平成29年(2017)の大型連休前半。表丹沢(おもて たんざわ)の南麓・秦野(はだの)盆地の南側に隆起する渋沢(しぶさわ)丘陵をめぐり歩き、秦野盆地湧水群や震生湖(しんせいこ)、頭高山(ずっこうやま)などを訪れる。
2.渋沢丘陵から頭高山へ
渋沢丘陵から丘陵の西側、ハイキング好適地の頭高山へ。頭高山周辺の千村地区は食用の桜花の栽培が盛ん。頭高山からは白山神社、若竹の泉と巡り、渋沢駅へ。山土産は秦野の蔵元・金井酒造店の「白笹鼓」純米。
秦野市・栃窪会館前の道標。ここから頭高山(ずっこうやま)へ向かう。頭高山入口へは「頭高山近道」の方向へと進む。
なお道標上段の「頭高山入口」の方向は渋沢駅方面へ下りていって登り返すという大回りなルート。
正面の狭い道へと進んでゆく。
狭い道を抜けていく。
道標のほか、古い道しるべが立つ分岐。左は栃窪神社への道。
「右 ふじ道 小田原道」と刻まれた道しるべ。手前側には「十日市場道」、左側には「左 御嶽大権現道」とある。
手前側の「十日市場」とは秦野の中心部である旧曽屋村の別称。市(いち)が立った時代、曽屋のあたりは往還が交わり経済活動の中心となっていた。
一方、左の「御嶽大権現」とは栃窪神社の旧称。御嶽大権現を祀る栃窪神社は、江戸時代には「御嶽神社」と称した。現在の名称は明治に入ってからのもの。
ここまでたどってきた狭い道は、江戸時代に富士講・大山講の人々が行き交った古道であった。
参考「丹沢 山のものがたり」秦野市発行。
切通(きりどおし)の道を先へと進む。古道の雰囲気を色濃く残す道。
古道からの大山もまた格別。
山道を進む。
赤い鳥居の奥に「宇主山(薄山)の幡龍王様」と称する小さなお社が祀られている。
竹林を抜けてゆく。
左手に八国見山(やくにみやま)への道を分ける舗装路まで来た。
八国見山へは手作りの案内が立てられている。
どうやら八国見山の先で、先ほどからの立て看板が告知する造成工事が行われているようだ。
舗装路を進んでゆくと左手に道を分ける。右手を進むと渋沢駅方面の市街地へと下ってゆく。道標が立てられており、ここは左手を進む。
道標に従って左手を進み、頭高山へ。
峠配水場前を通過。
左手(南面)に段々畑の農地が大きく開けるあたりまで来た。
パッチワークのように広がる、段々畑。
遠景に箱根の二子山を望む。
菜の花畑。
里山の原風景が大きく広がるなか、峠地区の集落を見下ろす。長閑(のどか)な、いい景色。
先へ進むと再び表丹沢の眺望が開けた。
画面右の塔ノ岳から鍋割山稜、いったん高度を落として檜岳(ひのきだっか)山稜と続く。
高度を落とした鞍部の向こうに西丹沢の雄峰・檜洞丸(ひのきぼらまる。1601m)がそのたおやかな山容をはっきりとのぞかせる。渋沢丘陵から「ぼらまる」がここまではっきり見えるとは。
分岐。違う形式の道標が現れた。頭高山へは右をいく。
ここで左に「渋沢駅2.7q」とあるのは、峠バス停のある集落へ下りて峠トンネルを抜ける道を行くルート。そちらは峠バス停からバスも利用できるが本数は少ない。
来た道を、先ほど通ってきた峠配水場あたりの分岐まで戻る方向にも「渋沢駅2.3q」の表記がある。こちらはトンネルの北側に下りるルート。歩くにはそちらの方が距離的に近い。
そして、例によって「渋沢駅(頭高山入口経由)」の道標。ここの「頭高山入口」までの距離表示は先ほどまでの道標の距離表示との連続性はない。ここの0.5qは妥当な数字。
栃窪会館では「頭高山入口」まで3.2q(それは市街地へ下りていく方角を指していた)。栃窪会館からここまではおよそ1.5q。単純に引き算すれば頭高山入口まで残りは1.7qになるはずだが、ここで道標の数字が頭高山入口の側から計測した数字にすり替わっている。
そもそも栃窪会館から市街地に下りていって別ルートをたどっていれば、そちらのルートの中間地点ではないここの数字は栃窪会館での頭高山入口までの距離(3.2q)とは無関係なので、すり替わり自体は問題ない。
だとしたら、道標の形式を変更することなくあたかも連続性があるかのような体裁ですり替わった数字を載せるのは、あまり親切とは言えない。道標をじっくり見る慎重な人ほど、歩いている道がこれでよかったのか微妙な違和感を感じるかもしれない。
というわけで震生湖から頭高山へと歩く場合、震生湖バス停近くの道標から栃窪会館前の道標までについては「渋沢駅(頭高山入口経由)○q」は表示自体を無視して「頭高山入口○q」の数字は気にしないのがよい。
栃窪会館前の道標については「頭高山入口○q」自体も無視して「頭高山近道」に従って歩けば間違いない。
何度も歩いている人にとっては訳ないことだろうが、初めての人(山歩きの経験の浅い人)にとってはちょっと悩ましい道標だったろう。
秦野市千村(ちむら)地区の人たちの手により「サワガニの里」という自然体験広場が造られている。
右手に大山、真ん中に三の塔。
次の分岐。手描きの案内マップが立っている。
左は西端里山。頭高山はいったん右手を下りていく。
ずっと尾根伝いに歩いてきたので、ここでずいぶんと下ってしまうように感じる。こういうのはハイキングガイドマップだけでは分からない。
道を下っていくと雁音(かりがね)神社と「かりがねの松」の伝承案内板がある。
なおハイキングガイドのコースマップには「かりがねの松」の位置の表示がずれてしまっているものもある。そうなると分岐の位置情報の把握に混乱を来すことになるので、ひとつのガイドマップを鵜呑みにしてしまうのはあまりお勧めできない。
案内板。
古道が東へ西へと往来する大山講・富士講の人々で賑わっていたその昔。粉雪吹きすさぶ寒さの中、都からやって来た「かりがね」と名乗る姫がこの地で力尽き、息絶えた。
村人は姫を哀れみ一本の松を植えて弔った。やがてその松は美しい枝振りに成長し、いつしか「かりがねの松」と呼ばれるようになった、とある。
雁音神社は覆屋に覆われた小さな祠。伝承の松は、既に失われてしまったようだ。
「頭高山入口」分岐まで下ってきた。
左へ行くと頭高山(ずっこうやま)、右へ下ると白山神社を経て渋沢駅へ。
峠バス停分岐あたりから見かけるようになった「富士見塚・八重桜コース」という道標。
震生湖バス停あたりから目にしてきた形式の道標はない。
それにしても震生湖から通しで歩いてきた人のために、ここまでたくさんの道標を立ててきたのだから同じ形式で「ここは頭高山入口」の道標を立てておいたほうがハイキング初心者には優しいように思う。
八重桜が美しい。
このあたり(秦野市千村)は食用桜花(桜の塩漬け)の栽培が盛んなところ。頭高山のハイキングコースにもハイカーの目を楽しませる多数のヤエザクラが植えられている。
頭高山へと登っていく。
馴染み深い濃紅紫の八重桜は園芸種の「関山(かんざん)」か。
こちらは淡紅色のヤエザクラ。
「祈りの丘」の合掌碑(戦没者慰霊碑)を過ぎていく。
平坦な道が続く。
分岐する山道は送電線鉄塔への作業路のようだ。ここは左へ。
左の道は大井町(おおいまち)篠窪のメガソーラー(小松製作所実験場跡地)あたりへ下っていく道らしい。今度は右へ。
このような道はハイキングマップでは省略されてしまっている。こういったところにこそ
「←頭高山」という道標を立てるのが親切のような気がする。
「八重桜の里」。収穫用の木が栽培されている。
展望図のある展望地。
表丹沢の大展望は、頭高山入口からのハイキングコースでは随一の眺め。
ひな段状の休憩広場。
上段にはトイレ(有料)や東屋がある。
千村は塩漬用の食用桜花の収穫で全国シェアの八割近くを占めるという。ただ事業者の高齢化、後継者不足はここでもやはり切実な問題となっている。
山頂へ向かう道はしばらく進むと左回り、右回りに分かれる。
左回りへ行くと、すぐに木段の登り。
山頂に祀られている、秋葉神社。
秋葉神社は石の小さな祠。
頭高山(ずっこうやま、ずっこうさん。地理院地形図の三角点の最新数値は303.3m)の案内板。
あずまやでお昼の大休憩を取る。
下山は右回りの道へ。
なだらかに下ってきた。こちらは秋葉神社への女坂、往路は男坂ということになる。
山頂を巻くように左回り・右回りの分岐に戻る。
休憩広場のあたりに立つ神山滝(こうやまだき)分岐の道標。
このときは詳細な地形図を持ち合わせていなかったので立ち寄らなかったが、地理院地形図を見る限りかなり急な道を下ることになるようだ。道標にうっすらと書かれている40分という時間はここからの往復にかかる時間だろう。
往路は右手の道を奥から下りてきたが、復路は白山神社への近道となるので左を行く。
切通の道を下る。
車道に合流。
見えている舗装路を右へ上がると、先ほど通ってきた「頭高山入口」まで戻ることになる。
折り返すように車道を下っていく。
下っていくとすぐに左手に見える、白山神社の鳥居。杉の大木がそびえている。
かながわの名木百選に選定されている、白山神社のスギ。樹高は44mとかなり高いがその割に幹の胸高周囲は5mに満たず、かなりほっそりした印象。
参道石段を上がり、拝殿へ。
拝殿。祀られている神さまは女神さまの伊邪那美命(いざなみのみこと)、白山信仰の祭神である菊理比売命(くくりひめのみこと)。
棟(むね)にあしらわれる紋は「扇に日の丸(扇に月丸)」。
棟には水平に削がれた千木(ちぎ)が載っている。俗説にいう女神さまを祀る神社によく見られる形式。
向拝(こうはい。せり出した屋根)下の蟇股(かえるまた)には龍の彫刻。欄間(らんま)にも細かな彫刻が施された、江戸時代後期の建築。
奥には本殿が収まっている。そちらも江戸時代後期の築。
神楽殿(かぐらでん)。
杉木立の社叢林に囲まれた、白山神社。
白山神社を後にして、湧水「若竹の泉」へ。
車道を下っていくと、正面に特養ホームが見える。
さらに進むと墓地に立つ観音菩薩像。
突き当りの手前右手が、湧水「若竹の泉」。
今回の秦野盆地湧水群めぐりの最後となる若竹の泉は室川の源流域に位置する。この湧水は初め横井戸として掘られたものが現在の形に整備された、といった内容が記されている。
若竹の泉から渋沢駅へ向かう。手元の二種類のハイキングガイドマップと照らし合わせてみても道がはっきりしなかったが、お寺まで引き返すのも面倒なのでとりあえず突き当りを左へ。
緩く上り、左へ。
上っていった先の分かれ道。後で確かめると左は千村配水場へ通じる道だったようだが、このときは現在地が分からなくなってしまった。どうもガイドマップの道とは違う。
やはりあちこち歩くには面倒くさがらずに山道なら地理院地形図、まちならYahoo地図とかの画面を必要な分すべて「F11」キーでフルスクリーン表示にして「PrtSc」キーでコピーし「ペイント」に貼り付けて印刷、情報を書き込んでおいた方が使いやすい。
ここは勘で右へ行く。
次の分かれ道には「この先行き止まり 通り抜けできません」の案内板が掲げてある。案内板に従い、右へ。
正面に屏風のようにどーんと聳え立つ山なみが見えた。これなら迷うことは無い。眺めながら下っていく。
しばらく行くとバス停「東原」。バス停を過ぎていったあたりでちょうどバスが追い抜いていった。
バスの後を追うように行くと、右奥に次のバス停。
街区案内板。 拡大版(青文字加工はサイト管理者)。
線路沿いへの近道を確認する。
バス停とは違う方向へ進んでいく。
再び正面に山を見ながら、だらだらの下り。
「小田急はたのテニスガーデン」の看板。
テニスガーデンの下は秦野盆地の新松田側出口となるトンネルになっていた。あとは線路沿いに進む。
道なりに進み、コンビニの角を左折すれば駅はもうすぐ。
踏切手前を右折。
駅前通りの酒屋で今回の山土産を購入。
秦野の蔵元「金井酒造店(かねいしゅぞうてん)」の「白笹鼓(しらささつづみ)純米酒」四合瓶。ラベルデザインはいつの間にか新しいものに変わっていた。その味わいは「ソフトな辛口」といった印象。
「白笹鼓」の名は、今回の山歩きで最初に訪れた白笹稲荷神社にちなんでいる。
渋沢駅に到着。
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