まちへ、森へ。

時空に連なる、悠久の流れ

6.三殿台遺跡から弘明寺駅へ

 

5.岡村天満宮から三殿台遺跡へ、はこちら。

 

 

三殿台(さんとのだい)遺跡から地下鉄ブルーライン弘明寺(ぐみょうじ)駅へ。

 

 

 

遺跡の敷地沿いに、緩く下る。

 

 

 

敷地沿いに上り返す。

 

 

 

擁壁になっている遺跡の敷地沿いに緩く下り、道なりに進む。

 

 

 

突き当りに小さな公園。

 

 

 

右手には、学校の体育館が見える。

 

 

 

学校の敷地沿いに、左へ。

 

 

 

ここは語学教育を重視した校風でその名を知られた県立外語短大付属高と短大の跡地。外短の廃止に伴い付属高も他校と統合、廃校となった。
※現在、バス停名は「岡村西公園」に変わっている。

 

 

 

かつての正門。普段は固く閉ざされた門の向こうで、週末には少年野球の子ども達の声がグラウンドに響く。
※校地跡の西側(正門側)半分は宅地化された。東側(三殿台寄りの側)半分は「岡村西公園」(令和三・2021年4月開園)となっている。

 

 

 

正門のすぐそばに、路線バスを除き大型車進入禁止の標識がある。このあたりで標高46m。ここから、長い下り坂へ。

 

 

 

バス停はあるが、道幅はそれほど広くない。

 

 

 

どんどん下ってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

やがて道が平たんになった。標高7m。

 

 

 

大岡通り商店街に突き当たったところで、右折。

 

 

 

この道は鎌倉街道の旧道。近代(明治)以降に整備されたこの道は、保土ヶ谷宿と金沢八景を結んだ金沢道古道の道筋と重なる部分がある。

 

鎌倉街道下の道(しものみち)古道は現代に至るまでの研究によって、鎌倉から大船・永谷を経て弘明寺に至る道であったり、鎌倉から金沢を経て弘明寺に至る道であったりと、様々な推定がある。いずれにしてもそれらの道は街道として機能していたことには相違ない。

 

 

 

旧道入口の信号。ここで現在の鎌倉街道に合流する。

 

 

 

右手に南署。となりの国大付属中や留学生会館も含めて、かつてこの一帯には横浜国大工学部があった。
弘明寺(ぐみょうじ)は、旧市街地を網羅していた市電の終点でもあり旧市街地の延長にあって交通の要衝でもあった。

 

 

 

地下鉄ブルーライン弘明寺駅と、弘明寺商店街のアーケード入口に到着。

 

 

7.弘明寺駅から弘明寺観音へ

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