せて「田浦梅の里」として親しまれている。

 

 

 

田浦梅の里の大文字看板。横横からもよく見えそうだ。

 

 

 

標高およそ120mの山の上に建つ展望塔。これを梅の季節にふさわしい姿で撮ってみた。

 

 

 

塔の上に登れば、眺めが一層いい。芝生広場から見た眺め(長浦港・船越地区、追浜の造船所)が、一望のもとに。

 

 

 

こちらは横須賀本港の米海軍横須賀基地。米海軍空母「ジョージ・ワシントン」がいた。

 

 

 

横浜ランドマークタワー。かなり霞んでしまっていたが、何とか撮れた。

 

 

 

田浦大作町側に広がる梅林。
梅林と街、梅林と海、梅林と山。田浦梅林ならではの眺め。

 

 

 

展望塔の奥(公園管理事務所方面)に進んでいくと、あまり多くは見かけなかった青軸の木。

 

 

 

アップで撮ってみる。

 

 

 

公園管理事務所へ。

 

 

 

途中の分岐は、三浦アルプスハイキングコース(自然林と示された方向)への分岐。

 

 

 

すぐそばの道標とトレイルマップ。
「ハイキングコース」として整備されているのは広大な二子山山系の尾根道のごく一部。森戸川源流部に下りるのは登山の領域(百歩譲ってもトレッキングの領域)であって山慣れない場合は足を踏み入れると危ない。現在では沢筋は道が荒れている可能性もある。当サイト・旧林道終点から中ノ沢・二子山、南ノ沢・乳頭山を経て田浦へのページ。

 

 

 

管理事務所への尾根道からの眺め。斜面に広がる梅林。

 

 

 

管理事務所(旧田浦青少年自然の家)は現在でもトイレは利用できる。

 

 

 

展望塔を後にして、旧梅林へ。

 

 

 

記念碑あたりから眺める、田浦泉町の谷戸を挟む尾根。あちらの尾根筋には旧浦賀道(東の浦賀みち)が通っている。尾根上に建つ十三峠(じゅうさんとうげ)給水塔の頭もちょこっと見える。

 

 

 

再び芝生広場へ。

 

 

 

芝生広場から見る、段々畑あたりの梅林。色の濃い紅梅が結構目立つ。あちらは管理事務所の先から児童広場に下りていく園路の右手に見られる、とある。

 

 

 

芝生広場から梅園へ戻る。足元の水仙も花盛り。

 

 

 

旧梅林へは第一東屋の先、高圧線鉄塔まで戻って急登の園路(男坂)から分岐する園路を下ってゆく。

 

 

 

眼下を京急が走り抜けてゆく。

 

 

 

急登の園路(男坂)から旧梅林への分岐。旧梅林への案内柱などは設置されていない。

 

 

 

園路から少し離れた木に開花していた青軸。これは梅林まつりが終わって一週間後の二回目の訪問時のものだが、まだ蕾が多い。

 

 

 

見落としてしまいそうな右手の分岐に入ると、大六天神。

 

 

 

大六天神の祠。小振りながらも、流造(ながれづくり)の立派な祠。
「田浦をあるく」によるとその起こりは鎌倉時代に遡るとされ、大山咋命(おおやまくいのみこと)など四神が祀られている。昔は石の祠だったというが、昭和六年(1931)の発掘調査を経て白木の祠が完成。それも老朽化したため昭和55年(1980)に現在の祠が造られた、とある。

 

 

 

祠の前を回り込むように下っていく。

 

 

 

下っていくと「田浦梅林発祥之地」の碑が建っている。
案内文によると旧田浦梅林が造られたきっかけは昭和九年(1934)の皇太子殿下(令和の上皇陛下)御生誕。大六天宮の鎮座する山林60アール(10m四方×60。6,000平方メートル)に700本の梅を記念植樹したのがその始まり。

 

 

 

園路に戻る。

 

 

 

園路を下ると大六天神の鳥居。

 

 

 

目映い陽射しのなかで。

 

 

 

白加賀。

 

 

 

見下ろせば谷戸に延びゆく田浦大作町の街。眺望ポイントには「市制施行七十周年記念 横須賀風物百選」の選定を記念した標柱が立っている。

 

 

 

年老いた木も、そして次世代の木も。旧梅林もまた、世代を紡いでいく。

 

 

 

園路を下った先で、第一東屋下の梅林案内板付近から下りてきた園路に合流。案内柱が立っている。

 

 

 

旧梅林側入口から来た利用者に対する案内柱。

 

 

 

コンクリート擁壁に刻み込まれた梅の図。

 

 

 

第二竹の谷戸橋を渡ると立派な建仁寺垣を廻らせた御宅。その先、京急ガードをくぐる。

 

 

 

御嶽稲荷の赤い鳥居前を通過。

 

 

 

この先で国道16号に出たら、左へ行くとそこから歩いて20分ほどで京急田浦駅。右へ行けば10分ほどでJR田浦駅。

 

 

3.田浦梅林から泉町・旧温泉谷戸住宅〜浦賀みち古道往復〜旧月見台住宅

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