まちへ、森へ。

宇田川遡行、小さき森に物語あり

若葉芽吹きソメイヨシノが開花し始めた平成26年(2014)の三月末、境川(さかいがわ)支流・宇田川(うだがわ)の両岸に点在する森や寺社を訪ね、歩く。お終いには返還時期が決まった在日米軍深谷(ふかや)通信所へ。

 

1.ウィトリッヒの森、龍長院へ

 

 

スタートはバス停「横浜医療センター前」。地下鉄ブルーライン立場(たてば)駅の「立場ターミナル」から「大船駅西口」行に乗車、国道一号原宿(はらじゅく)交差点のすぐ手前のバス停。

 

JR・地下鉄ブルーライン戸塚駅からであれば「原宿」「医療センター前」バス停を通る路線が頻繁に出ているのでそちらの方が便利。ただ、立場ターミナルは地下鉄のほか相鉄いずみ野線・いずみ中央駅からも歩いて20分足らずなので歩くことを厭わなければ相鉄沿線からでも利用しやすい。

 

ここからまずはじめに、ウィトリッヒの森を目指す。
画面奥に見える白い建物は横浜医療センター(旧国立横浜病院)。バス停から原宿交差点方向に少し進み、戸塚消防署大正出張所向かいの道を入っていく。

 

 

 

大正中学の敷地に沿ってグラウンド前の道をまっすぐに進んでいく。途中、左手には高齢者施設や修道院を運営する「聖母の園」がある。
突き当りまで進んだ奥にあるのが、ウィトリッヒの森。

 

 

 

森の入口。

 

 

 

案内図。イラストに樹木が描かれていない森の南西も、山林が広がっている。

 

 

 

ウィトリッヒの森は横浜市が指定する市民の森のひとつ。広さ3ヘクタール(100m四方×3)余りの、市民の森としては小振りな森。

 

この森はアーノルド・ウィトリッヒ氏(昭和58年・1983没)が、故郷スイスの風景に似ているとして愛し、大切に育てた森であった。遺志を継いだ妻の津田ひ亭(ひで)氏(昭和61年・1986没)から市に寄贈され、昭和62年(1987)に市民の森となった。

 

 

 

 

 

 

 

かつて広場に建っていたあずまやは、そこに建っていたウィトリッヒ邸の瓦を転用していた。
画像出典・市民グラフヨコハマNo.83「市民の森ガイドブック」(平成5年・1993発行)。

 

なお、氏が晩年をここで過ごす以前に建てられた邸宅が戸塚駅近くの矢部町に現存する。

 

 

 

広場の傍らに、馬頭観音。

 

 

 

北側の散策路へ。

 

 

 

 

 

 

 

3月も末、ドングリが芽吹く。

 

 

 

小さな小さなタチツボスミレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キブシの花。

 

 

 

ウィトリッヒの森から、龍長院をめざす。
森のいちばん低いところにある出口から、左へ。

 

 

 

南西斜面を抜ける道。

 

 

 

ウィトリッヒの森を含めたこの一帯の山は、かつて鬼鹿毛(おにかげ)山と呼ばれていた。
鬼鹿毛とは荒馬の名。この辺りは古典芸能の演目として有名な「小栗判官(おぐりはんがん)・照手姫(てるてひめ)」の伝説にまつわる地でもある。
参考「戸塚の歴史散歩」

 

室町時代の初めごろ、小栗判官(小栗満重)が鎌倉公方(鎌倉府長官)・足利持氏に城を攻め落とされ常陸(ひたち)から三河(みかわ)に落ち延びていく。途中、この地の豪族である横山大膳の館にしばらくとどまった。そのうちに大膳に訳あって仕えていた照手姫と親しくなり、夫婦となる約束を交わしてしまった。怒った大膳は満重を飼い馬であった荒馬の鬼鹿毛に乗らせて噛み殺させようと企てる。だが満重は乗馬の名手であったため鬼鹿毛を難なく乗りこなし、曲芸までやってのけた。こうして大膳の企てはひとまず失敗に終わった・・・。

 

この後も物語が大展開していく小栗判官・照手姫の伝説は全国各地で、そして県北の相模原市域(中央区上溝地区)、緑区(旧津久井郡相模湖町)底沢地区でも語り継がれている。

 

 

 

こちらは旧相模湖町底沢、甲州街道旧道から美女谷温泉への分岐あたりに掲げられている案内板。

 

底沢の美女谷は照手姫が生まれ育ったという伝説の地。相州の地酒愛好家としては相模原の酒販店により企画、販売された地酒「てるて姫」にも触れておきたい。

 

 

 

聖母の園に隣接するあたり。

 

 

 

舗装路に出たら、右へ。

 

 

 

角を左折。奥には富士山がぼんやりと見える。

 

 

 

道を「くの字」に横切り、下りていく。

 

 

 

三月も末の午前中、霞む富士。
横浜市南部から見える富士山は丹沢・大山と重ならないので、末広がりの姿が美しい。

 

 

 

ソメイヨシノは開花が始まったばかり、早咲きのヒザクラはすっかり見頃。

 

 

 

下りきったところは龍長院の門前。

 

 

 

曹洞宗天王山龍長院(りゅうちょういん)。
慶安元年(1648)、村の領主がそれまでの竜滝庵という庵を改築し寺名を龍長院と改めた、という。

 

 

 

門前を通る道は、鎌倉街道古道の道筋でもある。

 

 

 

石仏。右の石碑には「文政八(1825)酉年」と刻まれているように読める。

 

 

 

地蔵堂。延命地蔵菩薩像が祀られている。

 

室町時代の作と伝わり、金箔が施された三尺七寸(約1m)の仏像。江戸時代中期から戦前まで村のお地蔵さんとして親しまれた仏像は、明治33年(1900)よりこの寺に安置された。平成二年(1990)には傷んでいた堂宇が再建され仏像が修復された。

 

 

 

地蔵堂の傍らに掛かる、不動の滝。

 

 

 

 

 

 

 

本堂。

 

 

 

 

 

 

 

龍長院を後に、境川(さかいがわ)へ。

 

 

 

東俣野(ひがしまたの)農専地区の農道をゆく。

 

 

 

境川。左手に見えるのはこのあたりのランドマークとなる、横浜薬科大学のタワー(旧ドリームランド・ホテルエンパイア)。

 

上流へ進み、宇田川(うだがわ)の合流点へ。

 

 

2.三嶋神社、戸塚西公園、専念寺へ

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