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高尾へ、その奥へ


平成29年(2017)2月最初の週末、冬晴れの高尾山へ。

自分にとっては初めての高尾となる今回。まずは冬晴れの早朝の大展望を観ておきたい。そこで早々に山頂に立つためにケーブルカーを利用し、その先は「1号路(表参道)」をたどって山頂へ向かう。薬王院を参拝しつつ、眺望を堪能した後は高尾の自然の特徴が色濃い「いろはの森コース」と「4号路」を周遊する。
さらに山頂からは奥高尾縦走路を歩いて小仏城山から小仏峠を経て甲州街道旧道を下り、県内に残る唯一の本陣である小原宿本陣を見物してから相模ダムへ向かう。

1.高尾山・薬王院と山頂大展望、天然林めぐり




京王線・高尾山口(たかおさんぐち)駅。標高およそ190m。時刻は朝8時の少し前。
高尾山は京王線、中央線沿線のみならず横浜線沿線からもアクセスがいい。




駅前の案内板。




表参道をたどってケーブル駅へ。




ケーブルカー・清滝(きよたき)駅。標高およそ200m。




明治の森高尾国定公園の案内板。  拡大版。

高尾山の登山道は主に五つ。
ケーブルカー清滝駅前から終始舗装路をたどってゆく、薬王院の表参道となる「1号路」。
ケーブルカーを利用しつつ高尾山駅から先で表参道の1号路と分かれ、高尾の北側斜面(落葉樹林)を進む「4号路」と南側斜面(照葉樹林)を進む「3号路」。
ケーブルカーを利用せずに沢沿いの谷筋を登る「6号路」、南隣りの尾根筋を登っていく「稲荷山コース」。




イラストマップ。
圏央道の八王子ジャンクション、高尾インターチェンジといった比較的新しい施設も描かれている。




ケーブルカーのりば。朝8時ちょうどの始発のあとは15分間隔と頻繁に出ている。




高尾のケーブルカーは傾斜が日本一きつい区間がある。後ろ向きの座席は、麓の駅ではややのけ反る感じだが上まで登っていくと逆につんのめった感じになる。




出発してすぐ、最初のトンネルへ。




傾斜が少しきつくなる。




車両の擦れ違い。




この辺りから傾斜は一段ときつくなる。これはかなりの急勾配。まるでスキーのジャンプ台だ。




もう一つのトンネルを抜けると山上の駅。




高尾山駅。標高485m。




駅前から北側の展望。眼下には裏高尾の八王子ジャンクションが見える。

トンネル奥の台形の小山は八王子城址。
八王子城は戦国北条氏の本拠である小田原城の支城。城主は第四代氏政(うじまさ)の弟である氏照(うじてる)。小田原北条氏末期の支城である八王子城はその前身となる滝山城(八王子市舟木)の頃からの衆(しゅう。軍団)である滝山衆を擁し、甲斐の武田氏と対峙するうえで小田原の重要な支城であった。その城下は賑いを見せ、戦国時代には多摩の中心地となっていた。




展望図。




駅前から表参道(1号路)を薬王院へと向かう。




2号路(山腹の周回路)との合流辺り。




樹齢450年の老木、タコ杉。









参道を進んでいく。




浄心門。2号路の合流、4号路・3号路の分岐点。




門をくぐってすぐの、神変堂(じんべんどう)。

祀られている「神変大菩薩」とは修験道の開祖・役小角(えんのおづの。役行者)の贈り名。中世において修験道が盛んであった高尾にも、こうして祀られている。




赤燈籠がずらりと並ぶ。




左手に百八段の石段となる男坂、右手に緩やかな女坂を分ける。




男坂をゆく。




北原白秋の歌碑。「我が精進 こもる高尾は 夏雲の 下谷うずみ 波となづさふ」

眼下に雲の波湧く、夏の高尾の情景が目に浮かぶ。




杉の巨木が立ち並ぶ杉並木。

台風で倒れてしまった樹も少なくないというものの、杉の中には樹齢一千年近いものもあるといい都内では随一の杉並木とされる。




杉並木を抜けると、薬王院の山門となる四天王門に到着。




参道を進む。




仁王門。




境内案内図。




本堂。

薬師如来、飯縄権現(いづな ごんげん。いいづな ごんげん)を祀る。

高尾山薬王院有喜寺は(たかおざん やくおういん ゆうきじ)は明治期より現在の真言宗智山派大本山となった。智山派の大本山は他に成田山新勝寺、川崎大師平間寺がある。

高尾山の開山は縁起によれば奈良時代の天平16年(744)。聖武天皇の勅令により行基が開山した。創建当初は薬師如来が御本尊として祀られた。
南北朝期の永和年間(1375〜1379)には高尾山中興の祖、俊源が京の醍醐山(真言宗醍醐派)より入山。御本尊として、信州・飯綱山(いいづなやま)の山岳信仰に発する飯縄権現が勧請される。飯縄権現は白狐の上に立つ、烏天狗(からすてんぐ)の姿。

戦国時代、多くの武将が守護神として崇めた飯縄大権現を祀る高尾山は、小田原北条氏が外護者となり広大な寺領を寄進し篤く庇護されることとなった。武門による庇護は徳川の時代にも続いていく。




本堂から本社へ。




本社前の鳥居。薬王院は神仏習合の時代から明治期の神仏分離を経て、現在では再び神仏が祀られている。




本社(飯縄権現堂)。

権現造(ごんげんづくり)の朱塗りの社殿には極彩色(ごくさいしき)の彫刻が施されている。




拝殿の欄間、障子を飾る彫刻。

社殿の建築年代については手前の拝殿は宝暦三年(1753)、奥の本殿は享保14年(1729)の棟札が確認されている。




蟇股(かえるまた)の彫刻。




向拝(こうはい)の下、海老虹梁(えびこうりょう)の彫刻。




境内にそびえるブナ。

高尾山のブナはまさに、高尾の奇跡といっていい。
ブナは本来冷涼湿潤な気候を好み、温暖で冬乾燥する南関東では標高800mを越えるあたりからブナが現れる。東丹沢・堂平のブナ林は標高1000mあたりから、箱根・函南原生林はやや低いがそれでも標高600m〜800mあたりにブナが見られる。
一方高尾山はというと、その標高(599m)は南関東においてはブナが生息する高さとしては低すぎる。しかし江戸時代ごろまでの冷涼な時期に生育したブナの古木が、稜線の北側斜面で奇跡的に数十本生き残っている。

近年、その寿命を迎え台風などで倒れてしまったブナも少なくないという。次世代のブナの育成は現在の気候では望むべくもないので、高尾でブナが見られるのはあとどれくらいの間だろうか。




奥之院へ向かう。




奥之院(不動堂)。

もとは本堂の位置にあった護摩堂が明治末期に移築され、不動明王が祀られている。護摩堂が建立されたのは建築様式の学術的考察により江戸時代前期の1600年代後半と推定される。

江戸時代後期編纂の地誌「新編武蔵風土記稿巻之102下 多摩郡之14之下 由井領 上椚田村 高尾山」によれば、江戸時代にはこの辺りに飯縄本地社が建っており、「本地石ノ不動立像」が祀られていた。
近世以前の神仏習合の時代、飯縄権現は不動明王の化身とされていたのである。




不動堂の裏手にも社が建つ。




この社は富士浅間社(ふじせんげんしゃ)。

戦国時代の天文年間(1532〜1554)には小田原北条氏の第三代北条氏康(ほうじょう うじやす)により富士浅間大菩薩が勧請された。

北条の領国であった相模や武蔵南部(橘樹郡・都筑郡・久良岐郡。川崎市、横浜市)はともかくとして、武州多摩郡以北にあって高尾山ほど人里の近くから富士山がこれほどまでに大きく立派に望める地は、なかなかない。富士浅間信仰の聖地に相応しい地として、放っておかれることはなかったのだろう。

江戸時代に入ると庶民の間で富士講が盛んとなり、薬王院から高尾山頂への道は「富士道(ふじみち)」と言い習わされた。

富士山に登ることが叶わなくとも「慚愧懺悔(ざーんきざんげ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながら高尾山頂まで来れば、人々は立派な富士山を拝むことができた。
さらに先へと歩くことのできる人々には、スケールの大きな富士詣となった。富士まで参詣する場合は帰路に大山詣をして江戸へ戻る、ということも盛んに行われた。
人々は高尾山から更に奥高尾へと進み、小仏峠から甲州街道をたどって大月から吉田そして富士へ。富士山頂からは御殿場(ごてんば)へ下山、足柄路(あしがらみち)で関本へ。関本からは松田を経て大山裏参道の蓑毛(みのげ)、大山へと巡っていった。
富士信仰の祭神と大山信仰の祭神は父娘の関係にあり(大山が父)、富士を参詣するのであれば片参りではなく双方を参詣する(掛け越し)というのは1800年代の初頭には一般化していたという。

参考「富士・大山信仰」西海賢二著。




奥之院から山頂へ向かう。




よく舗装された道が続く。









二階建トイレ。年間登山者数日本一を誇る高尾山らしい施設。




もうひと登りで山頂。




広々とした、高尾山の山頂(599m)。時刻は9時20分ごろ。




東の展望。




朝の逆光の中、横浜ランドマークタワー(296m)のシルエットが浮かび上がる。




南から西にかけての大展望が広がる、大見晴台へ。




冬の朝ならではの、真っ白な富士山(3776m)。高尾の山頂からは、富士山の方角は裏丹沢・道志川(どうしがわ)の渓谷でえぐられるため、富士のすそ野がきれいに広がって見える。この眺めがあるからこそ、高尾山は武州における富士浅間信仰の聖地となったのだろう。

富士山の左、きれいな三角形の山は北丹沢(裏丹沢)の雄峰、大室山(おおむろやま。1588m)。八王子方面では「富士隠し」の異名で呼ばれた。高尾・奥高尾からの富士山は、この大室山と相並び立つ絶妙なバランス感がいい。




さらに西に目をやると、遥か彼方に白銀の南アルプス稜線(赤石山脈)が重なり連なって見える。距離にして90qを越える南アルプスがここまでくっきり見えるのは、快晴の真冬の早朝ならでは。

一番左の白い山は蝙蝠岳(こうもりだけ。2865m)、少し間をおいて右に塩見岳(しおみだけ。三角点は3047m)。そこから白い稜線が続き、少し盛り上がったピークが広河内岳(ひろごうちだけ。2895m)。さらに右に見える大きな白い山が白根(白峰)三山(しらねさんざん)の南峰、農鳥岳(のうとりだけ。3026m)。

手前右の三角形の山は大菩薩連嶺の最南端、滝子山(たきごやま。三角点は1590m)。日本第二の高峰となる白根三山の北峰、北岳(きただけ。3193m)は滝子山の背後に隠れて見えない。




丹沢方面のパノラマ。 拡大版。

左の三角は相州の霊峰・大山(おおやま。1252m)、中ほどの三角が大室山。その間にどっしりと横たわる、蛭ヶ岳(ひるがたけ。1673m)を中心とした丹沢山塊。
高尾からの丹沢の眺めは、どの方向から見ても綺麗な三角に見える大山もさることながら、この方角ならではの形のよさを見せる大室山がいいアクセントになっている。




位置をずらして、南アルプスまでのパノラマ。 拡大版。




さすがは人気の山、高尾山。詳細に山座同定された、至れり尽くせりのパノラマ展望図が見晴台の各所に掲示されている。山歩きをする人でなければまず知らないであろう、マニアックな山の名も結構記されている。




時刻はまだ9時45分。ケーブルカー利用で時間を充分に作ったので、山頂から奥高尾縦走路へ向かう前に高尾ならではの自然を満喫したい。
冬場のこの時期は常緑の照葉樹林となる3号路が青々としているが、ここはあえて「いろはの森コース」「4号路」を周遊する。




来た道を戻り、いろはの森コース分岐へ。

いろはの森の木々には「い」から「す」まで、木の名前の頭文字にあわせて麓から「いろは」の順に解説板が付けられている。




ウッドデッキ状の階段を下りていく。




「せ」は、せんのき(はりぎり)。「す」は気づかずに通り過ごしてしまった。




すっかり葉を落とした、冬のブナ。とてもきれいな樹形だ。南関東では、この標高だと他の山域ではブナはまず見ることが出来ない。まさに高尾の奇跡。

4号路、いろはの森コース上部は高尾の北側斜面となるため、こうして立派なブナにときおり会うことの出来る、魅力的な登山道。




ブナの落ち葉。




清々しい、朝の森。




いろはの森コースと4号路の交差点。

ここからは4号路を進み、みやま橋(吊橋)まで下りてから折り返すことにする。




山道を下る。モミやアカマツといった針葉樹、そしてイヌブナなどの天然林は高尾の北斜面を代表する顔となる木々たち。




みやま橋はしっかりした造りの吊橋。踏板の下が透けて見えれば最高だが、まあ贅沢は言うまい。




谷底までの深さも結構ある。




折り返し、来た道を登っていく。




4号路といろはの森コースとの交差点まで戻った。




常緑の広葉樹(右)と針葉樹(左)が、抱きかかえるように密着して伸びている。




この常緑広葉樹はカシの仲間。これはアカガシか。南側斜面を代表する樹は、こうして稜線の辺りで北側の木々と出会う。




針葉樹はツガ。葉先が尖っているかでモミと区別できる。




山頂へは4号路で戻る。




登山道は、割れるように崩れた岩が結構目に付く。

高尾・陣馬の山域は、地質としてはかなり古い。1億1千万〜7400万年ほど前(新生代より前、恐竜が闊歩していた中生代の白亜紀後期)に出来た非常に古い地層である小仏層群に属し、砂岩や泥岩の層が重なり合って形成されている。




木段を上っていくとまもなく山頂。




気持ちの良い、朝の山道。




ほぼ1時間散策して、1号路との合流に戻ってきた。




10時45分ごろ、まだまだ富士山はくっきり見える。1時間経って、山頂の人出はだいぶ増えてきた。




奥高尾へ出発する前に、ビジターセンターに立ち寄る。ここには登山道の案内と目的別ガイドが掲示されている。

登山道案内の拡大版。




「高尾山で遭難」という報道をときおり耳にすることがある。山を歩き慣れない人がまち歩きの格好で表参道(1号路)や山頂一周路(5号路)を逸れて他の登山道に踏み入ったりすると、足首を捻挫して動けなくなったり日没で暗闇になり身動きが取れなくなるといった危険は充分生じ得る。

いかに観光地化が進んだとは言え、参道を一歩はずれれば、やっぱり高尾は山深い。まち歩きとは全く異質な世界が広がっている。




山頂から奥高尾縦走路へ。


2.高尾山から小仏城山、小仏峠を経て甲州街道古道・県内唯一の本陣へ。 森歩き山歩きトップに戻る。