まちへ、森へ。

三浦半島、展望の山

大楠山から秋谷へ

 

令和三年(2021)12月初頭の週末、三浦半島最高峰・大楠山(おおぐすやま。241m)を歩く。

 

登り始めは「衣笠城址(きぬがさじょうし)」バス停。横須賀市ごみ処理施設「エコミル」の整備が完了し通行止めが解除された登山道を歩き、大楠山山頂へ。下山は前田川遊歩道・前田橋へと下り秋谷地区をめぐりながら「秋谷の立石(あきやのたていし)」を訪れる。

 

 

京急バス・衣笠城址バス停。標高23m。
ここまでは京急・横須賀中央駅バス5番のりばから「須55系統・長井(ながい)行き」あるいは4番のりばから「須8系統・三崎口駅行き」で三崎街道を進み、およそ15分。
JR・衣笠駅からであれば駅から少々歩いて経由地の「衣笠十字路」バス停から乗ることができる。

 

時刻は朝9時半ごろ。山頂の展望を楽しみたいのであまり遅くならないよう、低山にしてはやや早めの出発とした。時間帯によっては利用できる系統はもっと多い。

 

 

 

衣笠インター入口交差点は地下道で横断。

 

 

 

県道沿いに歩き、トンネル(住吉隧道)を抜ける。

 

 

 

「衣笠城址前」信号(横横道路・衣笠料金所出入口)を過ぎたら「太田和(おおたわ)街道入口」信号で県道を横断、旧道へ入っていく。

 

 

 

旧道から分岐する坂道へ。衣笠城址、矢取不動尊・大善寺への案内板が立っており「参詣道」と案内されている。

 

 

 

三叉路の追分にあたるこの場所には三体のお地蔵さんが祀られている。

 

後で分かったことだが、バス停からここまでは幅広い車線の県道ではなくバス停から少し戻って旧道を歩いたほうが風情があった。
旧道は不動への参詣道にふさわしく、信号を入ってすぐのところには矢取不動の前不動(不動明王の石像)が祀られている。信号前のパン屋さん(パン工房おおつか)で山頂でのお昼を調達するのもあり。また、逆ルートで下山してきたのであれば「酵素風呂おへそ」で埋まってみたり、あるいはかなり高級な料理となるが「割烹旅館 衣笠温泉旅館」での食事付き日帰り入浴というのもある。

 

 

 

参詣道を進んでいくと、やがて道は急坂に。

 

 

 

「矢取不動尊」曹洞宗大善寺の参道石段下。左手にコンクリートで囲まれた井戸(不動井戸)がある。傍らの石柱には「箭執(やとり)不動尊」と刻まれている。

 

 

 

坂を挟んだ右手に案内板。

 

 

 

案内板によると「不動尊御手洗池」と呼ばれたその井戸は、坂東平氏の名門・三浦氏一族の本拠となった衣笠城の築城より遡ること三百余年、天平の時代に行基による杖の一突きで泉が湧きだしたという伝説がある。不動明王はそのときに行基によってこの地に祀られた。
そして「矢取不動」の名は三浦氏の第二代為継が後三年の役(1083〜1087)に出陣したおり、戦場に現れた不動明王が敵の「箭(や)を執(と)って」(矢を打ち払って)為継を守ったという伝説に由来する、とある。

矢取不動尊の別当(事務を管理する寺)として建てられたのが大善寺であるが、大善寺として創建された時期は詳らかではない。

 

江戸後期の地誌「新編相模国風土記稿 巻之百二十二 三浦郡之六 衣笠庄 衣笠村」によれば大善寺の開山は徹頑(元和四・1618年没)となっているので、記述通りであればその創建は戦国末期から江戸時代初頭の頃となる。「新編相模〜衣笠村」における記述は以下の通り。
「金峯蔵王権現社 祭神安閑天皇なり 日本武尊を合祀す 天平元年の勧請と云う 縁起略に曰く『天平元年行基当郡行脚の時 錫を此地に駐(とど)め 金峯権現を勧請して郡中の惣鎮守とす』」
「不動堂 衣笠城跡に在り 像は行基作 箭執不動と号す 縁起に據(よる)に『三浦長門守為通 衣笠に居住し 信崇して城内の鎮護とす 源義家奥州の役に為通の子平太郎為継従軍し血戦せし時 此像形を現じ 敵の放つ箭を執りて力を戮(ころ)す 因て箭執不動 又箭除明王とも称す』」
「不動石像 城跡の麓御手洗池の中にあり 滝不動と称す 又此地より東方三町余 大矢部村境に前不動と号す石像あり」
「別当大善寺 金峯蔵王権現の別当を兼ね金峯山不動院と号す 曹洞宗 本尊阿弥陀 行基作 開山徹岸 元和四年十月十日卒」。

 

 

 

参道石段を上ると大善寺本堂。

 

 

 

「太聖殿」の扁額が掛かる。

 

 

 

曹洞宗・金峯山不動院大善寺。

 

 

 

阿弥陀三尊の案内板。

大善寺の阿弥陀三尊像は明治より前の時代における本尊で製作時期は平安末期の頃、とある。「新編相模」に記されている徹岸による開山は当時の調査成果として明らかとなった事実。それよりも前に平安期の真言や天台といった密教系寺院としての歴史があって、衣笠城が三浦氏一族の本拠だった平安末期〜鎌倉期に不動堂や金峯蔵王権現の別当寺として存在していた寺が衰微したのち徹岸により中興開山された、ということであろうか。

 

 

 

衣笠城址の案内板。
不動井戸は山城である衣笠城における貴重な水場。東岸の久里浜(くりはま)、西岸の太田和・小田和(おだわ)湾へと街道が通じていた衣笠の地は三浦半島の交通の要衝。本拠となる居城を築くには、この山は最適だった。
衣笠城址あるき(衣笠山公園から衣笠城址)はこちらのページへ

 

 

 

大善寺から大楠山へ。

 

 

 

山道に入る。

 

 

 

整備の行き届いた登山道。

 

 

 

しばらく歩くと、横浜横須賀道路を跨ぐ大畑橋(おおはたはし)。「エコミル」(横須賀市のごみ処理施設)の建設中は大畑橋が通行止めとされ阿部倉登山口への迂回路が案内されていたが、完成して通行止めが解除された。

 

 

 

橋から見るエコミル。

 

 

 

山道を進み、舗装路へ。

 

 

 

休日はゲートが閉まっているのでハイカーは脇を抜けていく。

 

 

 

道路沿いには公衆トイレや飲み物の自販機が整備された。

 

 

 

大楠山への案内板。登山道の続きはどこか、一見しただけではちょっと分かりにくい。

 

 

 

反対側の歩道にも案内板がある。

 

 

 

「しょうぶ園」と示された方向も「大楠山ハイキングコース」とあり、車道を下っていった先はエコミルトンネル。そして、トンネルを抜けると突き当りの車道の反対側に大楠山への直登コース登山口がある。
車道を右折して、そのすぐ先を左へ入っていくと「横須賀しょうぶ園」や大楠山の阿部倉登山口、更には塚山公園(按針塚)へのハイキングコース(そちらはエコミル建設中の迂回ルートに重なる)。

 

 

 

ここは公衆トイレの脇からコンクリート階段へ。

 

 

 

階段を上がってエコミルの敷地沿いを進んだ先に、登山道の続きがある。

 

 

 

登山道へ。

 

 

 

合流付近の道標。
左手から合流してくる道は「沢山池の里山」から登って来るルート(R134・横須賀市民病院前バス停から荻野川沿い、または三崎街道・北武(きたたけ)バス停から相武幼稚園そば太田和橋経由)。そちらは一般的なハイキングコースとしては紹介されていない。

 

 

 

高圧線の下を進んでいく。

 

 

 

阿部倉登山口ルートの合流。

 

 

 

道標。

 

 

 

ゴルフ場の球除けネットのトンネルを進む。

 

 

 

 

 

 

 

山頂下の分岐は右手の木段へ。

 

 

 

230段の登り。

 

 

 

山頂に到着。

 

 

 

小広く開けた大楠山(おおぐすやま。241m)山頂。時刻は午前11時過ぎ。

 

 

 

二等三角点。標高241.1m。

 

 

 

ビューハウスの屋上へ。

 

 

 

西には相模湾越しに富士山。左に箱根連山、右に丹沢山塊。白い塔は国土交通省・大楠山レーダ雨量観測所。

 

 

 

山頂への到着があと一時間ほど早ければ、その姿を更にくっきりと拝めるはず。実際、朝の展望を堪能したであろう山頂から下りてくるハイカーとのすれ違いも結構あった。

 

 

 

彼方に伊豆・天城連山を望む。最高峰の万三郎岳(ばんざぶろうだけ。1406m)までの距離は71.4km。

 

 

 

小田和湾・長井地区の向こうに伊豆大島も見える。三原山山頂(三原新山。758m)までの距離62.2kmは、富士山山頂(剣ヶ峰)までの距離(82.6km)よりも近い。

 

 

 

電波塔の向こうは横須賀市街。房総半島の京葉臨海コンビナート(君津、富津)もくっきり。

 

 

 

猿島(さるしま)。「横須賀の海は穏やかで猿島の猿は今日も元気でしょうね」「いえ、猿島には猿は一匹もいませんよ」。

 

 

 

米海軍横須賀基地に停泊する空母「ロナルド・レーガン」。

 

 

 

葉山国際カントリークラブの向こうに住友重機の追浜(おっぱま)造船所。

 

 

 

気象条件によってはこの方角に東京スカイツリー、さらには筑波山(女体山、877m。距離にして116.7km)が見えることもある。
(2018年12月上旬・午後2時ごろ撮影)

 

 

 

三浦半島の背骨・三浦アルプス。低山とは思えぬ山深き森戸川の源流部、横須賀本港を一望できる乳頭山(にゅうとうざん。205m)は茅塚(かやづか。215m)の背後に隠れて見えない。

 

 

 

みなとみらい・ランドマークタワー。ちょっと意外だったのは新横浜プリンスホテルがまるで横浜西口・ベイシェラトンのすぐ近くに並んで建っているかのように大きく見えたこと。
巨大なクレーンはジャパンマリンユナイテッド横浜事業所(磯子)に起重機船が来ていたようだ。

 

 

 

森戸川源流域の二子山(ふたごやま。208m)。

 

 

 

相模湾越しの丹沢。相州の名峰・大山は稜線が丹沢山塊に重なってしまい、目立たない。

 

 

 

江の島。

 

 

 

山座同定愛好家のバイブル「続・展望の山旅」によれば、(空気の澄んだ冬の早朝ならば)江の島のちょいと左寄りあたりに南アルプス・白峰三山(しらねさんざん、白根三山)の間ノ岳(あいのだけ、3189m改め3190m。距離134.2km)、農鳥岳(のうとりだけ、3026m。距離132.6km)の白銀の山容が見えるというが、時間もちょっと遅かったので稜線辺りには雲が出ていた。残念。

 

 

 

山頂は多くのハイカーで賑わっている。

 

 

 

午前11時45分ごろ、前田橋方面へ下山開始。

 

 

 

大楠芦名口バス停方面のルートはこの時補修のため、令和三年末まで通行止め。

 

 

 

レーダ雨量観測所のレーダー塔の傍らには展望台が設けられている。

 

 

 

 

 

 

 

天皇皇后両陛下御光臨(平成四年一月)記念植樹の碑。

 

 

 

この年の初冬は例年よりも雨が多かった。11月上旬の季節外れの大雨を始め、この日も四日ほど前に降雨があり路面に水が染み出し流れている。

 

 

 

岩肌の登山道はちょっと滑る。

 

 

 

下ること50分ほどで尾片瀬橋(おがたせはし)に到着。

 

 

 

橋のたもとから前田川遊歩道へ。

 

 

 

この日の前田川は初冬にもかかわらず、降雨の影響でやや増水していた。

 

 

 

飛び石が水面下に潜っていたところもある。ハイカットの防水トレッキングシューズであれば問題ないが、靴への浸水やスリップが不安であれば引き返して川沿いの道を歩くのもあり。
前田川遊歩道あるきはこちらのページへ

 

 

 

遊歩道終点から国道134号に出る。

 

 

 

秋谷神明社(あきや しんめいしゃ)へ。

 

 

 

由緒の案内板。

 

 

 

若命家長屋門。案内板によると若命家は鎌倉末期の元弘元年(1331)に基盛が相州葛原から秋谷に移り住んできた、とある。
若命という神様みたいな姓はちょっと珍しい。神奈川県姓氏家系大辞典(角川書店)によると若命氏は「わかめ」と読む。平氏の出であり秋谷に移ってからは名主と神主(秋谷神社)を兼ねた、という。

相州葛原とは具体的にどこを指すのかは不明とされている。学術的に解明されていないのだからそれまでではあるが、藤沢市葛原あたりはどうなのだろうか、と気になり資料に少々当たってみた。
藤沢市葛原はかつての相模国高座郡渋谷庄葛原郷(「新編相模」では大庭庄葛原郷)。渋谷庄は頼朝の時代に渋谷氏(坂東平氏の一族)が本領としたが和田合戦(1213)で渋谷高重らが和田義盛に与したことで没収されている。渋谷庄は幕府の女房因幡局に与えられ、因幡局は内藤盛家(秀郷流藤原氏の一族とされる)に嫁いだ、となっている。
参考「相模武士全系譜とその史蹟 五 糟屋党・渋谷党・その他諸氏」。
たしかにこれでは葛原と平氏の出、が繋がらなかった。いずれにせよ若命氏は秋谷に移り住む以前から幕府の有力な御家人の一族だったのだろう。

 

 

 

江戸末期の築と伝わるこの長屋門は黒瓦に白漆喰の立派な門。腰板を貼らずになまこ壁、というのが関東ではちょっと珍しい。

 

 

 

神明社は若命基盛が祭神を奉じてこの地に移住、以来村の鎮守となった。

 

 

 

現在の社殿は江戸後期の天保七年(1836)に再建されたもの。

 

 

 

秋谷信号で国道を渡り、海岸へ。

 

 

 

秋谷海岸に到着。時刻は午後1時半ごろ。

 

 

 

この時間にもなると富士山はだいぶ霞んでしまった。

 

 

 

秋谷の立石(あきやのたていし)。奥に江の島、丹沢山塊。

 

 

 

打ち寄せる波のうねりは、やはり絵になる。

 

 

 

駐車場の角辺りから。

 

 

 

立石の案内板。

 

 

 

「富士三十六景 相州三浦之海上」初代広重画。こちらの錦絵はどのあたりかはっきりしないが、おそらくこの近辺であろう。
画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション

 

 

 

「梵天(ぼんてん)」の岩場へ。

 

 

 

長者ヶ崎。

 

 

 

左手に江の島。

 

 

 

梵天の鼻から望む富士はすっかり霞んでしまった。

 

 

 

梵天の岩場から裏見の立石。うむ、こうしてみると案内板にもある通り「立石の妙味は構図にあり」を実感。

 

立石バス停からはバスで京急の逗子・葉山駅へ。この間バスで20分余り。

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