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「高校教師」(1993年版)謎のラストシーンと鎌倉デートのロケ地めぐり

平成5年(1993)1月から放送されたTBSの金曜ドラマ「高校教師」。放送開始当初はイロモノ的な興味が先行したであろうこのドラマは、予想を裏切るピュアなストーリー展開もあって尻上がりに視聴率を上げ、社会現象を巻き起こした。その謎めいたラストシーンは放送後から様々な解釈がなされてきた。
令和4年(2022)にはBSで再放送が実現。SNS全盛の現在、「影絵のキスシーン」(第6話)など数々の印象的な場面がYouTube、TikTokなどの動画サイトで世代を超えて今でも話題となっている。当時を知らない若い人たちがハマってくれるの、なんか嬉しい。

 

このページでは、謎めいた最終話(第11話)のラストシーンについて現在出回っている五つの解釈に飽き足らなくなったので改めてあれこれと想像してみる。
さらにストーリーの大転機となった「映画デートからの鎌倉デート」(第5話)に絡めて「鎌倉デート」のロケ地を歩いてみる。

「高校教師(1993年版)」謎のラストシーン

まずはドラマのラストシーンについて、推理小説を読み解くように考えてみたい。ドラマのロケ地はそもそも架空の設定なのだが、二人の逃避行ルートはあえて現実世界のそれということで。

 

まず新聞配達の音で目覚めた繭(二宮繭。高校二年生、17歳。演じるのは桜井幸子さん)が「嘘つき」とつぶやくシーンから。

 

 

一緒に逃げるはずの羽村先生(羽村隆夫。生物教師、32歳。演じるのは真田広之さん)がいない。先生は一体どうしようとしているのか。第一話から存分に発揮されてきた繭の観察力、直感力、突破力がここでも発揮される。
先生は自首するつもりなのか。しかし繭が「父とのすべてを話す」ことを絶対に許さない先生が繭を世間のさらし者にするリスクを冒すはずはなく、自首する可能性はない。
ではひたすら逃亡するか。繭だけを残して逃亡すればやがて及ぶであろう警察の苛烈な追及に繭だけを晒すことになるので、これも考えられない。仮に自分が捕まってしまえば自首したと同じことになる。
とすれば残る可能性は、これまでの全てのいきさつを一人心に抱えたまま自分だけが命を絶ち、事件捜査の終止符を打つこと。生物学の世界にどっぷり漬かって生きてきた羽村にとって、人間は本質的に生まれてくるときも死ぬときも孤独。繭の忌まわしい過去を自らのそして信頼する新庄の心だけに封じ込め、「普通の出会い」をしたかった繭を普通の女の子として生きていけるようにする。

 

先生は一切の打算を抜きにした、自己犠牲的な愛情表現しかできない人。千秋とのときもそう。シャイで思いやりがあって生真面目で、余程のことが無い限り相手を責めない。そんな羽村先生が繭は心底好きだった。

土曜の夜、車に乗っていた自分を繭が見たという羽村の一言が気になって様子を探りに会いに来た千秋に対し「ホテルから出るの見たわ」と冷たく言い放った繭は、「そのこと、隆夫さんに?」と動揺を隠せない千秋に対し「大好きな先生が苦しむようなこと、言う訳ないじゃない」と言わんばかりに気丈にも笑顔で首を振った。にもかかわらず、真逆な千秋は「この子も遊んでるんだ。目障りだから幻滅させてやろうかしら」とばかりに悪態をついた挙句、先生の愛情に付け込んだような捨て台詞を吐く。憎悪がめらめらと沸き上がった繭は千秋を追いかけ、突発的にエスカレーターから突き落としてしまった。その手を見つめ「あたし、何やってんだ」と困惑したようなその表情は、普段から冷静な繭がその瞬間頭が真っ白だったことを物語る。その夜公衆電話から微かに震える声で何度も羽村に電話したときや、ジャケットのボタンを付けてあげた朝の登校時には先生に千秋にやってしまったことを知られたら激怒されてしまうことが不安でたまらなかった(第2話、第3話)。千秋は繭にとって最初にして最大の難敵であり、繭が病院で千秋にひっぱたかれるまで繭と千秋の互いの後ろめたさを羽村の前でひた隠しにしての相手の出方の探り合いは序盤の見どころだった。それだけに先生に激怒されかねない状況であることは変わらないのに「春には結婚して研究室に戻る」という羽村先生に我を忘れて「行っちゃ嫌だ。あたしが突き飛ばしたのよ。だって見たんだもん」と白状したにもかかわらず先生も知っていたというまさかの展開で、それにもかかわらず千秋にすればほんの出来心だった、自分が責めなければもうきっぱり止めてくれるものと信じたい、という先生の打ち震える姿に繭は涙が止まらなかった(第3話)。

そんな先生がきっと抱え込んでいるであろう心の内が痛いほどわかる繭は当然「先生一人では死なせない。どこまでも一緒に行く」と考える。

 

 

先生の行方を知る手掛かりを得ることは、繭にとってそう難しいことではない。先生は繭のその後を託すため、必ず新庄先生に接触するはず。とすれば早朝から新庄宅に張り込んで尾行すればいい。幸い警察のマークはこの時点ではまだ先生宅には及んでいない。前日に学校から警察に任意同行し、その夜に直子宅を抜けだして先生宅に駆け込んできたため外出着は制服しかない。いったん父の元に帰っているため、先生宅には適当な服はない。

 

 

尾行の結果、繭は先生が午前11時上野駅発の信越線特急あさま(上野〜高崎〜軽井沢〜長野〜直江津。現在は長野・北陸新幹線に取って代わられている)に乗車することを突き止めることができた。父の異常な溺愛を受けていた繭はおそらく小遣いは相当与えられているので特急券を購入するための持ち合わせも問題ない。あるいは先生がまとまったお金を置いていったかもしれない。

 

あとは直江津に到着するまでのどこかで先生の前に姿を現すだけ。このとき、繭は先生の覚悟を悟っており、自身も先生と心中する覚悟を決めている。繭の静かな怒りの顔は「あたしを置いてなんで一人で死のうとしてんのよ」という顔のように見える。羽村の「何でここにいるんだ。何でわかったんだ。やっぱり君の方が一枚上手だな」と呆然としつつも観念したような表情。「ふふん」とほくそ笑む繭。そして、心中の手段はおそらく睡眠薬。ドラマ最終話が与えるであろう社会的影響の大きさを慮ってぼかしたのだろう。第一話のモデル手配に見られるように繭は父のマネージャー的な役目も果たしていたので、父のために処方された睡眠薬を自分用にも所持していたという設定は不自然とは言えない。あるいは「死ぬ勇気がない」先生は繭の立場を守るために突き放そうとして憔悴していた頃(第7話)に睡眠薬を処方してもらっていたかもしれないのでそれを持ってきて眠るように、という線もありうる。

 

 

繭が先生の前に姿を現したところでBGMはそれまでの繭との思い出を振り返った主題歌のサントラから「仰げば尊し」に切り替わる。これは「苦悩を抱えて生きてきた二人の、それまでの人生からの卒業式」を暗喩している(だからこそ繭が私服ではなく制服なのはかえって都合がよかった)。そして二人は特急の車中で二人だけの無邪気で幸せな最後のひとときを過ごす。

 

 

車窓の風景から察するに、繭が姿を現したのは北関東・関東平野北端のどこかで、駅弁をほおばっているのは信州北部のどこかだろう。
一方で警察は繭を取り逃がしたことからその身辺を洗い、タクシー運転手の証言も併せて先生が事件の重要参考人であることを突き止める。そこで緊急に二人の手配書を用意して上越線(上野〜高崎〜長岡〜新潟。当時から上越新幹線が並行する)越後川口駅(おそらく先生の故郷の最寄り駅。海からやや遠く、鎌倉デートでの先生の発言にも合致する)での身柄確保を試みる。
あさま号が直江津(新潟県上越市)に到着するのは午後3時過ぎ。
(ちなみに上越市の上越は旧国名「越後国」における地域区分である上越・中越・下越の上越。京都に近い方が上越となる。これに対して上越線・上越新幹線の上越は上州(旧上野国)と越州(旧越後国)とを結ぶ路線、の意味)

 

 

羽村の想定外で繭が現れたので二人は本数の少ない普通列車(新潟方面)に乗り換え、先生は繭に鎌倉デート以来の約束であった先生の故郷近くの海をJR信越本線・青海川(おうみがわ)駅ホームから見せることができた。
あるいは羽村は心のどこかで繭が現れることを期待していたのかもしれない。次から次へと湧き上がる繭との思い出を懸命に振り切ろうとして顔を洗っていた特急列車の洗面所で「先生」という幻聴にハッとしている。

 

 

そして二人は再び普通列車(長岡行。長岡到着までおよそ1時間)に乗り込み、赤い糸を結びあって大量の睡眠薬を服用し、寄り添うように永遠の眠りについた。繭の手が肘掛けからだらんと落ちたのは心中を想起させる演出。

 

このような流れであれば、最初は眠っているだけと思っていた車掌が二人の心中を思わせるようなただならぬ様子に気付き病院への緊急搬送を手配したかもしれない。昼食の駅弁からかなり時間が経った空腹時の服用であり服用してからの時間もさほど経過していないため、胃を洗浄して二人とも一命をとりとめたという可能性は残る。

 

この場合、二人はマスコミや世間の好奇の目の餌食となって苦難の道のりが待ち受けているであろう。しかし「君をさらし者にしたくない」と願う羽村以上に、繭の心は強かった。
どんな噂がたっても気にしないよと言い切り(第6話)、年上女性とのマウント合戦にも平然としているが話の展開が先生の心の内次第となるとその表情から不安を隠せない(第2話、第8話)。繭にとっては電気に打たれたように「この先生ならきっとあたしのことを」と信じた先生が、自分を必要とし過去の自分を含めて受け止めてくれるか否かが全て。だからこそ羽村の「先生、やっぱり」な発言に一度は絶望し「ごめんなさい。ウチに帰ります」となった。先生に渡したピンクのヒヤシンス(風信子。花言葉は「しとやかな可愛らしさ」)がしおれてしまったのはその暗喩(第10話)。
これまでも気を失って倒れた直子の診察結果を待つ病院待合室での会話(第7話)や「助けて」の真意を問う屋上の会話(第8話)など肝心な場面で繭を気遣ってあげられないデリカシーのない少年のような態度を繰り返してきた羽村先生の腹は、果たしてここに来て据わっているだろうか。繭を包み込める存在となれるかは心中を図った前後で大きく変わった、と思いたい。

 

羽村が繭に甘えてもたれるように寄り添うラストシーンの姿は、第一話「心配いらないよ、あたしがいるもん。あたしが全部守ってあげるよ」という台詞の、形を変えたリフレインを思わせる。純粋で傷つきやすい少年がそのまま大人になったような羽村先生は口のクリームを拭いてもらわなくたって「どっちが大人だかわかんない」のだ。繭の第一話の台詞は何度も何度も繭の行動として表され、一命をとりとめたならば続いていくであろう過酷な現実を予感させるラストシーンで壮大に回収された。

 

 

脚本家はプロデューサーほかあらゆる受け手の側に物語の解釈を委ねているので、後出しじゃんけんを承知の上で自分の解釈としては敢えて「心中を図った二人は結局一命をとりとめた」と考えたい。

 

高校教師(2003年版)には藤村先生が再登場する。1993年版ではなんだかんだで藤村は羽村の理解者だった。「羽村先生、二宮のこと本当に好きなんですね」と話しかけた藤村は前日の見回りで「繭!何やってんだ、降りなさい」と、とっさに繭の名を叫び本当の自分をさらけ出した羽村を目の当たりにしている(第7話)。2003年版の最終話では死に際の藤村に「10年前にいた生物教師は一人の女子生徒に救われた。いや、彼が救ったといってもいい」と語らせている。
抽象的な表現であり羽村と繭の生死は明らかになっていない。ただ心中を遂げたのであれば事件の客観的事実は「恋仲の教師と生徒が生徒を連れて海外移住しようとした父親を刺殺し心中した」ことに尽きる。その動機は父に従いたくない生徒を救うために刺したと推測されるにとどまるだろう。そこに教師が死してなお生徒に救われたという要素を読み取るのは少々無理がある。藤村は羽村と繭が互いを好きだったことは知っているがその背景は知らない。藤村は羽村が面倒になって繭を棄てたとも思っていた(第9話)。

 

心中を遂げたうえで羽村が繭に救われたと感じさせるのはどんな場合だろうか。羽村が受けたおぞましい仕打ちの数々(第4話)による人知れぬ苦悩にいつも繭が寄り添ったことが二人の距離を縮めたことは誰も知らない。
こうなってくると他の事情を基に背景を掘り下げるしかない。繭を呪縛する父の溺愛への激しい憎悪と嫉妬(第10話)から羽村を解き放ったことが救いだったとすれば、心中既遂もありだろう。しかし羽村が特急車内で破った繭の羽村宛の手紙はそのまま所持していれば心中後とはいえ世の中に父娘の関係が明らかにされてしまうので、死してなお自分たちの尊厳を守るため回収される恐れのない海に投棄したであろう。羽村という男はそういう人。そうなると繭と父との関係を知るのは新庄のみ。藤村が新庄から事実を知ることはそれまでの物語の展開上考えにくい。
とすれば藤村が「彼は女子生徒に救われた、いや救った」と回顧したのは心中が未遂に終わり繭と父の関係が事件の一因となったことが明るみに出たことによる、と考えることがもっとも素直といえないだろうか。

 

その後の二人はどうなっただろうか。二人には風の歌が聞こえている。しかしそれが、何処から来て何処へ流れていくのか、二人は知らない(最後の一文は単行本の結末のオマージュ(のふりをしたパクリ)です。てへ)。

繭と羽村先生の鎌倉デート、ロケ地歩き。

 

 

「今度の日曜ね、映画連れてって。用ある?」「別に用はないけど」「動物園行ったでしょ?」「行ったけど」「じゃあね、こうしようよ。明日千五百計るの、体育の時間。それでもしあたしが一等取ったら行くの」「勝手に決めるなよ」「でも何か理由が欲しいでしょ?」「・・・一等取ったらな」「うん!」

 

 

「もう勝った気でいるよ」
繭が嬉しそうに「何見るかな」と「ぴあ」をチェックしながら選んだのは「追憶(THE WAY WE WERE)」。「羽村先生もこれなら楽しめるかな」と20年も前(1973)の作品を選ぶあたり、さすがに繭のセンスはかなり大人びている。しかもその内容がどこか悲哀を感じさせる恋愛映画というあたりも、ドラマにぴったり。

 

 

「海行きたい」「えぇ?これから行ったら帰り夜になっちゃうよ」「いいじゃない、せっかくの休みなんだから」
ポスターをじっと見つめていた繭。あの映画を観ていたらその印象深いシーンの余韻で海に行きたくなっちゃうのも、分かる。でも、吉祥寺から海はさすがに遠い。
当時なら井の頭線の急行で渋谷に出て山手線で品川に回って、横須賀線か。今なら渋谷から東横線の特急があるが当時の東横線は「急行」という名の隔駅停車しかないし、中央線で東京に出ると横須賀線ホームへの乗り換えがモグラのようだし。裏ワザとしては東京で東海道線に乗り、途中の戸塚(横浜市戸塚区)で同一ホームの対面乗り換えを使って横須賀線に乗り換える手もある。知っていればこれが一番早いが繭も羽村先生も知らないだろう。研究室仲間の樋口なら知っているだろうが(奴の名は禁句。でも結果的に性悪の千秋と縁が切れたのだから結果オーライ)。

 

 

「なるべく早く帰ろうな」「うん」「でも考えてみると久々だな、海なんか見るの」

 

 

JR横須賀線・北鎌倉駅は海から遠く、むしろ尾根歩きの天園ハイキングコース、鎌倉五山めぐりといった「山の鎌倉」の最寄り駅だがそこはドラマ。なんといっても北鎌倉というしっとりした響きの良さといい、やっぱり北鎌倉という舞台は映える。

 

 

ドラマでは土砂降りの終電間際、姿を見せない繭を気にして行ったり来たりする羽村先生の姿とともに駅前の向こう側(この画像では切れてしまった左手側)に交番が映っていた。

 

 

「先生の田舎には海ないの?」「そんなに近くじゃないけどあるよ。けど、太平洋側と日本海じゃ、全く違う気がするな」

 

 

江ノ電・七里ヶ浜駅そばの行合橋(ゆきあいばし)から七里ヶ浜の海岸を鎌倉高校前駅方面へ。江の島の右手に見える岬は小動岬(こゆるぎみさき)。

 

 

行合川河口付近から逗子・葉山方面を振り返る。堤防の上は七里ヶ浜海岸駐車場。

 

 

ドラマ放送当時(1993)と比べると砂浜は痩せてきている(相模湾全般に言えることだが)。さらに海岸沿いの堤防は道路の拡幅・災害への備えのために海側に張り出して増強され、その分も狭くなった。

 

 

「どんな風に?」「もっと冷たい感じがする。水とか空気の話だけじゃなくて」「どっちの海が好き?」「そりゃ、新潟の海さ」「あたしも見てみたいな。ねぇ、いつか連れてって」

 

 

「連れてけっ」「おぃ、あっ、冷てっ」

 

 

駐車場の堤防の奥は稲村ヶ崎。鎌倉中心部の由比ヶ浜、材木座海岸は稲村ヶ崎に隠れて見えない。白い高層建築は逗子マリーナ。マリーナの右手の岬(大崎)の上には大崎公園が広がる。岬の奥の山は森戸川源流部(葉山、逗子)の二子山。アンテナが建っているのは上二子山(208m)。

 

ちなみにこの画像は高倍率のズーム。ドラマのシーンも望遠を利用した圧縮効果により背後の山が人物の背景に大きく映り込むことで、映像が強く印象に残る。ぱっと見た瞬間、七里ヶ浜からとは思えないような風景を圧縮効果を巧みに使って映し取ったカメラワーク、さすがプロのカメラマンさんだ。

 

 

こちらは広角の画像。実際には七里ヶ浜から三浦半島の山並みはかなり小さく見える。このページを作るにあたり、自分も最初は「このシーンだけは逗子海岸(大崎公園の岬の向こう側)で別撮り?」と思ってしまった。ぱっと見で七里ヶ浜からの望遠と分かるのは足繁く通う地元の人たちくらいだろう。

 

 

「連れてくかっ」「わかった、わかったよ」

 

 

「せーのっ」

 

 

ドラマ当時の道路標識や大半の建物が変わっているが、目印となる高台の建物や外観のリフォームにとどまる建物が撮影場所のヒント。

 

 

江の島と小動岬。行合橋から見るよりも両者の距離が近くなった。

 

 

すぐそばの階段を上がると、鎌倉高校前駅の駅前信号(信号看板は鎌倉高校駅前と表記されている)。

 

 

江ノ電・鎌倉高校前駅ホームから見る鎌倉の海。こちらは七里ヶ浜駅、稲村ヶ崎駅、鎌倉駅方面。

 

 

江の島。こちらは江ノ島駅、藤沢駅方面。
多分ドラマのスタッフの方々も、二人が降り立つ駅を鎌倉高校前にするか思い切って北鎌倉にするか迷ったのではないかな、と妄想してみる。もし鎌倉デートの冒頭で鎌倉高校前のホームを使っていたら、最終話ラストシーンのJR信越本線・青海川駅との対比という意味で、これまた印象深いものになっていたかもしれない。

 

 

「先生」「ん?」「あたし、もうちょっといたいな」

 

 

ここは「鎌倉海浜公園 稲村ガ崎地区」。通称「稲村ヶ崎公園」。最寄りの稲村ヶ崎駅は鎌倉高校前駅からは鎌倉駅方面へ二駅め(七里ヶ浜駅の次)。
左手の銅像は「逗子開成中学 ボート遭難の碑」。右手の白い像は国道134号線沿いから最近になって移設されたばかりの「西田幾多郎博士記念歌碑」。

 

 

「そういうわけにはいかないよ、また今度機会があったらにしよう、ね。もう遅いし」「ねぇ、ちょっとその時計みせて」

 

 

このシーン、日中はこのような景色。階段の上はあずまやの建つ展望台に通じている。夜景はさぞかしロマンチックなんでしょうね。いいなぁ。

 

 

「なっ、何するんだよ、どうしてこういうことするんだよ」「だって、時計ばっかり見てるんだもん、帰りばっかり気にしてるんだもん」

 

 

繭が羽村先生の腕時計を投げ捨てた磯は階段から下りていける。

 

 

 

 

同じことをもし羽村先生がすれば腕時計は海までいっちゃったかもしれない。

 

 

「あたし、今日は帰らない」「いい加減にしろよ」「一人でも帰らない」「いい加減にしろ。ならもう勝手にしろよ、先に帰る」

 

 

道路を挟んだ向かいの老舗レストラン「MAIN(メイン)」は1993年当時とは建物が変わり、現在では併設された「稲村ヶ崎温泉」を主としたうえでレストランも営業している。
メインは1968(昭和43)創業とのことで、「ワイドミリオン神奈川10,000」(1989・平成元年発行)にも「レストラン メイン」の名で載っていた。

 

二人が食事をしていたレストランはここか134号線沿いのどこかではないか、と思ったのだが結局分からなかった。いずれにしても今はもう当時の建物は無いかもしれない。
第5話エンドロールのロケ協力に挙がっているレストランらしき名(二か所。もう一か所は藤村先生とナオが土曜の夜に食事をしていた、デートとはいえないアレ)も一応検索してみたが、現在ではヒットしなかった。なおそのうちの一つである「小谷津」だが「谷戸(やと)」を表す「谷津(やつ)」という表現は房総方面でみられる表現で鎌倉周辺では「やつ」を「谷(やつ)」と一文字で表現する。ひょっとすると「小谷津」というのは日向女子高校のロケ地となった日本基督教短期大学(千葉市稲毛区。現在は廃校となりキャンパスも消滅)の近くにあったのだろうか。

 

ちなみに現実世界ではここからの最寄りとなる江ノ電・稲村ヶ崎駅は徒歩およそ5分。

 

 

まち歩き、鎌倉高校前駅から七里ヶ浜、稲村ヶ崎へ

「高校教師」DVD-BOX、「追憶(THE WAY WE WERE)」

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