まちへ、森へ。

大磯丘陵めぐり歩き

令和二年(2020)1月下旬、冬晴れの大磯丘陵を西から東へと歩く。

 

スタートは神奈川県二宮町(にのみやまち)・吾妻山公園。富士山を背景に早咲きの菜の花が咲き競う吾妻山(136m)に登る。
山頂からは中里口に下りて打越川(葛川支流)沿いに二宮の街中を抜けて「みかんの花咲く道」へ。町境を超え、大磯町(おおいそまち)北部の丘陵を歩いて鷹取山(219m)へ向かう。

 

鷹取山からは「関東ふれあいの道」を下って丘陵を歩き、市町境を超えて「湘南平・霧降り渓流のみち」へと繋いで平塚市・万田(まんだ)滝坂公園そばの湘南平登り口へ。
湘南平(しょうなんだいら。千畳敷、泡垂山・あわたらやま。180m)に登り、山頂から浅間山(せんげんやま。181m)、高麗山(こまやま。168m)へと歩いて高来神社(たかくじんじゃ)から大磯駅に戻る。

 

1.二宮・吾妻山公園の菜の花

 

 

午前9時10分ごろ、JR二宮駅北口の駅前観光案内所。

 

 

 

案内所の裏から坂を登り、公園の役場口へ。

 

 

 

二宮の町を見下ろす。

 

 

 

スイセンの花真っ盛りの園路。

 

 

 

 

 

 

 

つつじ園。

 

 

 

浅間神社(せんげんじんじゃ)に立ち寄る。

 

 

 

拝殿。

 

関東各地でみられる、富士浅間信仰のお社。こちらの由緒は鎌倉時代初頭の「曽我の仇討」にまつわる。
案内板によると、曽我兄弟による仇討ちに際して姉の花月尼がその成功を富士浅間神社に祈り仇討ちが成就すると感謝の意を込めてこの地に浅間神社を祀った、とある。

 

 

 

海と丘陵に挟まれた風光明媚な二宮・大磯の町。

 

 

 

ローラー滑り台。

 

 

 

吾妻神社へ。

 

 

 

吾妻神社の拝殿。

 

 

 

本殿。祭神は弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)。

 

 

 

吾妻神社には古事記・日本書紀の「ヤマトタケル東征伝説」にまつわる由緒がある。

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)は東国に遠征のおり、横須賀・走水(はしりみず)で暴風雨に遭遇。海神の怒りを鎮めるために妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)が入水し、嵐は収まった。

その後、当地に弟橘媛の小袖と櫛が漂着。小袖の漂着した海岸を「袖が浦」、櫛を埋めた地を埋沢(現在の梅沢)と称した(新編相模国風土記稿巻之四十淘綾郡巻之二・二ノ宮庄山西村)。こうした伝説は南関東の各地に伝わっている。

 

日本武尊が東征を終えて都に戻る際、足柄峠で相模の海を振り返り「あづまはや(ああ、吾が妻よ)」と嘆いたことから東国(関東)が「吾妻(あづま・あずま)」と呼ばれるようになった、とされる。

「あづまはや」の地についても記紀の記述をもとに比定された足柄峠、碓氷峠(群馬・長野県境)のほか、箱根の碓氷峠(明神ヶ岳の近く)など学説が様々に提唱されている。

 

 

 

鳥居の向こうに広がる海。

 

 

 

山頂へ。

 

 

 

9時50分ごろ、吾妻山の山頂・芝生広場に到着。

 

 

 

相模湾を一望。

 

 

 

山頂を取り巻くように広がる菜の花畑。

 

 

 

そして、富士山。

 

吾妻山公園といえば、この眺めをおいて他にない。

 

 

 

 

 

 

 

箱根の山々。

 

 

 

広がる西湘(せいしょう)の街並み、そして大海原。

 

 

 

端正な姿の大山に、丹沢の峰々。

 

 

 

午前10時15分ごろ、中里口に向けて下山開始。

 

 

 

 

 

 

 

舗装路をくねくねと下っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山頂から1kmほど下り、中里口に到着。左折して旧道を進んでいく。

 

 

2.吾妻山公園・中里口から鷹取山へ

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