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経ヶ岳から北条・武田合戦の地をたどる


平成28年(2016)の年の瀬、正月の地酒調達を兼ねて経ヶ岳から三増合戦場跡を歩く。

1.煤ヶ谷より経ヶ岳を経て田代へ




世の中が年末年始モードになった12月30日、朝の6時40分ごろ。小田急・本厚木(ほんあつぎ)駅北口5番のりばから「厚20 宮ヶ瀬行」の始発バスに乗車、清川村煤ヶ谷(きよかわむら すすがや)の「坂尻」へ。




坂尻バス停から来た道を振り返る。朝7時30分ごろ。気温は5度。




このあたりで標高およそ155m。経ヶ岳への登路となる「法論堂林道(おろんど りんどう)」へは、来た道を少し戻る。




法論堂林道への分岐あたりにある、「関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)」案内図。




法論堂林道へ。




小さな祠に幾つもの道祖神、ツバキの大木。この道が古くから峠越えの道であったことを偲ばせる。




リッチランドへの案内がある方を進んでいく。




法論堂林道起点の標識を過ぎる。




歩き始めて30分もすると、露天風呂での日帰り入浴もできるキャンプ場「リッチランド」前。年末のこの日は休業。




リッチランドを過ぎて、車止めが現れる。




車止めを過ぎて4、5分進んだあたり。朝日に照らされる山なみ。




法論堂橋を過ぎて少し進んだ先のヘアピンカーブ。




カーブを登っていくと丹沢山塊を望むようになる。




枠組で補強された法面を過ぎていく。




谷を挟んだ向こう側、大山三峰山(おおやま みつみねさん)が目の前に迫っている。大山三峰は梯子・鎖の連続する急峻な行者道の登山道で知られる山。




この吹付はまだ新しい。




こちらのは吹付が岩肌の風合いになってきた。




半原越(法論堂林道・法華峰林道分岐)の手前2、3分あたりからの眺望。奥に大磯丘陵の湘南平(しょうなんだいら)、高麗山(こまやま)が見える。




車止めのある半原越(はんばらごえ)に到着。標高488m。時刻は8時45分。




法論堂、半原越の名のいわれ。

修験者が法を論じ合ったとか、煤ヶ谷の繭を糸の町半原へ運んだといったことが記されている。




法華峰林道(ほっけみね りんどう)のゲート。ここまでは愛川町馬渡(あいかわまち まわたり)の側から南山林道(みなみやま りんどう)をクルマで登ってくることもできる。

ここで「ふれあいの道」は「丹沢山塊東辺のみち」に分岐する。宮ヶ瀬ダムから高取山、仏果山へはこちら。




経ヶ岳(きょうがたけ)への登山道。林道が切通(きりどおし)のように尾根を深く切り下げているので、登り始めはちょっとした急登になっている。




北に市街地が大きく広がる。




明るい尾根道を登っていく。




半原越からの急登を経て稜線がなだらかになった最初の小ピークに、休憩テーブルが設けられている。




南の展望。大磯丘陵が見える。




西は丹沢山塊の展望がすばらしい。




「丹沢の山なみ」展望図が設けられている。山岳展望マニア・山座同定愛好家のバイブル「展望の山旅」シリーズ(実業之日本社)のようなイラスト。 拡大版。




パノラマ。 拡大版。




ひとしきり展望を楽しんだら、経ヶ岳へ向かう。




かたちのいい、仏果山(ぶっかさん。747m)。山頂には展望鉄塔が建っている。津久井の長竹(ながたけ)・韮尾根(にろうね)のあたりではかつて「半原富士」などと呼ばれていたそうだ。




道が急峻になり、木の梯子が架かる。









グズグズの岩場を通過していく。

東丹沢前衛の山々であるこの山域(半原高取山〜仏果山〜経ヶ岳〜華厳山〜荻野高取山)は愛川層群と呼ばれる地層が一直線の山脈となって連なり、本来的には硬い地質に沿うように谷底を川が流れている。
山体をつくる安山岩や凝灰岩は風化して侵食され、600〜700mという標高の割には急峻な起伏が出現した。









経石(きょうせき)。




経石のいわれ。南側の穴に経文が納められたことからこのように呼ぶ、とある。

記されているのは三増合戦(みませかっせん。永禄12・1569)にまつわる伝承。
北条方の落武者たちが中津川からこの山々まで逃れたものの、法論堂側を見下ろすと逃れてきたはずの武田勢が迫っている。もはやこれまで、とこの付近で力尽きた。ところが武田勢の槍に見えたのは収穫を終えたモロコシの茎であった。以来、かの地では落武者の霊を弔うためモロコシを作らなくなった、という。




ごっつい岩が登山道にでん、と居座っているが如し。




経ヶ岳(きょうがたけ。633m)山頂に到着。
時刻は9時40分ごろ、気温は5度。随所で写真に時間を取ったため標準コースタイムよりだいぶ時間がかかった。




本当に久しぶりの、経ヶ岳。




山頂から広がる大展望。ふた昔ほど前の経ヶ岳は半原高取山、仏果山と違って木々が茂り眺望はさほど利かない山という認識だったが、どうしてどうして。

立派な展望図がこちらではなく先ほどの小ピークにあったのは、こちらの展望の方が後から切り開かれて確保されたから、ということか。いや、記憶が飛んでしまっている。展望図を設置したのが「環境庁」だったから、あれは少なくとも平成13年(2001)よりは前のものだが。




パノラマ。  拡大版。

見え方は先に見た展望図のある小ピークからと、ほぼ同じ。




9時50分過ぎ、経ヶ岳から田代(たしろ)へと下山する。




少し行くと、華厳山(けごんやま)・高取山(荻野高取山・おぎの たかとりやま)の尾根への分岐。




ここから荻野高取山までは往復で2時間余り。




この稜線をたどって高取山からさらに先、その昔雑誌「岳人」に「展望の陽だまりハイク」と紹介されていたバリエーションルートを四苦八苦しながら上飯山まで下りて、美登利園(飯山温泉)の風情ある露天岩風呂でひとっ風呂浴びたのも今となっては良い思い出。冬の季節の露天風呂だったので屋外の洗い場が寒くて(内湯と繋がっていない)大急ぎで体を洗って「ふー、極楽」と湯に浸かったものだった。
(バリエーションルート・・・登山愛好家が言うところの「ハイキング」においては、登山地図・ガイドブックに掲載のない、国土地理院二万五千分一地形図の読図が必須のルート)




飯山観音門前のさらに奥、上飯山の高台に佇む美登利園。飯山温泉は小鮎川沿いに宿が点在するため、美登利園は「奥飯山温泉の一軒宿」といった風情。
画像出典・美登利園リーフレット


高取山から先の稜線は、採石場の採石が進むことでいつしか立入禁止になってしまった。そのうち稜線そのものが無くなってしまうのか。
とはいえ、半原越や経ヶ岳に備えてあった「相州アルプスの南尾根・荻野西山登山マップ」によると、稜線が歩けなくなった代わりに山裾に道が付け替えられた、とある。
現在の地形図(地理院地図・電子国土Web)では、立入禁止になった稜線も付け替えられた道も、昔の地形図には無かった破線が引かれている。但しマップには「整備されていません。ご注意ください」との記載もあり、やはりバリエーションルートに準じた扱いであることに変わりはない。




経ヶ岳山頂にあった、華厳山・荻野高取山・発句石への案内。




田代へ向けて、植林地を下っていく。




登山道が緩い尾根から逸れるあたりには、道に迷わないよう道標が整備されている。




どんどん下っていく。




壊れてしまっているシカ除けの柵をくぐる。




東の展望が開けた。




ズームでぐっと引き寄せる、ランドマークタワー(296m)。直線距離にして33q足らず。意外と近い。




作業道に迷い込まないように方々にトラロープが張られている。









法華峰(ほっけみね)林道まで下りてきた。10時40分過ぎ、標高およそ425m。




ここで未舗装の林道を登山道(関東ふれあいの道コース)の続きとは反対の方へ進み、三増(みませ)合戦場跡、田代の町を見下ろす。




田代、三増の町




志田峠・三増峠周辺の山々。




パノラマ。 拡大版。




林道を引き返し、登山道(関東ふれあいの道)の続きに戻る。11時10分ごろ。




林道から登山道へ。




明るい尾根道。




見晴のよい休憩テーブル。まとまった休憩を取る。




ジグザグの道を下りていく。




台風の倒木。




注意を促す看板。




登山道の崩れは補修されている。




堰堤まで下りてきた。




沢の上流側から対岸へ移っていく。




初心者でも道を見失わないようにたくさんの赤テープが付けられている。




堰堤の上流側は大きくえぐれてしまっている。荒天時、一体どのような光景が広がったのか。




堰堤を越えて沢沿いを進み、もう一つ堰堤を越える。




越えてきた堰堤(道ノ入二号えん堤)を振り返る。




橋を渡ればまもなく国道。




道ノ入沢(どうのいりさわ)の標柱が立つ経ヶ岳登山口。標高およそ115m。時刻は12時過ぎ。途中寄り道したためこちらもコースタイムをだいぶ超過。




国道沿いに進み平山坂下の信号で県道へ渡り、半僧坊へ。




県道沿いに建つ田代半僧坊(曹洞宗満珠山勝楽寺)の総門。




国道の下をくぐり、参道を進む。




解説板。

古くは真言宗の寺であった勝楽寺は天文年間(1532〜1555)に曹洞宗となった。開基の内藤秀行は戦国時代に小田原城の支城となった津久井城の城主内藤氏の一族で、津久井城の支城である田代城を拠点とした。

半僧坊の名は「遠州(現静岡県)奥山方広寺」から勧請した半僧坊大権現に由来する。
境内背後の山は法華峰と呼ばれる、とある。江戸時代後期の地誌「新編相模国風土記稿 巻之五十八 愛甲郡巻之五 毛利庄 田代村」によれば、法華峰とは「上荻野煤ヶ谷二村に跨り界とす」とあり「他村にては華厳山という」とある。また「その辺に経石あり」とあるので経ヶ岳あたりからの稜線全てを裏山としていたのだろう。




堂々たる楼門の山門。文政12年(1830)着工、嘉永4年(1851)落成。




見応えのある山門は禅宗様(ぜんしゅうよう)らしく三手先(みてさき)の組物(くみもの)がびっしりと並ぶ。扁額(へんがく)には「満珠山」の文字。




扉に葵の紋があしらわれた中門と、奥に仏殿。仏殿は禅宗様ではなく白壁に火灯窓(かとうまど)という、折衷様式。

「新編相模」によれば、勝楽寺は天正19年(1591)に寺領四石の御朱印を賜った、とある。小田原合戦(1590)の後に関東に入った徳川との付き合いは、それ以降となる。




県道沿いの総門そばには関東ふれあいの道の指導標がある。

半僧坊に立ち寄るにはこの通りだが、経ヶ岳へは県道に沿って進み平山坂下信号から国道沿いを上っていく方が分かりやすいのだから、表記はあまり親切とは言えない。
三増・志田峠については、今回は「関東ふれあいの道」のルートではなく平山橋を見物してから田代の酒蔵を経由して向かうので、道を渡らずにそのまま県道沿いを進んでいく。




県道平山大橋手前の青看板に平山橋への案内が付いている。




三連トラス橋の平山橋(ひらやまばし)。
左岸(下流に向かって左の岸)の一連は大正2年(1913)築の百年物。他の二連は木造からの架け替えにより大正15年(1926)築。




愛川町随一の近代土木遺産は登録有形文化財となっている。平山大橋の開通(平成15・2003)により現在は人道橋となった。




トラスの鉄骨を小さいトラスで補強し、リベットだかピンだかで留めている。造船に発した溶接技術が土木に普及していく以前の土木遺産。ちなみにわが国初の溶接鉄道橋は横浜・瑞穂ふ頭の瑞穂橋梁(昭和9・1934竣工)。

平山橋、馬渡橋(まわたりばし。架け替えで解体)、日向橋(ひなたばし)といった立派なトラス橋が古くから架かっていた中津川流域のこの町は、製糸・撚糸などの産業が興ることで栄えていた。




中津川の上流側を望む。




案内板。




12時30分過ぎ、平山橋を渡った先の田代交差点。標高およそ85m。

交差点そばに建つ、大矢多門酒店。大矢孝酒造の商品のほか、伊勢原市・吉川醸造(きっかわ じょうぞう)の「菊勇(きくゆう)」にごり酒や、山北町(やまきたまち)・川西屋酒造店(かわにしや しゅぞうてん)の「丹沢山(たんざわさん)」吟醸造り純米といった県内他所の地酒も取り扱っている。




田代小学校隣りの大矢孝酒造(おおやたかし しゅぞう)。大きなケヤキの木二本が目印。




推定樹齢400年の大ケヤキは酒蔵のシンボルである煙突とともに、この蔵のシンボルとなっている。




今回の山土産には「残草蓬莱(ざるそう ほうらい)純米吟醸」と「残草蓬莱 純米しぼり立て」を購入。散策の途中だったが、真冬なので生酒をそのまま持ち歩いても心配ない。

新年の楽しみといえば、なんといってもフレッシュでフルーティーなしぼりたて。これなくして正月は迎えられない。
定番の純米吟醸は日本酒度は+4、精米歩合は50%というスペック。純米吟醸は四合瓶が1,500円くらいで買える。大手であれば純米大吟醸として出すであろう酒。数値としてはやや辛口に分類されるがその味わいはすっきりとした中口の旨口。

+は辛口、−は甘口というのはあくまで口あたりの目安に過ぎない。マイナスは間違いなくやわくちな甘口だが、プラスでも鼻を抜ける香りが甘いものは数多い。日本酒全体では数としては圧倒的にプラスの酒が多いが、県内の蔵はキリッとした辛口のいわゆる端麗辛口ではなくすっきりした旨口な酒も多い。


2.三増合戦場とその周辺へ。  森歩き山歩きトップに戻る。