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宮ヶ瀬ダムから高取山、仏果山へ


平成26年(2014)の暮れも押し迫った12月最後の週末、東丹沢・宮ヶ瀬ダムを見物してから丹沢山塊の東に位置する東丹沢前衛の山・高取山(たかとりやま。半原高取山・705m)〜仏果山(ぶっかさん・747m)を歩く。

この山は本格的に山歩きを始めてみようという人にとって、登竜門とするのにふさわしい山。緊張感のある岩場の通過もありながら、標高差(登山口から山頂まで)が500〜600m程度というのはやはり体力・脚力を測るのにちょうどいい大きさ。

いきなり標高差が1000m以上あるような山を登るのは、平地歩きと違って想像以上に足にダメージを与える。
たとえば丹沢山塊で最も登山者に登られている表丹沢の大倉尾根(小田急線渋沢駅〜大倉〜塔ノ岳)は標高差が1200m。丹沢の登山口はほとんどが低地のため、山塊の標高の割には稜線までの行程は長い。
大倉尾根の場合、岩場の通過など危険個所は馬の背くらいでほとんどないが、山頂へ延々と延びていく木段の登山道は脚にかなりこたえる。実際、まち歩きのような気軽な格好の初心者らしき登山者が足を攣らせてしまい辛そうにしている場面に遭遇したこともある。




小田急線本厚木(ほんあつぎ)駅(または厚木バスセンター)から神奈中バス厚02・厚01系統半原(はんばら)行バスでおよそ50分、終点の半原バス停。標高120m。時刻は8時10分。バスターミナルそばのトイレに立ち寄ったのち、宮ヶ瀬ダムへ向かう。

なお、ひとつ手前の「撚糸(よりいと)組合前」バス停(愛川ふれあいの村経由の場合は「野外センター前」バス停)からの登山道はなだらかな尾根のコースとなるので、宮ヶ瀬ダムからの登山コースが改めて設けられた現在でも根強い人気がある。




小田急の駅で配布している宮ヶ瀬ダムハイキングパスのチラシ・裏面(2014.04.01〜)。 拡大版 

海老名(えびな)駅からの宮ヶ瀬ダムハイキングパスは1160円(2014年12月現在)。町田駅からは1340円。
二日間有効のパスで、出発駅〜本厚木駅までの電車往復と宮ヶ瀬行・半原行のバスを利用できる(バスの指定区間は乗り降り自由。整理券は必ず取る)。




中津川に架かる大きなトラス橋の日向橋(ひなたばし)。かながわの橋百選のデータでは昭和5年(1930)の架橋であるが現在の橋は幅員も広がっており、往時の雰囲気を残して架け替えられたもの。
中津川の上流域である愛甲郡愛川町(あいかわまち)にはこの橋を始め、馬渡橋(まわたりばし。架け替えにより解体予定)、半僧坊前・田代の平山橋(ひらやまばし。往時の三連トラス橋が土木遺産として残され現在は人道橋として利用)など、年代物の立派なトラス橋の道路橋が幾つも架かっていた。




橋からは川の上流方向に高取山(たかとりやま)から仏果山(ぶっかさん)にかけての稜線が見える。奥には愛川大橋。




川北バス停。愛川ふれあいの村経由(厚01系統)に乗車した場合に、終点半原の一つ手前となるバス停。
ここは半原から津久井方面へ向かう半原〜三ヶ木(みかげ)線も通る。また、愛川町町内循環バスのバス停も設けられている。




ダムサイトへは半原日向の信号から左へ。




正面に仏果山を眺めつつ、愛川大橋の手前から右へ。中津川沿いを行く。




ダムサイト地区の案内板。 拡大版 




県立あいかわ公園への分岐。前方の車止めゲートを抜け、ダムサイトへ。




あいかわ公園の案内板。 拡大版 




日比良野(ひびらの)散策コースの案内板。




ダムの手前に建つ、半原渓谷石小屋(いしごや)の碑。「横浜貿易新報社 県下名勝史蹟四十五佳選当選記念」(昭和十年・1935)と刻まれている。




石小屋ダム。堤の高さ34.5m、堤頂の長さ87m。
この重力式コンクリートダムは、宮ヶ瀬ダムの発電放流、洪水吐(こうずいばき)からの放水などの水流を受け止める役割を担う。




宮ヶ瀬ダムの副ダムとはいえ、その規模は相当なもの。




水を受け止める貯水池は石小屋湖と命名されている。









放流があった時の石小屋ダムは巨大な滝のようになる。






石小屋を模した展示場に展示された、かつての中津渓谷・石小屋。アーチ橋はかつての石小屋橋。この景観は昭和の終わりころまで見られた。このあたりは現在ではちょうど宮ヶ瀬ダムの真下のダムサイトの辺りになる。


草創期の栄光学園に奉職され、丹沢を、そして日本をこよなく愛したドイツ人の「天狗さん」ことハンス・シュトルテ氏(1913〜2007)は石小屋地区の最後の景観を次のように記している。
「記念橋から始まるあの美しい中津渓谷は、ダム建設の本体工事のため、すでに水が仮排水トンネルを通され、石小屋橋下流で再び河原に流し込まれている。川床もコンクリート道路に変わりつつあるし、石小屋橋もいつか姿を消すことになろう。前述したように、去年(1987年)、小春日和の初冬の日に、紅葉の燃えているような美しい渓谷を見納めることができ、ひどく感動した。渓谷の真ん中に架かっている工事用の歩道吊橋の上から、150メートル下の谷底を見下ろし、両側の急峻な山を眺めて、もう二度とこの景色を見ることができないと思い、感慨無量だった」(「続丹沢夜話」より)。

ダムができる前の丹沢ガイドブックでは西丹沢・玄倉川(くろくらがわ)のユーシン渓谷と比べて圧倒的に首都圏からのアクセスが良い中津渓谷を、美しい渓谷美の堪能できるコースとして必ずと言っていいほど詳細に紹介していた。


また、石小屋のさらに奥、宮ヶ瀬集落あたりに広がる唐人河原と呼ばれたあたり(現在の愛甲郡清川村(きよかわむら)・仏果山登山口の下あたり)までは、江戸時代末・安政の開港期(1859〜)における条約上の外国人遊歩区域内の避暑地として、その存在がいち早く脚光を浴びた。

幕末開港期のイギリス人写真家フェリックス・ベアトが残した当時の写真の風景は、昭和の終わりころまでその姿をとどめてきた。
ベアトの写真集に解説シートを添えたイギリス横浜駐屯軍将校のJ.W.マレーは「横浜から馬に乗って一日のうちに行ける景勝地として、宮ヶ瀬にまさるところはない。奥深い山間にあるこの美しい小さな渓谷は、横浜から約35マイルの地点にあり、出かける価値は十分にある。…この小さな村の側には、水晶のように澄んだ川が、立派な立木の間を、急流になったり、15フィートから20フィートの深さの淵になったりしながら流れ、心地よい音楽のように耳を楽しませてくれる。夏に横浜の暑さと埃から逃れて、宮ヶ瀬の川べりの涼しい木陰にやって来るほど楽しい気晴らしはない。商売や郵便の発送で忙しく過ごした後、冷たい深みに飛び込むことほどのぜいたくはない」と記している。




新石小屋橋を渡り、宮ヶ瀬ダムへ。




落差40mの岩壁を数段に渡って流れ落ちる、大沢の滝。美しき中津渓谷の、数少ない名残り。




水量が多い時期の大沢の滝。




圧倒的なスケールの、宮ヶ瀬ダム。土木工学の技術の粋を結集した、人工の造形美。平成7年(1995)から湛水を始め、平成13年(2001)に本格稼働が始まった。
この重力式コンクリートダムは堤の高さが156m。堤頂部の長さは375m。高さではアーチ式ダムの黒部ダム(黒部湖)など、体積では岩石で巨大な山を築き上げるロックフィルダムには及ばないものの、重力式ダムであるこちらは使用コンクリート量が日本一となる。
また、宮ヶ瀬湖の貯水量は約2億トン(2億立米)。その量は県内でいえば芦ノ湖に匹敵し、他のダム湖(相模湖・津久井湖・丹沢湖)の合計量を上回る。

日本有数の規模を誇るこの巨大な壁の向こうに、膨大な水が貯まっている。




観光放流で見られる、高位常用洪水吐(こうずいばき)からの放水。巨大な水柱の壮観な光景は機会があればぜひ眺めてみたい。




単独での規模もさることながらこのダムの特筆すべき点は本流の相模川、支流の道志川と中津川それぞれのダムが導水路を介して総合的に運用されているところにある。

相模湖・津久井湖は上流に広大な流域面積を有する相模川に位置するもののダム容量が小さいが故に渇水に備えての貯水が充分にはできない。
これに対して膨大な貯水量を有する宮ヶ瀬湖からは、上流部に沼本・鮑子(あびこ)といった上水道取水口が集中する津久井湖へ向けて渇水期に導水管経由で水を融通することができる。

その宮ヶ瀬湖は急峻な山塊に囲まれ流域面積が狭いが、隣りの道志川からも導水して十分に水を蓄える仕組みが造られた。他方、道志川の水は津久井湖に流れても貯めきれない分はそのまま下流に流れてしまっていたが、宮ヶ瀬湖へ導水することで貯水に回すことができる。
つまり宮ヶ瀬ダムは中津川の水がめであると同時に充分な貯水のできるダムを持たない道志川の飛び地の水がめでもある。

こうした運用によって、神奈川県を除いた首都圏最大の水がめである利根川水系が危機的な渇水に見舞われる年でも、神奈川県の相模川水系は充分な貯水の確保を可能にしている。飲用の上水道や工業用水などの膨大な水需要はこうしたインフラに支えられている。




上空からの宮ヶ瀬ダム・宮ヶ瀬湖。




ダムができる前の中津渓谷・石小屋。手前に石小屋橋。奥に堰堤の滝。右岸(うがん。下流に向かって右側)よりも左岸(さがん)の方が急傾斜な谷のかたちが現在のダムのかたちに合っている。 画像出典・宮ヶ瀬ダムパンフレット(国土交通省関東地方整備局・相模川水系広域ダム管理事務所)。

宮ヶ瀬ダムは計画段階ではもう少し上流側(中津川と早戸川の合流点よりやや下流)にロックフィルダムを設ける案も検討されていたという。諸条件が考慮された末に下流側(石小屋地区)の案が採用され、結果的に石小屋あたりの巨岩がゴロゴロとした渓谷はダムサイトとしてその姿を変えた。

美しき思い出の渓谷を失った悲しみと、有史以来稀に見る南関東都市圏の巨大都市化に伴う社会基盤整備の要請のはざまの中で、現在の宮ヶ瀬の姿がある。宮ヶ瀬に限らずとも、多摩丘陵の美しくうねる里山・谷戸(やと)の緑は旺盛な開発需要により削り埋められて整然とした街並みが広がる新しき町へと変貌した。

そうした現代にみる歴史の一コマがこれからも各地で見られるのかは、わからない。ゼロか100か、話はそう単純でもない。ただ人口の頭打ちから減少の時代を迎えつつある現在、そろそろ時代の流れとしては大きな転換期に差し掛かっているのかもしれない。




エレベーターでダム堤頂部(天端・てんば)へ上がる。




広々とした天端。天端は標高290m。エレベーターであっという間に上がってきた。




宮ヶ瀬湖の対岸に見える、丹沢山塊最高峰の蛭ヶ岳(ひるがたけ。1673m)。うっすらと冠雪した。




ダム堤の湖側。




天端から見下ろす、ダム下流の渓谷。眼下には新石小屋橋。




洪水吐(こうずいばき)の上から遥か下をのぞき込む。鳥肌が立ち、ぞくっと身震いするような高度感だ。




彼方にはランドマークタワー(296m)をはじめとした、横浜臨海部の超高層ビル群。




天端から登山道入口へ。時刻は午前10時ちょうど。宮ヶ瀬ダム周辺で長居をしてしまった。




注意を促す大きな案内板。さすがにハイキングコースとは書いていない。


この山域は標高800mに満たない小さな山脈ゆえ「山と渓谷」や「岳人」といった山の雑誌や登山ガイドブックでは「陽だまりの低山ハイク」などと紹介される。尾根歩きのグレードとしても概ね初級〜中級とされている。
しかし、登山愛好家にとってのハイキングと一般人のイメージするハイキングとは全くといっていいほど一致しない。
高取山・仏果山それぞれの山を単独で、なだらかな尾根のハイキングコースのみ往復して登るなら別だが、山頂を結んで山脈を縦走(じゅうそう)する場合には、是非とも登山の格好で山歩きに臨んでほしい。

下着は速乾・保温性のある機能性下着(長袖・タイツ)。特に冬場に登られることの多いこの山では、綿の下着だとかいた汗が体を急速に冷やす。

靴はトレッキングシューズを着用。ジョギングシューズなど街なかで履くスポーツシューズではソールが岩場や木段で滑りやすいので危険。
足首まで覆うハイカットにすれば捻挫の予防にもなる。

ズボンは伸縮性のある素材のもので。汗で湿ったジーンズは岩場の通過の際、足の運びをこわばらせ妨げるのでよくない。トレッキングパンツならベスト。

ヘッドライトも必携。日の短い冬場は早めの下山(午後4時くらいまで)が望ましいが、山頂への到達が予定外に時間がかかってしまう場合もある。午後四時半を回ると樹林帯の登山道は急速に明るさを失い暗がりの闇となる。岩肌の登山道は言うまでもなく、木段でも所々がえぐれ段差も大きい登山道を下っていく際、暗がりでの足の運びには危険が伴う。

登山用ストック(トレッキングポール)もあると便利。足腰に疲労がたまってくる下山時、数百メートルも続く長い木段の下りは思いのほか脚にこたえる。下りにおいて長く伸ばしたストックの補助は想像以上に足の運びを楽にし、転倒事故の防止につながる。二本もののI字グリップでもよいし、一本ものならT字グリップのものが使いやすい。




登り始めてすぐ、いきなり山頂直下のような急階段。補助ロープが張られ、登るときには思わず前に手をついてしまいそうなほどの急勾配。




このあたりは宮ヶ瀬ダムが完成した後に造られた登山道。元々は中津渓谷の尾根筋近くだったのだからこの急傾斜も当然といえば当然か。




最初の展望地に到着。




すぐ下にダムを見下ろす。




ヒノキの植林地を抜けていく。




高取山周辺にはモミの大木が多く見られる。




モミの葉は先端が二又に切れている。




木々の隙間からオレンジ色のアーチ橋・宮ヶ瀬虹の大橋が見える。




再び展望地。宮ヶ瀬湖を囲む山並みの、雄大な眺めだ。




送電線鉄塔そばを通過したあたりで見られる、ホウキを逆さに立てたようなアブラチャンの群生地。この山脈では経ヶ岳の先、華厳山から高取山(荻野高取山)に至る尾根道に知る人ぞ知る群生地があるが、ここもなかなか見事。




アブラチャンの群生地を抜けた先で見られる、シモバシラ(シソ科の多年草)。地上部が枯れた初冬の頃、根から吸い上げた水分が霜柱となって現れた、薄氷の造形美。地中の水分が凍ってしまえばこの現象も終わる。




日陰の斜面に冬の華の群落がひろがっている。




かなり大きなシモバシラ。見事な氷の華が咲いた。




この登山道は岩場のやせ尾根が多い。




下った岩場を振り返る。




ロープが張られた痩せ尾根が続く。




岩場の登り返し。小さなアップダウンを何度も繰り返す。




鉄塔が見えるとようやく山頂。




高取山(たかとりやま。標高705.7m)に到着。時刻は11時50分。随所で写真に時間を取りすぎて、既にコースタイムを大幅に超過。

高さ13mの鉄塔の上からはパノラマの大展望が広がる。




宮ヶ瀬水の郷・大吊り橋。正面には丹沢山(たんざわさん。1567m)から手前に延びてきた丹沢三峰・本間ノ頭(ほんまのあたま。1345m)。
その右奥には丹沢山塊の最高峰・蛭ヶ岳(ひるがたけ。1673m)。




オレンジ色のアーチ橋・宮ヶ瀬虹の大橋。左上に丹沢主脈の北端・焼山(1060m)。右奥には大菩薩連嶺。




高取山の鉄塔からは宮ヶ瀬ダムの提体も見える。見上げて圧倒され、見下ろして身震いした巨大なコンクリート塊も、山並みの中にスポッと収まっている。
左手の山肌はコンクリート骨材の石が採取された跡に自然植生の復元を目的としてなされた在来種の植樹。そのすぐ上の尾根がハイキングコースとして整備された南山(みなみやま。544m)。ダム堤の北端からあいかわ公園を経て登ることができる。




画面右下には愛川町半原の日向橋。半原の左手には、標高およそ250mに広がる日比良野高原・服部牧場。中央やや上には津久井城址・城山(375m)




愛川町の県営メガソーラー。その向こう、ゴルフ場が広がる緑地は地勢的には関東山地の東端。相模原の市街地を挟んで奥には多摩丘陵の緑。
地平線には都内の超高層ビルが延々と並ぶ。その上空の機影は横田基地へ向かう軍用機か。 拡大版 




南から北西面。 拡大版 




北から南東面。 拡大版 




高取山から仏果山へ向かう。時刻は12時15分。




尾根筋に立ち並ぶ、モミの大木。









この山域から宮ヶ瀬湖を挟んだ東丹沢にかけては、春から秋にかけてヤマビルが多い。丹沢を歩き始めた1990年代の終わりごろにはこれほどの注意喚起はなかったような気がする。
シカなどの野生動物に寄生するヤマビルの大発生は、シカの爆発的増加など生態系のバランスの崩れも影響しているのだろう。




宮ヶ瀬越(みやがせごえ)付近。
右手はかつては清川村宮ヶ瀬集落と愛川町半原集落とを結んだ峠道。現在は清川村側の仏果山登山口とを結ぶ道。
仏果山へは正面を登っていく。




岩がちな尾根道。




数日前の雪がうっすら残る尾根道。仏果山山頂の鉄塔が見える。









補助ロープが付けられた山頂直下の岩場をひと登り。









仏果山(ぶっかさん)山頂。標高747m。午後1時、気温は7℃、思ったよりも暖かい。高取山〜仏果山はコースタイムどおり。

山頂には多数の石仏が祀られている。




鉄塔からの眺め。高取山よりも宮ヶ瀬湖の見える範囲が狭くなった。ダムも見えない。
右奥には高取山。高取山山頂から仏果山にかけての稜線上にずらりと並ぶ、モミの大木。モミの木の三角形のシルエットがはっきりと分かるのは、周囲が落葉する冬場なればこそ。




高取山の鉄塔が眼下に見える。




遠景の山並みの見え方は高取山からとほぼ同じ。 拡大版 




経ヶ岳(きょうがたけ)へと続く稜線。

一方で、仏果山の展望台からは高取山よりも県央・横浜方面の市街地の広がりを感じることができる。




拡大版。 
ゴルフ場の向こうに愛川の内陸工業団地、相模川を挟んでその向こうに座間駐屯地。日産座間工場跡地・物流拠点などの向こうは程ヶ谷カントリーなど横浜市西部の緑地。そして鶴見つばさ橋からランドマークタワーにかけての横浜臨海部。




山頂から半原方面への下山路。こちらは比較的なだらかな尾根道。




関東ふれあいの道・丹沢山塊東辺のみちの案内板。

仏果山の名は室町時代の清川村煤ヶ谷(きよかわむらすすがや)・正住寺の禅僧である仏果禅師が修行をした山という伝承による。
もっとも、修験の山伏はこの山を仏果山とは呼ばなかった。半原清瀧寺の縁起によればこの山は「明王嶽」と記されていたという。
参考・「丹沢の行者道を歩く」城川隆生著。




午後1時40分、山頂を出発。

仏果山から経ヶ岳への縦走路は、画面右手から登ってきた高取山からの縦走路を山頂から折り返すように続いていく。




注意を促す看板がこの先から随所に見られるようになる。




尾根が急傾斜となって続く。




眼下には採石場。




補助ロープが張られた岩場。




急峻な岩場。正面向きに下ると背中のザックを岩に引っかけたときに前のめりに振られてバランスを崩し危険なので、後ろ向きになって手足を使い三点確保の要領で慎重に。









今度は鎖場(くさりば)。




慎重に痩せ尾根を通過する。









悪天候時にはエスケープに使える秋葉山・南山林道・細野橋バス停・馬渡(まわたり)バス停への分岐。




短い梯子。




八菅(はすげ)修験の道の案内板。 八菅修験の行所図拡大版 

先に仏果山のいわれで紹介した明王嶽は八菅修験の行所には掲載がなく、「大山修験の行者道」として紹介されている。江戸時代末期まで、東丹沢には幾つかの修験者(山伏)集団があった。









壊れたシカ除け柵を通過。この先、長い木段の下り。




木段を下りてきた。









革籠石山(かわごいしやま・640m)。山と高原地図(昭文社・2012年版)には記載がないがヤマケイ・アルペンガイド(山と渓谷社・2012年版)や東丹沢登山詳細図(吉備人出版)には載っている。









相模原市緑区・橋本の街が見える。




先へ進むとテーブルのある休憩所。分岐ではないが尾根通しではなく道が折れ曲がっている。地形としては非常に道迷いしやすいところであるが、道標があるので心配はない。




道を折れた先は再び長い木段が続く。この先で清川村側の土山峠(つちやまとうげ)バス停分岐、リッチランド分岐を通過していく。




シカ除け柵の脇を通過。道迷いを誘発しやすいところは、要所に道標がある。




長々と下っていくと車道が見えてきた。




半原越(はんばらごえ)に到着。時刻は午後3時40分。ここまでカメラを構えてああでもない、こうでもない、とやっているうちに時間を大幅にロスしてしまい当初の予定より一時間以上遅れてしまった。




法論堂(おろんど)、半原越(はんばらごえ)のいわれの解説板。

予定ではここから経ヶ岳(きょうがたけ)に登り返し半僧坊前バス停に下山するつもりだったが、この時間では経ヶ岳から下りていく登山道の途中で真っ暗になってしまう。
そこで予定を変更して南山林道から馬渡バス停へ下山。およそ5.5q、1時間15分の長い車道歩きとなった。

半原越から経ヶ岳は「煤ヶ谷から経ヶ岳、田代へ」のページへ。









西日に照らされる山。




登山者にはあまり歩かれていなさそうな秋葉山方面への林道の分岐道標がある。山と高原地図(2012年版)には記載がない。




ヘアピンカーブ。先はまだまだ長い。林道を下っていく右手の沢(南沢)は下流で塩川滝を掛ける沢。

途中、クマが出没したので注意するようにとの看板を見かける。大声でぶつぶつ独り言を言いながら、肩に担いだままのストックでガードレールを時々「ガーン」と鳴らしながらゆく。




上細野まで下りてくると造林小屋の前に道標が立つ。時刻は午後4時30分。

道なりの方向は国道412号線を示し、清雲寺方面への道は狭い道。「山と高原地図」と「東丹沢登山詳細図」を照らし合わせるが清雲寺への道がいま一つはっきりしなかったのでそのまま国道方面を示す方へ進むことにする。結果的には国道へ通じる広い車道に出るまで、清雲寺方面を示す道の方が若干近道だったが、大差はなかった。

なお、ここからは馬渡バス停よりも半原発野外センター前(愛川ふれあいの村)経由本厚木駅・厚木バスセンター行の「細野橋」バス停の方が近い。本厚木駅に戻るだけならそちらも利用可能。土日の夕刻の時間帯は毎時25分。もしも宮ヶ瀬ダムハイキングパスを買ってあれば指定区間内のバスは何回でも乗り降り自由なので時刻次第では半僧坊前から田代あたりへ戻るにも使える。




途中にあるのはこの年に完成したばかりのJA県央愛川の荒茶工場。この先で国道を横切り、その先の馬渡バス停へ。

バス停についた頃にはすっかり暗くなったが一、二分でちょうど午後4時55分のバスがやって来た。元々の予定では経ヶ岳から半僧坊前に下りて平山橋を撮るつもりであったこと、バスの時間が押していて気が急いていたこともあり、不覚にも夕闇に溶け込む馬渡橋の姿を撮りそびれてしまった。馬渡橋は解体されてしまうそうなので惜しいことをした。

半原越から下りはじめの予定では馬渡から三つ先の愛川田代局前バス停まで移動して、愛川町田代の蔵元・大矢孝酒造で地酒「残草蓬莱(ざるそうほうらい)」を買っていくつもりだったが、ひょんなことから時間をロスしてしまい、長い車道林道を飛ばし気味に歩いて脚が相当に疲れてしまったので、気が変わった。
途中下車してしまうと次のバスは一時間後なので、酒はまたの機会にして今回はそのまま本厚木駅へ帰ることにする。


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