平成29年(2017)7月下旬の週末。湧水と大社の町・三島をめぐり、箱根旧街道西坂から山中城跡、箱根峠・箱根関所を歩く。
1.三島湧水群と旧東海道三島宿
静岡・三島のまち歩きから箱根八里・西坂を登る山歩きへ。三島市街地では湧水と溶岩流の痕跡を観て歩き、旧三島宿の旧跡をめぐりながら三島大社へと向かう。
時刻は朝八時。小田原から東海道線でおよそ40分、中伊豆・西伊豆の玄関口となるJR三島駅南口。JRの駅舎はすそを広げた富士山をイメージしたような駅舎。
三島駅はJR東海エリアのためSuica,PASMOといったICカードは改札を通過できない。JR東日本エリアからICカードで乗車してきた乗客のために改札手前に精算機が用意されている。
駅前のせせらぎ。このせせらぎは「街中がせせらぎ事業」の「湧水モニュメント」として整備された。
まずは駅前から菰池公園へ。その先は白滝公園、鎌倉古道を経て三嶋大社と巡っていく。
街の至るところに見られる案内板。
菰池公園(こもいけ こうえん)に到着。
この池に湧く水は桜川(大場川・狩野川支流)の水源となっており、街なかに川の源があることになる。
菰池公園から桜川に沿って、白滝公園へ。
清らかな流れ。
白滝公園(水泉園)に到着。
こちらも桜川の水源。
三島市北部は、約1万年前の富士山噴火で流れ出した溶岩が大地をつくっている。三島の湧水は三島溶岩流の末端から溢れる富士山伏流水の湧水。
清冽な湧水は夏でもひんやりと冷たい。
湧水が桜川へと注ぐ。
瑞々しく苔むしたケヤキ。
園内の溶岩。
大木が溶岩にがっしりと根を張っている。
ミニ溶岩塚。頂部には溶岩が膨らんでプシュっと破けた亀裂が入っている。
溶岩塚の下方には、ほとばしる溶岩が流れ下っていった跡が残る。
縄状溶岩。冷えた溶岩の表面が内側のドロドロした溶岩の流れに引っ張られて、しめ縄のようなしわをつくる。
縄状溶岩の下からも伏流水が湧き出している。
街なかに見る、火山活動の痕跡。
参考・伊豆半島ジオパーク公式サイト。
至るところ、溶岩だらけの園内。
からくり人形「めぐみの子」。
夏でも冷たい、富士山の伏流水。
白滝公園からは桜川に沿って三嶋大社へと向かうのが推奨散策ルートだが、ここは旧東海道三島宿の名残りを求めて三島のメインストリートから鎌倉古道をたどって行く。
メインストリートから脇道に逸れて浅間神社へ立ち寄る。
伊豆国二宮、浅間神社(せんげん じんじゃ)。富士浅間(ふじせんげん)信仰の祭神、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀る。
江戸時代、富士講の登山者はまずこのお社に詣でたという。
通りに戻り、先へと進む。
長圓寺(ちょうえんじ)の山門(赤門)。この門は旧東海道三島宿・世古(せこ)本陣の門が移築されたもの。
三島宿には二軒の本陣があった。この山門は市街化著しい三島にあって、三島宿の名残りをしっかりと伝えている。
三島信用金庫本店の角を左折、狭い道に入っていく。
この道筋は鎌倉古道(京鎌倉往還。中世の東海道)と推定される。
少し歩いた先の角を左に入ると圓明寺。
圓明寺(えんみょうじ)山門。こちらはもう一軒の本陣であった樋口本陣の門と伝わる。
江戸時代、宿場町に在って門構(もんがまえ)を設けることが許された商家は原則として本陣だけだった。
御殿川に架かる赤橋(あかはし)。案内板を見ると豆州三島と駿州沼津の五か所に架かっている駿豆五色橋(すんず ごしきばし)のひとつ、とある。
祓所神社(はらえどじんじゃ。はらいどじんじゃ)に到着。三嶋大社の末社であり、三嶋大社の境内に隣接する。
お社は池の中之島に建っている。石橋はかなり古そう。
旧東海道との交差点、大社町西へ。
旧東海道に沿って三嶋大社へ。
広重「東海道五十三次之内 三島朝霧」(保永堂版)。
三島大社鳥居前の往来を描く。
豊国「東海道 三嶋」。
三嶋大社の門前町と大名行列。
立祥(二代目広重)「東海道五十三駅 三嶋雪中」。
三島宿内では幾つもの湧水の川を橋で渡る。この川はどこのものを描いたものだろうか。
豊国「東海道五十三次の内 三島おせん」。
三島とくれば、お馴染み「男はつらいよ」寅さんの啖呵売(たんかばい)。「一つ、ものの始まりが一ならば国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島・・・」で始まり、「続いた数字が三。三、三、六法で引け目がない、産で死んだが三島のおせん、おせんばかりが女ごじゃあないよ・・・」
画像出典・以上四点とも国立国会図書館デジタルコレクション。
2.三嶋大社
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