まちへ、森へ。

鎌倉・獅子舞の紅葉と「武家の古都」黎明期の名残り

平成26年(2014)12月最初の週末。鎌倉随一の紅葉の名所・獅子舞(ししまい)から天園(てんえん)へ。天園からは瑞泉寺(ずいせんじ)へと晩秋のハイキングコースを下り、鎌倉時代初期の中心部・二階堂〜西御門(にしみかど)界隈の史跡を巡る。

 

1.鎌倉駅から獅子舞の紅葉、天園を経て瑞泉寺へ

 

 

JR鎌倉駅から若宮大路(わかみやおおじ)へ出て、鶴岡(つるがおか)八幡宮二の鳥居へ。このときの段葛(だんかずら)は修繕中。

 

 

 

三の鳥居から八幡宮境内へ。

 

 

 

舞殿(まいでん)と呼ばれる下拝殿と、その奥に本宮(ほんぐう。上宮・うえのみや)。

 

 

 

南北の参道から東西の流鏑馬馬場(やぶさめばば)へ。

 

 

 

流鏑馬馬場の先、東の鳥居から境内の外へ出る。鳥居をくぐり、まっすぐに進む。

 

 

 

突き当りを左折。

 

 

 

横浜国大附属鎌倉小・中学校の正門前。敷地に沿って、右へ。

 

 

 

学校敷地沿いに歩き、鎌倉宮(かまくらぐう)への案内板のある角を右へ。

 

 

 

ミッションスクールの清泉小学校敷地の角。正門入口の方向へ進む。

 

 

 

つきあたりで斜めに交差する道が鎌倉宮への参詣道(お宮通り。岐れ道)。

 

 

 

鎌倉宮(かまくらぐう)前。
鳥居前から右折して境内敷地沿いに回り込み、奥へと続く道(二階堂大路。こちらも金沢街道(六浦道・むつらみち)からの分かれ道)をゆく。

 

 

 

二階堂大路をまっすぐに進むと、左手にテニスクラブの案内板。
このまままっすぐでもよいが、案内板から左に入って永福寺(ようふくじ)跡へ立ち寄っていく。

 

 

 

永福寺跡。

 

 

 

史跡の通用門から外へ。

 

 

 

二階堂川(滑川(なめりかわ)の支流)沿いをゆく。

 

 

 

先に見える亀ヶ渕橋を渡ると、獅子舞(ししまい)への道。
しばらく進むと左手に変電所。その先をさらに奥へと進む。

 

 

 

次第に両側が切り立った岩壁となってきた。

 

 

 

傍らを流れるのは二階堂川の源流。

 

 

 

鎌倉石(かまくらいし)の岩肌を舐める、か細い流れ。

 

 

 

途中何か所も丸木橋を渡る。

 

 

 

 

 

 

 

両岸の岩壁が迫り来る、獅子舞の谷。

 

 

 

獅子舞の名の由来は、江戸時代初期(貞享二年・1685)編纂の「新編鎌倉志 巻之二 獅子巌」に見ることができる。

「獅子巌 獅子巌(シシガン)は、永福寺旧跡の北、山嶺にあり。巌の形獅子の如くなる故に名く。
【護法録】云、浦江県(ほこうけん。中国浙江省)の東南三十五里に有山。俗其形蹲踞(そんきょ)して獅子の如なるを以て獅子岩と云ふ。
異国・本朝、事相似たり。俚語(りご)に、二階堂獅子舞の峯と云なり。」

 

軟らかい鎌倉石(かまくらいし)の岩壁のこと、今は崩れてしまったのだろうがかつては獅子の舞うが如き岩がぐっとせり出していた頃があったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて頭上にモミジの枝が大きく広がってくる。モミジが紅葉に色づくころには、足元はイチョウの黄葉のじゅうたんに。

 

 

 

 

 

 

 

獅子舞の谷は鎌倉随一の紅葉の名所。

 

 

 

全般的に紅葉が早めのこの年であったが、大多数が真っ赤になるのはもう少し先。色とりどりのモザイクもまた、美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山道をイチョウの黄色が埋めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

間もなく尾根上に出る、その少し手前。西に眺望が開ける。

 

 

 

手前に大山、奥に丹沢山塊。

 

 

 

ベンチが置かれている尾根道に到着。獅子舞(ししまい)経由鎌倉宮(かまくらぐう)と、瑞泉寺(ずいせんじ)経由鎌倉宮の道標が立つ。
瑞泉寺へ向かう前に、ここから天園(てんえん。六国峠)周辺をひとめぐりすることにする。

 

天園(六国峠)周辺マップ 

 

 

 

左に露岩の急傾斜。右に円海山(えんかいざん)・金沢文庫方面への道。

 

 

 

天園休憩所の下。左手に休憩所へ上がる木段。右手は金沢文庫方面への道。
「真澄」の幟に思わず「おっ」と舌舐めずりしてしまうが、のんびりと一杯やるのはまたの機会に。

 

 

 

金沢文庫方面の平坦な道に沿って、趣きのある竹林が広がる。
こちらは後で回ることにし、先にベンチ付近まで戻って六国峠の展望がよい岩の上まで登る。

 

 

 

岩肌をひと登り。

 

 

 

岩上は六国峠からの眺望が大きく開ける。眼下には山に囲まれた鎌倉市街。奥には稲村ヶ崎。そして相模湾の大海原。
この日は雲が湧いていて富士山は見えず。

 

 

 

歩いてきた獅子舞も眼下に広がる。谷に沿って紅葉が続いていく。

 

 

 

天園休憩所わきの木段を下りて金沢文庫方面への竹林の道をたどる。

 

 

 

こちらのモミジも見頃。

 

 

 

こちらのイチョウは数日前の強風でほとんど散ってしまった。

 

 

 

黄葉のじゅうたんが竹林の散策路を埋め尽くしている。

 

 

 

「金沢八景」と記された、円海山・金沢文庫駅方面からの道標。左は天園休憩所の下からここまでたどって来た道。右は「建長寺」と記され、天園休憩所の上あるいは天園峠の茶屋の裏手に出る。

 

 

 

金沢文庫方面に少し進んだ先から。

 

 

 

建長寺方面へ少し進んだ先に掲げられた、現地の周辺案内図。

 

 

 

建長寺方面への登り。

 

 

 

無線局。

 

 

 

無線局を右手に見上げながら進んでいくと、天園休憩所の上へ。竹林とイチョウの落ち葉が敷き詰められた道。

 

 

 

一方、無線局脇を上がっていくと、天園峠の茶屋の裏手に出る。

 

北鎌倉駅から天園まで〜晩秋 

 

 

 

峠の茶屋前からハイキングコースを瑞泉寺方面へ。
※「天園 峠の茶屋」は諸事情により閉鎖、撤去された。

 

 

 

初めはスギ林を抜けていく。

 

 

 

瑞泉寺へのコースも、大平山(おおひらやま)〜建長寺方面と同様、岩がちな道が多い。

 

 

 

西側が開けた展望地。

 

 

 

手前になだらかな三角の大山、その奥に丹沢山塊。

 

 

 

左手には明神ヶ岳、金時山(きんときやま)をはじめとした箱根の山々。

 

 

 

南方原産の常緑樹・楠(クスノキ)の大木が立ち並ぶ、森の尾根道。

 

 

 

 

 

 

 

立ち並ぶクスノキの立派な大木は、天園から瑞泉寺へのコース上の見どころの一つ。

 

 

 

杉木立。

 

 

 

滑りやすそうな岩肌の登山道。ハイキングコースとしては歩き応えのある道。

 

天園ハイキングコースが誰とはなしに「鎌倉アルプス」と称されるようになったのも、その全行程を通じて露岩の山道が多くを占めることによるのだろう。そうであるならば「天園・岩尾根ハイキングコース」でもいいと思うが、それではちょっと説明的に過ぎるかな、という気もする。

 

登山が趣味の人にとっては「ハイキング」であっても、普段山を歩かない人にとっては足元の悪さゆえ、ここの尾根はその標高以上に「登山」に近い「山歩き」に感じられると思う。
それくらい、一般の人が「ハイキング」という言葉に抱くイメージは、里山歩きとか山岳観光地の遊歩道歩きなど、軽いものに偏ってしまっている。このコースでときおり耳にする「ハイキングコースだっていうのに何でこんなにきついの、もっと楽かと思った」という言葉はそれを如実に物語っている。それは山歩き・登山の愛好家や英語圏の人が用いる幅広い意味の「ハイキング」とは明らかに違ってしまっている。
本来、英語の「ハイキング」はそんなに軽いものではない。あちらでハイキングといえばアルプスを仰ぎ見ながら山麓(標高2000m前後)の山道を歩く山歩きのようなものであり、日本でいえば穂高を仰ぐ上高地〜涸沢や至仏山・燧ケ岳を仰ぐ鳩待峠〜尾瀬ヶ原の山歩きがそれに近い。

 

一方で、愛好家の用いる「ハイキング」は英語の用法ではイメージし切れていないもの、すなわち登攀具を使う登山(クライミング)を除いたすべてにまで広がりすぎている気がする。英語的ハイキングのほか、標高数百mの低山歩き、さらには登山口からの標高差が1000m以上あるような、時には岩場の鎖場(くさりば)を手足を使って通過する修験者の道のような登山道の日帰り山歩きを「ハイキング」と言ってしまったりする。そのような登山スタイルは英語圏ではおそらく想定外なのだろう。そのような日本流「登山」に「ハイキング」という語があてられてしまった。

 

だからこそ日本では山岳部が行う「クライミング」との区別の意味で、「ハイキング」のほかに古くから使われてきた「ワンダーフォーゲル(ワンゲル)」や現在の「トレッキング」「トレイルウォーキング」など、難易度の区別を念頭に置いた(本来の意味と必ずしも重ならない)言葉の置き換えが盛んに行われてきた。
しかし、そもそも日本ではなぜ「ハイキング」が一般的には普段登山をしない親が小さい子どもと行くような軽い山歩きのイメージになってしまったのだろう。こうなると1500〜2000mの中級山岳の尾根歩きに「ハイキング」という言葉は使いたくない。また、ハイキングの意味が軽くなってしまったため本来の「ハイキング」に近い尾瀬ヶ原ハイキングが「バスを降りたらすぐ木道、サンダルや革靴・パンプスで行ける」という笑えない誤解まで生じてしまった(さすがにこれはネタなのだろうか)。
最近、フッと気が付いた。一般的な日本人のハイキングのイメージを決定づけたのは、あれだ。サザエさんの「今日は楽しいハイキング」だ。あれは、本来なら「今日は楽しいピクニック」となるべきだった。

 

「ハイキング」という言葉の日本語の用例がこれだけ人によって幅広くぶれてしまっている以上、それのみではイメージを正しく伝えるコトバとしての役割は十分果たせてはいない。「里山ハイキング」「深山ハイキング」「尾根道ハイキング」「稜線ハイキング」といったように、具体的にひと言補足すれば誤解も減って親切のような気もする。
でも、たとえば「鎖場付き稜線ハイキング」とか言ったら一般の人はハイキングなのか登山なのか却って訳が分からない気がしないでもない。それに英語のハイキングから離れてしまっている気もする。ならばそのあたりの登山はひと言「ワンデイ・トレッキング」でどうだ、となるとこれまた歩く人によって同じコースが日帰りになったり一泊になったりとまちまちになることもあるため、決定的たりえない。だったら「ハード・ハイキング」「ハイグレード・ハイキング」で如何か、となると誰にとって「ハード」なのか、もう使い分けが面倒くさいことこの上ない。
だったら、いっそカタカナ語は使わず「山歩き」「登山」「登山道」とか言ったほうがイメージのブレは少なくなりそう。天園ハイキングコースであれば「天園岩尾根周遊路」とか。なにかヤケクソな先祖返りみたいになってしまったが。

 

参考までに英英辞典では次のような説明がある。
treck・・a long, hard walk lasting several days or weeks, especially in the mountains 
hiking・・the activity of taking long walks in the mountains or country 
trail・・a rough path across countryside or through a forest

 

 

 

やや傾斜のきついところは階段状に整備されている。

 

 

 

濡れていたら滑りそうな岩肌。

 

 

 

 

 

 

 

ハイキングコース上に見られる、やぐら群。
やぐらとは、中世鎌倉における武士や僧侶の墓。平地の少ない鎌倉で平地に墓を造らせることを制限した結果、このような墳墓が発達した。

 

 

 

この並びで最も大きなやぐらの内部に五輪塔が置かれている。その由緒は分からない。

 

瑞泉寺裏山の界隈ではハイキングコースを外れて踏み入ったところに多くのやぐら群(お塔やぐら、北条首やぐらなど)を見ることができるという。

 

 

 

先へ進んでいく。

 

 

 

道標のある分岐へ。

 

 

 

浄明寺の住宅街を見下ろすところまで来た。

 

 

 

瑞泉寺方面への下り。

 

 

 

 

 

 

 

天園ハイキングコースの瑞泉寺側入口に到着。

 

 

 

案内図に示された代表的なルートのほかにも今回の獅子舞や明月院奥など、さまざまなアクセスができる天園ハイキングコース。 拡大版 

 

 

 

左手に瑞泉寺の総門。右に進み、瑞泉寺境内へ。

 

 

2.瑞泉寺、二階堂・永福寺跡へ

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