令和4年(2022)7月上旬の週末、七里ヶ浜〜稲村ヶ崎を歩く。
この年は観測史上記録的な早さで6月下旬に梅雨明け。関東でも一週間にわたり猛暑日が連続するという暑さに見舞われた。ところが7月初頭を過ぎると暑さが和らぎ、戻り梅雨のような曇天に。七夕の頃はまずまずの天気となった。
3.鎌倉高校前駅から七里ヶ浜、稲村ヶ崎へ
江ノ電・鎌倉高校前駅から七里ヶ浜に下りて砂浜を歩く。行合川河口付近で国道134号に上がり七里ヶ浜駅へ。そこから電車で稲村ヶ崎駅へ移動、稲村ヶ崎までを歩く。


江ノ電・鎌倉高校前駅ホーム。こちらは江の島・藤沢方面。


こちらは七里ヶ浜・稲村ケ崎・鎌倉方面。


鎌倉高校前駅から七里ヶ浜へ。
横断歩道を渡って堤防の階段を下りていく。


七里ヶ浜。奥は三浦半島。


堤防はかなりの高さがある。
近年になって相次ぐ大型台風からの防災、国道134号の拡幅など様々な課題を解消するため、新たな堤防が数年前に増強されたばかり。


江の島と小動岬(こゆるぎみさき)。


ロケ地としても有名な七里ヶ浜。自分にとっては懐かしの金曜ドラマ「高校教師」(1993)が印象深い。
謎のラストシーンの解釈、鎌倉デートのロケ地歩きはこちらのページへ。


七里ヶ浜からの三浦半島。


高倍率ズームで捉えてみる。逗子・葉山の森戸川源流部の山、二子山(208m)。展望の良い公園が岬の上に広がる大崎。そして逗子マリーナの高層棟。


堤防沿いを歩く人たちが小さく見える。


七里ヶ浜は沖が岩礁(リーフ)になっているのでよく波が立つ。サーフィンにはうってつけだが、海水浴向けではない。




行合川(ゆきあいがわ)河口の向こうは七里ヶ浜海岸駐車場の堤防。


堤防の下は、ちょっと歩けない。


行合川河口で上に上がり七里ヶ浜駅から稲村ヶ崎駅まで、一駅分だがこのときは「江の島・鎌倉フリーパス」を利用していたので電車で移動する。
江の島・鎌倉フリーパスは江ノ電全線と小田急・藤沢〜片瀬江ノ島のみが乗り降り自由(湘南モノレールとJR・大船〜鎌倉は対象外)。


めったに来ない、木製床のレトロな車両(300形)に遭遇。ラッキー。


稲村ヶ崎駅から国道134号線・稲村ヶ崎駅入口に出る。


江の島。稲村ヶ崎周辺の海岸は磯場になっている。


稲村ヶ崎へ。
現在では国道134号を通すために稲村ヶ崎から内陸に延びる尾根は削られているが、鎌倉時代には鎌倉への侵入を防ぐ壁になっていた。


極楽寺川河口の向こうに稲村ヶ崎。その周辺は公園になっている。


「鎌倉海浜公園 稲村ガ崎地区」。通称、稲村ヶ崎公園。


広場から階段を上がっていくと、あずまやの建つ展望台。


「かながわの景勝50選」の碑。


新田義貞渡渉伝説地の碑と明治天皇の歌碑。
鎌倉時代の末期、討幕軍を率いた新田義貞は鎌倉の街に攻め入ろうと極楽寺切通(ごくらくじ きりどおし)の突破を試みるが果たせなかった。結局、干潮や潮の流れなど好条件が重なったことで稲村ヶ崎の磯場を突破することに成功。これが鎌倉陥落のきっかけとなった。


「稲村ヶ崎」の碑。
伝説では新田義貞が海神に祈りを捧げながら後醍醐天皇から授かった黄金の太刀を海中に投げ入れたところ潮が引き始めた、となる。


フェンス越しに見下ろす磯場。


磯場に下りてみる。




極楽寺川河口付近から江の島。


砕け散る波濤。


鎌倉の市中、由比ヶ浜へと続く磯場。




階段の上から海を眺める。左に「開成中学ボート遭難の碑」、右に「西田幾多郎博士歌碑」。
ボート遭難碑(遭難した兄弟のブロンズ像)が建てられたのは昭和39年(1964)。明治43年(1910)海軍払い下げのカッターで逗子・江の島の往復を決行した中学生たちが荒天により七里ヶ浜沖で遭難、全員が亡くなるという事故だった。
歌碑は晩年を稲村ヶ崎で過ごした近代期の哲学者、西田幾多郎が七里ヶ浜と伊豆の山々の夕景を詠んだ歌が刻まれている。


西田幾多郎博士歌碑は元々は海を臨む134号線沿いに建っていたが、台風被害を受けてこちらに移設されたばかり。


稲村ヶ崎公園から駅に戻り、極楽寺駅へ。道路を挟んだ向かいには「稲村ヶ崎温泉」の建物。老舗のレストラン「MAIN(メイン)」として半世紀以上(1968〜)営業しているが、温泉が出てからは日帰り温泉の方が営業の主力となっている。


駅への途中で近道に入らずに真っすぐに進むと、「十一人塚」の碑が建っている。
こちらの碑も新田義貞の鎌倉攻めにまつわる碑。新田軍の大館宗氏率いる主従が極楽寺切通の攻防戦で奮戦し討死あるいは自刃。ここはその霊を供養する塚となる。


稲村ヶ崎駅から一駅で極楽寺駅に到着。
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