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材木座から小坪へ、海の鎌倉


2.浄土宗大本山光明寺

1.由比若宮(元八幡)と材木座界隈の社寺はこちら。




大本山光明寺の総門。




境内の案内図。これだけの規模でありながら、拝観料は設定されていない。




「勅願所」の額が掲げられた総門。浄土宗天照山光明寺(てんしょうざん こうみょうじ)は鎌倉時代に始まった六宗の一つである浄土宗の大本山。




総門から山門(三門)へ。




光明寺は第四代執権北条経時(ほうじょう つねとき)により鎌倉時代中期の寛元元年(1243)に創建された。開山は良忠(記主禅師)。




堂々たる楼門の山門。江戸時代後期の弘化四年(1847)に再建された山門は鎌倉に現存する近世以前の山門では最大の規模。「天照山」と書かれた扁額は後花園天皇(ごはなぞのてんのう)による宸筆(しんぴつ)で永享八年(1436)のもの。




山門は禅宗様(ぜんしゅうよう)の特徴が濃い和様(わよう)との折衷様式。組物(くみもの)が隙間なくびっしりと並ぶ。




屋根の軒下は垂木(たるき)を放射状に配した扇垂木(おうぎだるき)。




渦の模様が刻まれた虹梁(こうりょう)。




石が四半敷(しはんじき)に敷かれた基壇(きだん)。柱の下にはソロバン玉のような礎盤(そばん)が入っている。




この時期、山門の楼上が特別公開されていた。滅多にない機会なので別途拝観料を納めて楼上に上がる。楼上には釈迦三尊、四天王、十六羅漢の像が安置されている。




楼上からの本堂、鐘楼。









門前に広がるのは、鎌倉の海。




稲村ヶ崎、その奥に江の島。




うっすらと頂をのぞかせる、富士山。




内部。




釈迦如来と文殊菩薩・普賢菩薩の釈迦三尊。その両脇に四天王。




十六羅漢。諸像は江戸時代後期の作とある。




「法然上人800年大遠忌(だいおんき)」の記念事業として平成23年(2011)に色も鮮やかに修復され、失われていた普賢菩薩像も新彫された。




光明寺の本堂となる「大殿」。本尊たる阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩の阿弥陀三尊を祀る。




元禄11年(1698)築の大殿は、近世以前の木造建築としては鎌倉で最大規模を誇る。




棟(むね)には皇室の御紋である「五七桐(ごしちのきり)」と「菊花」が見られる。

光明寺は後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の御代(1464〜1500)に「関東総本山」の称号を受け勅願寺(ちょくがんじ。天皇の勅許(ちょっきょ。命令)を受けた寺院)となった。




本堂の向拝(こうはい。せり出した屋根)周り。文様の入った虹梁(こうりょう)に大瓶束(たいへいづか)という束を立ててその上に湾曲した海老虹梁(えびこうりょう)をつなげ、禅宗様の様式の特色が顕著。




開山堂。開山の良忠(りょうちゅう)と歴代の法主(ほっす。住職)を祀る。

良忠は浄土宗の開祖である法然(ほうねん)から数えて三代目。浄土宗の基礎作りに大きな働きをし、没後に伏見天皇より「記主禅師(きしゅぜんじ)」の諡号(しごう)が贈られた。




本堂の回廊に上がる。









小堀遠州(こぼり えんしゅう。戦国末期〜江戸初期の武将にして茶人、造園家)の作と伝わる浄土庭園の「記主庭園」。









奥に建つ楼閣は「大聖閣(たいしょうかく)」。「法然上人800年大遠忌」の記念事業として平成23年(2011)に再建された。

楼閣の頂には瑞兆(ずいちょう。良い兆し)のシンボルである鳳凰が立ち、二階は八角形で阿弥陀如来が祀られている。普段は立ち入ることが出来ない楼閣に人影が見られるのは、檀家さんの仏前式の結婚式でもあったのだろうか。




回廊より眺める本堂。




開山堂と山門。




本堂に回り三尊五祖の石庭へ。




「三尊五祖(さんぞん ごそ)の石庭」。




この石庭は昭和48年(1973)の作庭。枯山水にツツジの築山、三尊石などを配置している。




三尊とは阿弥陀如来と観音菩薩・勢至菩薩。ここにいう五祖とは仏教を開いた釈迦、唐代に浄土思想を確立した善導、浄土宗の開祖となった法然から弟子の鎮西そして孫弟子で光明寺を開山した記主(良忠)までの高僧。




枯山水の砂紋は三界流転(さんかいるてん。欲望の世界、清浄な物質世界、無の精神世界を迷い続けること)を、ツツジの築山は浄土思想において極楽浄土に往生するための五種の正行(しょうぎょう。称名念仏など)を、手前の敷石は阿弥陀三尊来迎図(らいごうず)の紫雲を、手前のサツキは煩悩具足の衆生(ぼんのうぐそくのしゅじょう。欲望の備わった人々)を象徴的に表現しているそうだ。
参考 神奈川庭園散歩(青木登著)




本堂背後の天照山展望台に上る。














展望台。




山門の向こうに広がる鎌倉の海。




弧を描いて延びてゆく由比ヶ浜。

展望台を後にして、和賀江島へ向かう。



坂の途中、思わず目を引きつけられるおびただしい数の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建っている。

ここは内藤家の墓所。内藤家は徳川の譜代大名内藤氏の一族で初め陸奥の磐城平藩(現福島県)、後に日向の延岡藩(現宮崎県)に転じた。内藤家の江戸における墓地は初め江戸深川(江東区白河)の霊巌寺(れいがんじ)にあったが六代藩主の頃に光明寺に寺領を寄進、移転した。




坂を下りきったところに海岸沿いの駐車場が見える。駐車場に沿って進み、和賀江島へ。


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