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中津川流域・八菅山修験、行場の入口


4.龍福寺から中津層露頭、へいしの坂

3.熊坂から古民家山十邸はこちら



中津往還・古民家山十(やまじゅう)邸を後にして、龍福寺へ。




下谷(しもや)地区、八菅橋(はすげばし)へと下る坂の石標には「熊坂 別名 幣使坂 七曲り坂」と刻まれている。




中津往還の旧道は幅の狭い道。









下谷地区に下るヘアピンカーブへの車道を横切るように、狭い旧道をゆく。




玉石垣の上は、龍福寺の境内。




中津原段丘のヘリを通る中津往還の旧道から、先ほど巡ってきた尾山(おやま)耕地、八菅山(はすげさん)を見下ろす。




曹洞宗・海蔵山龍福寺の山門。江戸の中期、安永七年(1778)築。




楼門の下層は亀腹(かめばら)風に白い漆喰が塗られている。その姿からすれば、これは竜宮造の楼門(一例として江島神社・瑞心門)といってもよさそう。




上層に掲げられた「拈華関(ねんげかん)」の扁額。
「拈華って何だ?」と調べてみたが、説法中のお釈迦様が蓮の花をひねる、といった意味があるらしい。故事の弟子よろしく微笑み返しが出来るはずもなく「それで?」と思った自分は、どうやらうつむいてしまったその他の弟子たちのグループ入りで決まりのようだ。




本堂。こちらは近代以降の再建となる。




龍福寺の先は、いったん段丘面から下りて「へいしの坂」から上り返すことにする。




中津往還から「近藤坂」への下り口。




狭い坂を下っていくと、車道と交わるあたりに段丘崖の露頭(ろとう)の一部が残されている。




中津層の露頭。









案内板。
段丘の基盤は砂岩や泥岩といった堆積岩。この段丘が浸食された時期は地学的には比較的新しい。




洞穴をくり抜いて安置された石仏。




車道を渡った先に「近藤坂」の標柱が立ち、旧道は続く。




現在はその大半がブロックやコンクリート、あるいは吹き付けで固められている崖。




昔は荒々しい削り跡のままに地層が見えていたのだろう。それでも、一部とはいえ往時の姿が残された。




再び下谷地区に下りてきた。




御嶽社。




愛川町の「健康づくり 八菅山散策コース」案内板。




折り返し、「へいしの坂」へ。




ヘアピンカーブへと向かう手前、カーブミラーの角を左手に入っていく。




右手の狭い道を先へと進む。




コンクリート階段を下りていくと「へいしの坂」。




柴垣を巡らせた竹林を抜けて。




ひっそりとした森の中を抜け。




折り返しながら登っていく。




この辺りでは古道の雰囲気を最も残している「へいしの坂」。
「へいし」とは八菅修験の「幣使」。八菅山のみならず、この辺りも八菅修験の盛んなりし頃の名残りはまだまだ色濃い。




再び段丘の台地へ。
案内柱には「へいしの坂(幣使の坂 祀礼坂)」とある。




先へと進み、横須賀水道・水道坂を下って箕輪(みのわ)耕地へ。




道なりに右折。




水道坂。


5.水道坂から箕輪耕地、田代半僧坊  まち歩きトップに戻る