文字が読みづらいときはショートカットキーでの拡大をお試しください。

[Ctrl]を押しながら[+(;れ)]で拡大。
[Ctrl]を押しながら[=(−ほ)]で縮小。


三浦半島横断、里山から海へ


平成30年(2018)7月下旬、横須賀・安針塚から葉山の木古庭、上山口の棚田を経て御用邸の海岸、森戸神社へ。
この日は連日の猛暑から解放されたとはいえ日中は30度に達したため体力的に無理のないように水(氷を詰めた保冷ジャグ)と塩分(タブレット)を大量に用意、一時間おきに補給しながら歩く。

1.県立塚山公園・安針塚




時刻は朝9時過ぎ、京急・安針塚(あんじんづか)駅。京急ストアの隣りに見えるのはエレベーター棟。
安針塚駅からは「コモンヒルズ安針台」の共用エレベーターが地域に開放されており、屋上階まで利用させてもらう。




エレベーター屋上からブリッジを渡っていくと、丘の手公園。




街を抜けていく。




山の手ゾーン管理棟まえの二股を左へ。




突き当りを左に登っていく。




塚山公園への案内板のある階段を上る。




本町山中(ほんちょう やまなか)有料道路の塚山トンネル。




本町山中有料道路は横浜横須賀道路・横須賀インターチェンジと横須賀市街を結ぶ。




舗装路を登っていく。




塚山公園に到着。




県立塚山公園案内板(赤文字加工はサイト管理者)。

塚山公園が県立公園となったのは昭和29年(1954)。とはいえ、公園となったのは大正期に遡る。元となったのは江戸初期に建てられ明治期に再整備された按針供養塔の塚。




安針塚を訪ねるまえに横須賀軍港を眺めに、「港の見える丘」へ。




園路から京急・汐入(しおいり)駅前のメルキュールホテル(旧横須賀プリンスホテル)、猿島が見える。




展望デッキに到着。




右手にはJR横須賀駅そばのウェルシティのタワー、米軍横須賀基地。




世界最大級のニミッツ級空母、ロナルド・レーガン。5月下旬からの任務を終えて7月24日に帰港したばかり。




左手の桟橋には海上自衛隊の艦艇。




右から二番目は「こんごう型護衛艦」のイージス艦「きりしま(たぶん)」。




ウェルシティの向こうは房総半島。君津、富津のコンビナートが見える。




さらに左に目をやると夏島の住友重機造船所。ゴライアスクレーン(大きな門状のクレーン)が見える。中ほどの白い三角屋根は八景島シーパラダイス。左奥には横浜みなとみらい、ランドマークタワー。




艦艇の向こうには東京湾を行き交う船舶。そして水平線にぼんやりと見える、東京湾アクアラインの木更津側橋梁。
東京湾の航路となる川崎側が海底トンネルなのに対し、木更津側は遠浅の海で大型船はもともと航行できないので橋になっている。

来た道を引き返し、安針塚へ。




安針塚への登り口。




安針塚は戦国末期〜江戸初期に家康の外交顧問となったイギリス人、三浦按針(みうら あんじん。ウィリアム・アダムス)の供養塔。按針についての詳細は東浦賀のページへ。




塚を登っていく。




按針が知行地として与えられた逸見(へみ)村のこの地に、按針と日本人妻の供養塔となる二基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建てられている。




按針の遺言により按針を慕う村人の手で建立された供養塔ではあったが、二百年に渡る鎖国の時代の間、塚は忘れ去られた存在になっていた。明治の初期になると横浜在住のイギリス人貿易商により按針の塚が探索され、修復が計画される。多くの人々の協力を得て、塚とその周辺は日英友好の証しとして大々的に整備された。




按針が屋敷を構えた江戸日本橋按針町の人々により奉納された石灯籠。




安針塚の裏手に下りて、富士見台へ登ってみる。




裏手の案内板。
現在では「安針塚」を始めとして「安針」と表記されることが多い、三浦按針。辞書には「按針塚」と表記するものもあるし、この場合もどちらが正しいということではないようだ。




大輪のヤマユリ。




富士見台からの横須賀港。




富士見台から鹿島台、十三峠(じゅうさんとうげ)、JR田浦駅方面への園路。
十三峠は東海道保土ヶ谷宿から浦賀までの道(金沢廻りの浦賀道)の途中にある峠。この園路(尾根道)は十三峠から安針塚を経て葉山町木古庭(きこば)に向かう連絡路だったのだろう。

朝早いとはいえ真夏のこの日、反対側の空に富士山は見えず。




富士見台から戻り、葉山の里山へ向かう。




大楠山(石畳道)方面を葉山町木古庭へと下っていく。


2.葉山・木古庭の不動滝へ。  まち歩きトップに戻る。