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高尾へ、その奥へ


2.高尾山から小仏城山、小仏峠を経て甲州街道古道へ

1.高尾山・薬王院と山頂大展望、天然林めぐりはこちら。




高尾山山頂の大見晴台。




山頂から奥高尾への案内板。




10時50分ごろ、高尾山山頂(599m)から小仏城山(こぼとけ しろやま。670m)へ向けて出発。




「これより奥高尾」の標柱。




富士山の展望が開けた山道。




10分ほどで、茶屋のある「もみじ台」に到着。




ぬかるみやすい道は木道や木段、莚(むしろ)でよく整備されている。




気持ちのいい、冬晴れの尾根道。ここは登山道の至るところが展望台、といってもいい。




だらだらの長い下り。




大垂水峠(おおだるみとうげ)分岐の鞍部に到着。ここから一丁平へ上り返していく。




案内図。道を間違えないよう、案内図も至れり尽くせり。




長い登り。




送電線鉄塔を通過。




春には満開の桜で彩られる桜並木を登っていく。




一丁平(いっちょうだいら)に到着。




冬の奥高尾縦走路は、どこを取ってみても富士山と北丹沢・大室山(おおむろやま。1588m)の眺めがすばらしい。




白樺の木。




上りはだらだらと続いていく。




電波塔が見えてきたらまもなく小仏城山。




木彫りの天狗が置かれた小仏城山(670m)の山頂に到着。時刻は11時45分ごろ。城山から先、奥高尾縦走路の尾根は都県境(武相国境)となる。

戦国時代、小仏城山は八王子城(あるいは前身の滝山城)の支城(出城)であったとされる。地理的には武田の甲州と北条の相州・武州を結ぶ街道の峠である小仏峠から至近距離にあり、北条にとっては領国防衛の最前線となったのであろう。北条氏にとって津久井は相模の領国内であるが、北相の津久井は武田家臣と北条家臣の影響力が入り乱れ、北条からすれば「半敵地」であった。
このような国境の山の中、街道沿い近くに位置する城は城主が常駐するのではなく、有事の際に城将が入って守備するような城であろう。




右奥に高尾山(599m)を見下ろすと、ここまで歩いてきた縦走路が見える。




茶屋の前、多数のテーブルがある山頂広場は登山者でごった返している。




草地の広がる、山頂下の広場にもたくさんの人。




富士を背景に、新春の花・蝋梅(ロウバイ)。




タカオヤマネコ?「いやいや、ただの山ネコにゃ」




山頂から南、相模湖方面と示された道は相模原市(旧津久井郡相模湖町)千木良(ちぎら)へ下りる、東海自然歩道のメインルート。




城山山頂から陣馬山(じんばさん)へと延びる尾根(奥高尾縦走路)は都県境(武相国境)となる。奥高尾縦走路の小仏峠、陣馬山方面は山頂から北へ向かう。




パラボラアンテナの脇を通って小仏峠へ出発。時刻は12時10分過ぎ。
このあたりはぬかるみがひどくて少々歩きにくい。




ここからの尾根はスギ・ヒノキの植林地。




ときどきサクラ。




小仏峠の少し手前、幾つものベンチが置かれた広場。




山すそを縫うように走る中央道と相模湖、そして大室山と富士山。




広場から先を下っていくと、小仏峠に到着。




小仏峠(こぼとけとうげ。548m)。

小仏峠は甲州街道古道(甲州道中)の難所。武蔵国の小仏宿(こぼとけしゅく)と相模国の小原宿(おばらじゅく)との中間地点となる国境にある。武蔵(八王子)の側への下りは、結構山道がきつい。
その名の由来は、小さな仏像が峠に安置されていたことによる、とされている。

この地には戦国時代、北条氏照(ほうじょううじてる。小田原北条第四代氏政の弟、滝山城・八王子城主)により小仏関(富士見関)がおかれた。それは防衛のための前線拠点としての役割を持っていた。関所はほどなくして八王子側の麓へ移転した。現在国の史跡となっている小仏関跡は徳川の時代になって再移転したもの。




峠は小広く開けている。画面背後は小原宿方面、高尾山方面。右奥は小仏宿方面、左奥は陣馬山への縦走路。




小仏峠案内図。 拡大版。




案内図の立つあたりからは東の展望が開けている。




画面右奥に都庁舎を始めとした新宿のビル群。新宿の奥に東京スカイツリー(634m)がうっすらと見える。




甲州街道古道と陣馬山方面縦走路が二股に分かれる辺りに祀られた、お地蔵さん(地蔵菩薩)。そして青面金剛(しょうめんこんごう。夜叉神)と三猿の彫られた庚申塔(こうしんとう)。

山深いにもかかわらず生花が活けられている。大切にされているのだろう。




甲州古道と高尾山方面縦走路の分かれる側には、江戸時代の高尾山道しるべ。「寛政七」(1795)と刻まれている。




甲州道中歴史案内図。 拡大版。

甲州街道は、江戸時代には「甲州道中」と呼ばれていた。




「明治天皇小佛峠御小休所阯及御野立所」の碑と三条実美(さんじょう さねとみ。幕末〜明治初期の公家・政治家)の歌碑。

明治天皇は明治13年(1880)山梨巡幸のおり小仏峠を越えられた。そのことを記念して立てられたこの碑は昭和12年(1937)3月の建立とある。

三条実美の和歌は「来てみれば こかひはた織(蚕飼ひ機織り) いとまなし 甲斐のたび路の 野のべやまのべ」。
明治時代、日本の外貨獲得の主たる手段は生糸であった。甲州や津久井、多摩は養蚕や製糸が盛んとなり八王子は生糸の一大集積地となる。そして集積した生糸は八王子から横浜へと運ばれ、海外へと渡っていった。

明治20年(1887)甲州街道は小仏峠越えからここよりも標高の低い大垂水峠越え(現国道20号など)にルートが変更となり、往来は減少。また、現在の中央自動車道は小仏峠をトンネルで通過する。そうしたこともあってか、小仏峠付近は開発を免れ旧状が良く残っている。




県立陣馬相模湖自然公園の案内図。 拡大版。

小仏城山から小仏峠を経て甲州古道をたどる道は東海自然歩道のサブルートとなっている。




12時45分過ぎ、小原宿へ向けて甲州街道古道へ。









東海自然歩道の道標。




クヌギやコナラといった里山の木々。




縁がギザギザのクヌギやコナラの落ち葉。ホオノキの大きな葉も見られる。




落ち葉の積もる冬枯れの古道をゆく。









途中に竹林。古道沿いの山は、入会地(いりあいち)の里山といった風情。




そんな古道をいにしえの旅人が、そして時には大名行列が抜けていった。




何層もの積み重なりがパリパリと崩れるように風化した岩。




目の前に中央道を行き交うクルマが見えてきた。




古道の終わるあたりにはガードレールの残骸。




舗装路に下りてきた。




道標。小仏峠を発っておよそ40分。




東海自然歩道の案内板。 拡大版。

東海自然歩道は東京・明治の森高尾国定公園から大阪・明治の森箕面(みのお)国定公園までを結ぶ。この案内板はそのうち神奈川県内の区間。

ちなみに東海自然歩道全線における最高地点は丹沢主脈稜線上の姫次(ひめつぎ。1433m)となる。秋晴れの姫次は眼下に広がる黄金色のカラマツ林と目の前にそびえる丹沢主稜の起伏の大きい稜線の展望がすばらしい。



姫次から丹沢主稜の展望。
蛭ヶ岳から檜洞丸、大室山へと続いていく丹沢主稜は、蛭ヶ岳〜檜洞丸が標高差300m・檜洞丸〜大室山が標高差500mと起伏の大きい、丹沢屈指の稜線。途中には長い鎖場もある。 拡大版 



落葉針葉樹のカラマツ。黄金色に輝く、美しい黄葉。
平成12年(2000)11月上旬の山行記録より。




車道を下りて、折り返す。




道標や案内図が整備されている。









案内図。

小原宿本陣までこのコースの逆をゆくことになる、今回の山旅。




折り返し進んでいく。




中央自動車道を見上げ、中央本線を見下ろす。




中央道・底沢(そこさわ)の高架橋(底沢大橋)をくぐる。




美女谷(びじょだに)温泉への分岐。




案内板。

美女谷の名は、歌舞伎などの演目「小栗判官照手姫(おぐりはんがん てるてひめ)」の照手姫伝説にちなむ。全国各地に広がる小栗判官と照手姫の伝説は横浜の戸塚区俣野にも伝わっている。




底沢バス停への案内。




再び高架橋をくぐる。




道を下りていくと、目の前にさがみ湖リゾートプレジャーフォレスト(旧相模湖ピクニックランド)の観覧車が見える。そのすぐ右、形のよい三角は高塚山(たかつかやま。675m)。尾根を右へたどっていった奥が石老山(せきろうざん。694m)。石老山の手前、目の前の山が嵐山(あらしやま。相模嵐山、北相嵐山。406m)。




中央本線のガード下をくぐる。
脇には底沢一里塚の案内板。かつてこの付近を通っていた古道(造成で消滅)の、この近くに塚があった。




橋脚のレンガの積み方は、長手(長辺)だけの段と小口(短辺)だけの段を交互に積み重ねる、イギリス積(イギリスづみ)。

中央本線の八王子〜上野原間が開通したのは明治34年(1901)。複線化されたのは明治43年(1910)。この橋脚はその頃のものだろうか。




ガードをくぐって少し行くと、大きな煉瓦擁壁がある。




擁壁の上部は、レンガの角をギザギザに並べて積まれている。このように細部にわたって凝ったデザインにしているところは、いかにも明治期の土木遺構らしい。




レンガ擁壁の外側を補強するかのように積まれた石積みの擁壁は、四角い石を斜めに積む谷積(たにづみ)。石の表面の仕上げや黴の具合からして、こちらも古そうだ。これは関東大震災(大正12・1923)の復興事業との関係はあるのだろうか。




先へと進み、国道20号(甲州街道)に出る。




国道20号の底沢橋。橋のたもとには美女谷温泉への大きな看板が出ている。




ここから千木良(ちぎら)方面へ向かうと、弁天島(べんてんじま)温泉の一軒宿・天下茶屋もある。




小原宿(おばらじゅく)本陣は相模湖方面。




神奈中(かなちゅう)・底沢バス停。


3.甲州街道・県下唯一の本陣から弁天島、相模ダムへ。  森歩き山歩きトップに戻る。