2.「こどもの国」鳥獣保護区(白鳥湖、イサム・ノグチ作品群、吊橋)へ
「こどもの国」あるきの続き。「無名戦士の碑」から梅林を抜けて尾根上の外周道路に上がる。下って白鳥湖、桜堤から再び登って椿の森、イサム・ノグチ作品群へと下る。その先は中央広場付近から吊橋へ。
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「こどもの国」あるき

令和四年(2022)の10月下旬。秋晴れの散策日和、久々の森歩きへ。今回は「こどもの国」(横浜市青葉区・東京都町田市)へと出向く。

 

2.「こどもの国」鳥獣保護区(白鳥湖、イサム・ノグチ作品群、吊橋)へ

 

「こどもの国」あるきの続き。「無名戦士の碑」から梅林を抜けて尾根上の外周道路に上がる。下って白鳥湖、桜堤から再び登って椿の森、イサム・ノグチ作品群へと下る。その先は中央広場付近から吊橋へ。

 

1.正面入口からこどもの国牧場、田奈弾薬庫遺構へはこちら。

 

 

内周道路の「無名戦士の記念碑」前から梅林を抜けて登ってきたあたり。

 

 

 

尾根伝いの外周道路を進む。

 

 

 

舗装路の園路は、手軽な森歩きの径。

 

 

 

バーベキュー場・野外炊事場を見下ろす。

 

 

 

陽光に煌めくメタセコイアの木々も、あとひと月もすれば黄葉の季節を迎える。

 

 

 

208番のポスト付近から白鳥湖に下りてゆく。

 

 

 

白鳥湖の畔に下ってきた。

 

 

 

白鳥湖。開園に合わせて造られたこの池は、元々は弾薬庫が設けられていた谷戸。弾薬庫入口跡は水面下に沈んでいる。

 

 

 

「ふれあいまなび館」のパネル展示(黄文字加工はサイト管理者)。

 

 

 

ドラム缶いかだ。奥にはドラム缶橋。

 

 

 

浮橋のドラム缶橋は、ギシギシと軋む。

 

 

 

音につられたのか、一羽の白鳥がやって来た。餌でももらえると思ったのかな。

 

 

 

反り橋の「めがね橋」を渡り、ビジターセンターへ。

 

 

 

奥の森は立入禁止の自然保護区。

 

 

 

ビジターセンター前のボートのりば。

 

 

 

ビジターセンターからは桜堤に沿って外周道路に上がり、椿の森を下ってイサム・ノグチの作品となる遊具を見て廻る。

 

 

 

白鳥湖畔の桜堤。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンクリートの構造物二基は、弾薬庫の換気塔。

 

 

 

このような換気塔が弾薬庫ごとに2〜6個付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

再び外周道路。

 

 

 

五葉松の枝越しに見上げる高い空にはいわし雲(うろこ雲)が広がる。漂う秋の気配。

 

 

 

204番ポストのあたりから「椿の森」へ、滑り止めの刻まれた急坂を下る。

 

 

 

椿の花の季節ではなかったが、「鳴海潟(なるみがた)」という品種の山茶花(サザンカ)が咲いていたので、一枚。

 

 

 

椿の森の案内板。

 

 

 

鳥獣保護区の案内板。
こどもの遊べる遊具のある広場や牧場のエリアは横浜市青葉区奈良町(ならちょう)、白鳥湖や吊橋の周辺といった鳥獣保護区のエリアは東京都町田市三輪町(みわまち)となる。

 

 

遊べる彫刻、オクテトラ。
作者は日露戦争の頃から昭和の終わりまでの時代を生きた日系アメリカ人の彫刻家・商業デザイナー、イサム・ノグチ(1904〜1988)。

 

 

 

案内板によると、オクテトラとはギリシャ語のオクタ(8)とテトラ(4)を組み合わせた造語。同様のものは全国各地の公園に置かれた。イサム・ノグチ本人が手掛けたオクテトラはここのほかには札幌や香川など数か所にしかない、とある。

 

 

 

児童センター前の、丸山。

 

 

 

こちらもイサム・ノグチによる遊べる彫刻。案内板によると開園当初は丸山を囲むようにして屋根付き休憩所のような児童館が建っていた、とある。

 

 

 

イサム・ノグチの設計による、アーチ型エントランス。児童遊園のエリアで開園の頃から残っているのはこのエントランスと丸山、オクテトラの三点のみ。

 

 

 

緑色の扉の中は当初はトイレだったというが現在は倉庫として使用されている。

 

 

 

児童遊園の入口。

 

 

 

屋外プールの横を抜けて、吊橋へ。

 

 

 

赤い大屋根の平成記念館。旧皇太子記念館が令和三年(2021)に大規模にリニューアル、名前も新たになった。

 

 

 

中央広場。
左手には令和二年(2020)に完成したばかりの「ふれあいまなび館」。館内には開園前に皇太子殿下・美智子妃殿下が当地を視察された際のモノクロ写真や田奈弾薬庫時代の詳細な空撮写真などのパネル展示がある。

 

展示によると、当初「こどもの国」の候補地は3つあった。
1.埼玉県朝霞の米軍キャンプ・ドレイクの一部「根津パーク」(米軍が利用していない)
2.藤沢市辻堂の旧海軍演習地(戦後米軍に接収、1959年に返還)
3.田奈弾薬庫跡地(現在のこどもの国)

 

田奈弾薬庫跡地に決定した理由は次の通り。
1.低い丘陵の多い特殊な地形であり、これを利用すれば将来周辺一帯が市街化されても比較的良好な自然環境を保ちやすい。
2.敷地全体が樹木で覆われ、こどもたちを豊かな緑の中で遊ばせることができる。
3.良質で豊富な井戸水。
4.都心からのアクセス。

 

 

 

内周道路から吊橋へ。

 

 

 

吊橋周辺の案内図。

 

 

 

木段を登っていく。

 

 

 

がっしりとした主塔。

 

 

 

長さはおよそ40mあるが、それほどは揺れない。

 

 

 

橋が跨ぐのは緑陰広場と蓮池を結ぶ園路。

 

 

 

 

 

 

 

このエリアも里山の風情が残っている。真っすぐ進んだ先で突き当りの舗装路を左折。

 

 

 

テニスコートの前へと下るには右手の道へ入っていくのが近い。

 

 

 

ちょっとした広場を抜けて。

 

 

 

階段を下っていく。

 

 

 

テニスコート前に出た。

 

 

 

チャレンジサイクルの横を進む。

 

 

 

サイクリングコースを跨ぐ橋を渡ると、臨時駐車場からの牧場口。

 

 

 

3時間ほど歩き回って、最後にミルクプラント売店で特別牛乳「サングリーン」を購入し、今回の散策は終了。

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