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箱根湿生花園から明神ヶ岳へ


2. 矢倉沢峠登山口から明神ヶ岳へ

1.箱根湿生花園「ヒマラヤの青いケシ(ブルーポピー)展」はこちら。




湿生花園から歩いて15分ほどで「金時登山口」バス停(標高660m)に到着。このバス停は仙石原(せんごくはら)から金時山(きんときやま。1,212m)、明神ヶ岳(1,169m)への登山口の一つ、矢倉沢峠(やぐらさわとうげ)登山口の最寄となる。
なお小田原駅方面から「金時登山口」バス停までのアクセスは矢倉沢峠登山口から金時山へ、のページを参照。

明神ヶ岳へ登った後は箱根外輪山の麓、大雄山最乗寺(だいゆうざん さいじょうじ。道了尊)へ下山するコースをたどっていく。




時刻は午前11時過ぎ。登山口から明神ヶ岳までは標準コースタイムでおよそ130分。




登山道への入口。














矢倉沢峠(867m)・金時山への分岐に到着。




「うぐいす茶屋」。奥に見えるのは金時山(1,212m)。




明神ヶ岳(1,169m)へ。









明神ヶ岳へはなだらかな稜線が続いていく。




ハコネザサの広がる登山道。




振り返り見る、金時山。




タチツボスミレ(立坪菫)。




バラの仲間、ツルキンバイ(蔓金梅)。背丈が低く、赤みがかったランナー(走出枝、つる)が這う様に伸びる。葉の形はバラのようにギザギザのある、絵にかいたような形の葉っぱ。園芸でイチゴの苗を育てたりイチゴ狩りをしたことのある人であれば、その姿は同じくバラ科であるイチゴにちょっと似ている、とイメージすると分かりやすいかもしれない。

岩場ならイワキンバイ(岩金梅)、もう少し低地の山野ならたぶん、このグループ(属)を代表するキジムシロ(雉莚)かミツバツチグリ(三葉土栗)のどちらか(適当)。
高山植物のミヤマキンバイ(深山金梅)はこのグループ。




キンポウゲの仲間を代表する、キンポウゲ(金鳳花)。こちらは背が高く(茎が長く)葉の切れ込みが深い。

低地の山野で見られるキンポウゲの仲間、キツネノボタン(狐の釦)は姿がちっこい。ちなみにキンポウゲの仲間であるキンバイソウ(金梅草)は夏(7月)の山地に生えるが、中部から伊吹山(滋賀県)あたりまでが自生地となり関東の山では見られない。
高山植物のシナノキンバイ(信濃金梅)はこっちのグループ。

山の植物図鑑で頻繁に目にする「何とかキンバイ」は見た目が黄色で(花の世界では金色で)梅に似ていることから付けられた名前。バラ科であったりキンポウゲ科であったり、花だけでは区別がややこしい。




眼下に広がる仙石原。




箱根最高峰の神山(かみやま。1438m)と大涌谷(おおわくだに)。

※この山行の後、大涌谷周辺で火山性地震の頻度が上昇。その後地震は沈静化しているものの、大涌谷園地はおよそ三年ぶりに入山規制が敷かれる状況になった。




箱根外輪山北部〜西部のパノラマ。 拡大版。

雄大な箱根の眺めがすばらしい。




ぐっとそそり立つ、金時山。









淡い新緑が、瑞々しい。




神山を正面に。




ケシの仲間、ムラサキケマン(紫華鬘)。華鬘は仏殿の欄間(らんま)の装飾具。









外輪山縦走路を正面に。




立木が増えてきた。




スベスベな樹皮の、ヒメシャラ。









テンナンショウ(天南星)か、それともマムシグサ(蝮草)か、ウラシマソウ(浦島草)か?このあたりの区別は、未だに自信がない。









新緑のヴェールに包まれる。









稜線上の小ピーク、火打石岳(ひうちいしだけ。988m)に到着。

矢倉沢峠〜火打石岳の標準コースタイムは1時間だが、ここまで写真を撮りつつ1時間15分ほどかけてゆっくり歩いてきた。









火打石岳から明神ヶ岳へ。明神ヶ岳の稜線は崩壊地が目立つ。














振り返り見る火打石岳そして金時山、長尾山。




飛行機雲が消えることなく尾を引いている。この日は午後から天気が崩れるとの予報が出ていたので、少々気がかり。




神山の裏側に駒ケ岳(1,356m)が見えるようになってきた。

大涌谷の左手、神山の山裾には強羅(ごうら)の街。そして箱根登山電車沿線の街。




奥に外輪山南部の稜線、その手前には中世の古道・湯坂路(ゆさかみち)の尾根。









登っていくと、大きく眺望が開けた。




富士山。




丹沢も一望。




富士山〜丹沢山塊のパノラマ。 拡大版。

東西40qにも及ぶ丹沢山塊が、東の大山(1,252m)から西は甲相国境尾根・菰釣山(こもつるしやま。1,379m)までもれなく一望できる。見えないのは(当たり前だが)裏丹沢、東丹沢前衛くらい。これは素晴らしい眺めだ。




明神ヶ岳まで、あと一息。




ズームでとらえる大涌谷。




最乗寺奥ノ院への分岐。行政ではなく登山愛好家団体により立てられた道標があるが、地理院地形図には破線の記載がない。特に下りでは尾根を外れた道迷いによる遭難の危険があるので地形図の携行と読図を前提とした、いわゆるバリエーションルートとなる。




大崩壊地が広がっている。ここまで辿ってきた外輪山の稜線が奥へと延びていき、コブのように盛り上がる金時山の背後にうっすらと富士山。














山頂の広々と開けた、明神ヶ岳(1,169m)に到着。

時刻は13時40分ごろ。矢倉沢峠登山口からここまで2時間40分、標準コースタイムより30分余計にかかった。




午後から崩れると予報されていた天気も、よく持ってくれた。




碓氷峠越えの古道は奈良時代・律令国家の官道であった足柄峠越えの古道よりもさらに古いことになる。
とはいえ、事は神話の時代の話。碓氷峠、足柄峠はいずれも大和時代(古墳時代)のヤマトタケル東征伝説に登場する道である点に違いはない。その比定を巡り、様々に説が提唱されてきた。

ヤマトタケル東征伝説は「古事記」「日本書紀」にそれぞれ登場する。日本武尊(やまとたけるのみこと)は走水(はしりみず。横須賀市)で海神の怒りを鎮めるために入水した妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)を嘆き悲しんだ。そして、大和への帰国の途上で来し方を振り返り「あずまはや(吾が妻よ)」と叫んだ峠が「古事記」では足柄坂(峠)、「日本書紀」では碓氷坂(峠)となっている。日本書紀における碓氷峠は、通説では上野(こうずけ。群馬県)・信濃(長野県)の碓氷峠とされている(そもそもこの時点で記紀の記載が異なり、「史実は一つ」という世界ではなくなっている)。

推定されるヤマトタケル東征の道は、古代の東海道を足柄峠〜関本(南足柄市)〜藤沢〜鎌倉〜走水(横須賀市)〜浦賀水道〜上総(千葉県)と進んできた。そして帰路について、「古事記」では上総から武蔵南部(京浜)、相模・足柄峠を越えて駿河・御殿場(静岡県)から甲州を横断し東山道(後の中山道)に合流、大和国へと戻っていく。一方「日本書紀」では上総から蝦夷(東北)を廻り、武蔵北部(埼玉県)から東山道(中山道)をたどって碓氷峠(群馬・長野)を経て大和国に戻っていく。

この古代史ロマンの解釈に一石を投じたチャレンジングな説が、碓氷峠=箱根説となる。

通説的に考えれば「古事記」の足柄坂は現在の足柄峠、「日本書紀」の碓氷坂(碓日嶺)は現在の碓氷峠(群馬・長野)、と両者は別物になる。しかしヤマトタケルが帰国の途上で海に沈んだ妻を思い出して嘆くのであれば、再び走水を訪れたうえで関東に別れを告げる地となる峠でそうするのが人情ではないか、と思いを巡らすのが異説の出発点となる。
そこで浮上したのが、箱根宮城野の碓氷峠であった。この道は関本(大雄山)から明神ヶ岳、碓氷峠を越えて仙石原を横断、乙女峠を越えて御殿場に下る道。東征伝説における足柄峠越えとは、実は宮城野の碓氷峠越えのことではなかったのか、と考えられたのである。そこで律令国家の官道である足柄道よりも古い道として、この碓氷峠の道が大和(古墳)時代の東海道ではなかったか、と推定された。

この説に立てば「あずまはや」の地はそもそも足柄峠ではなく、箱根の碓氷峠となる。他方で通説に従えば「あずまはや」の地は古事記の足柄峠と日本書紀の群馬・長野の碓氷峠と、別物が併存する。さらに言ってしまえば、「あずまはや」の時代に足柄峠の道と箱根碓氷峠の道が併存していた、と考えることも不可能ではない。平安期には箱根越えの道は足柄道と湯坂路が併存していた。

こうして謎の多い古代史ならではの歴史ロマンは、限りなく広がっていく。

参考「神奈川の東海道(上)」「改訂新版箱根を歩く」「かながわの峠」









うっすらと霞む富士。




14時ごろ、明神ヶ岳から大雄山最乗寺(道了尊)へ下山開始。標準コースタイムは90分。

眼下に広がる絶景の大展望は、足柄平野。相模湾の向こうに三浦半島、そしてその裏側(東京湾側)に走水。

もしも碓氷峠・明神ヶ岳から関本(大雄山)へ下る道がヤマトタケル東征伝説の古東海道であったならば、帰国の途に就いたヤマトタケルはこの地で相模国を振り返り「ああ、我が妻よ」とつぶやいたのかもしれない。


3.明神ヶ岳から大雄山最乗寺(道了尊)へ。  森歩き山歩きトップに戻る