三溪園〜お正月
毎年恒例の「三溪園で過ごすお正月」は古典芸能を日替わりで堪能できる催し。そのうち、数年来の定番となっている元日の筝曲演奏、二日の庖丁式を見に行く。
平成27年(2015)の、お正月。
催しは毎年三が日に行われるが、この年は4日が日曜のため例年よりも一日増えた。
和船にも松が立てられた。池には無数のカモ(キンクロハジロ)が羽を休めている。
雪がちらつき始めてきた。
催し事の会場となるのは、鶴翔閣(かくしょうかく。旧原邸)の、楽室棟(がくしつとう)。
鶴翔閣玄関にも奴凧(やっこだこ)や羽子板(はごいた)など正月玩具の飾りつけがなされた。
元日は「アトリエ筝こだま」による筝曲の演奏。
二つの箏は曲調の高低に応じて糸の張り方を変えてあるそうだ。曲目ごとに取り替えながら、演奏が進んでいく。
箏と尺八の二重奏。この年の曲目は「六段(ろくだん)」「千鳥(ちどり)」といった、お正月気分を盛り上げる定番の古典から現代の曲、そして三が日には欠かせない近代の名曲「春の海」など。
「キビタキの森」という曲は、尺八の独奏でキビタキのさえずりを表現するといった、趣向を凝らした現代の曲。キビタキはオオルリやコマドリなどとともに初夏の山野にその美しいさえずりを響かせることで知られる、野鳥界のスター。
窓の外は元日早々からの、まさかの降雪。この程度で騒いでしまっては北国の方々に申し訳ないが、雪が風に舞う正月などいつ以来であろうか。
朝から夕方まで、一時間ごとに演奏曲を変えながらプログラムは進行していく。
足が自転車だったので夕方までに万一積もってしまっては厄介。もう少し鑑賞したいところだったが引き揚げることにする。
明けて二日。大池には薄氷が張った。
大池の畔から見る、観心橋(かんしんばし)。
二日は「横浜萬屋心友会(よろずや しんゆうかい)」による庖丁式(ほうちょうしき)。横浜萬屋心友会とは横浜の料理人の組合。雅楽の演奏は港北高田の「興禅寺(こうぜんじ)雅楽会」。
本日の式題は「宝船之鯛(ほうせんのたい)」。
庖丁式はいまから1100余年前の平安時代、仁和年間のそれに起源をもつとされる。四條山蔭中納言(しじょうやまかげちゅうなごん)藤原山蔭がその祖とされ、光孝天皇の命により始まった、という。
その作法は庖丁刀(ほうちょうとう)と真魚箸(まなばし)を使用し原則として素材に手を触れずに調理する。平安時代には衣冠、束帯といった礼装で儀式が執り行われ、中世には武家ももてなしの一つとして庖丁式を行った。
現在では料理人の方々等が研鑚を重ねその伝統的な作法を継承している。
お正月気分を盛り上げる雅楽・越天楽(えてんらく)の調べにのって笙(しょう)を先頭に雅楽会の奏者が入場。
古式に則った儀式の始まり。
白衣(びゃくえ)の狩衣(かりぎぬ)に袴、烏帽子すがたの後見(こうけん)の入場。白い狩衣は神事、儀式に臨むときの狩衣。
後見は庖丁師に万一のことがあった時の代役を務める。能楽などの古典芸能にも見られる役、まさに伝統の世界。
続いて介添人の入場。
まな板開きの儀。そして、まな板清めの儀と続いていく。
刀三方の儀(とうさんぼうのぎ)。
まな三方の儀(まなさんぼうのぎ)。「まな」とは、良い魚、良い材料の意。
白衣の狩衣をまとった庖丁師の入場。
一同拝礼。素材に対する感謝の礼。
介添人が庖丁師の袖をたくし上げ、身支度をする。
刀改め(とうあらため)。このあと、まな箸改めと続く。
雅楽の演奏も止み、儀式が厳かに続いていく。
庖丁式の終了。
「宝船之鯛(ほうせんのたい)」。お正月にふさわしい、たからぶね。
鶴翔閣を後に、外苑から内苑の散策へ。
旧矢箆原家(やのはらけ)住宅。新春の花、蝋梅(ロウバイ)が早くも咲いている。
ロウバイ。
松の内のこの時期、床脇には南天と水仙の花が生けられた。
飛騨地方伝統の正月飾りとなる、花餅(はなもち)。
臥龍梅(がりょうばい)あたりの水仙はだいぶ開いていた。
林洞庵、初音茶屋あたりの渓流。
南門(本牧市民公園側)へと続く、松並木。海岸門から、内苑へ。
蓮華院。
聴秋閣の背後には、名残りのモミジ。
冬晴れの、正月二日。
最後にお正月に聴きたい伝統音楽を、上の記事で触れた曲など幾つか選曲してみました。
(リンクはYouTube)
筝曲
春の海 宮城道雄作曲
六段(ろくだん)八橋検校(やつはし けんぎょう)作曲
千鳥(ちどり)吉沢検校作曲
唱歌
一月一日(いちがつ いちじつ)上眞行(うえ さねゆき)作曲 千家尊福(せんげ たかとみ)作詞
一月一日(筝曲版)
雅楽
平調 越天楽(ひょうじょう えてんらく)
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