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柏尾川流域、大船界隈・信仰のかたち。


4.城廻から定泉寺・田谷山瑜伽洞(田谷の洞窟)、湯快爽快たやへ。

3.玉縄城址、龍宝寺、旧石井家住宅、諏訪神社へはこちら。


鎌倉市の玉縄城(たまなわじょう)跡・城廻(しろめぐり)交差点。ここから横浜市域の栄区・田谷山瑜伽洞(たやさんゆがどう)へ。




城廻、とは玉縄城にゆかりのある古くからの地名。
玉縄トンネルを背に、交差点を右折。




ゆるく上っていき、最初の角を左へ入る。




入った道をゆるく上り、緩く下っていく。




突き当りの階段を下りる。




下りてから川沿いに真っ直ぐ行く。突き当りには鎌倉養護学校。突き当りを右折。




関谷川(せきやがわ)沿いを行く。関谷川はやがて大面川(だいめんがわ)・柏尾川(かしおがわ)へと合流していく。
柏尾川は境川(さかいがわ)の最大支流。柏尾川自体も多くの支流をもち、横浜市南西部では境川よりも流域が大きい。




田谷(たや)交差点を渡る。




右手には田園風景が広がっている。




神奈中(かなちゅう)バス停「洞窟前」。
こちらは戸塚BC(バスセンター。戸塚駅西口)方面行。反対車線は大船駅西口方面行。




洞窟への大きな案内看板を、左へ。




真言宗大覚寺派田谷山亀見院定泉寺、瑜伽洞(ゆがどう)。瑜伽洞の拝観は有料。

田谷山瑜伽洞は「田谷の洞窟」としてその名を知られる、密教の地底伽藍(人工洞窟)。




本堂。









蟇股(かえるまた)には龍の彫り物。




木鼻(きばな)は獅子の彫り物。




本堂の隣に、瑜伽洞拝観の受付がある。
拝観料を支払い、しおりとロウソクを頂く。




定泉寺の寺紋は、笹竜胆(ささりんどう)の紋。




入口の手前に、御洞巡拝の心得が掲示されている。ロウソク立ても用意されている。




ロウソクの種火は洞内にある。洞内は撮影できない。









田谷の洞窟の原型となるものは相当古いころから存在していた、と考えられている。

鎌倉時代の初期には、幕府の御家人・朝比奈(朝夷奈)三郎義秀(あさひな(あさいな)さぶろうよしひで。和田義盛の三男)により洞窟奥(現在は厄除大師が祀られる奥ノ院)に弁財天が勧請された(朝比奈弁財天)とされる。これが「田谷の洞窟」の原点といえる。


鎌倉時代以降、この洞窟は鶴岡二十五坊(つるがおかにじゅうごぼう)との関係が深まり、真言密教の修行場として洞窟は掘り拡げられていった。

鶴岡二十五坊とは鶴岡八幡宮寺のお勤めをする僧侶が設けた僧坊。そこは当時関東最大の真言宗の拠点であった。
なお鎌倉時代、鶴岡八幡宮は神仏混淆であった。現在のようなかたちになるのは明治期の神仏分離以降である。
鎌倉仏教といえば真っ先に思い出すのが鎌倉五山を頂点に、鎌倉時代に執権北条氏の厚い庇護を受けた禅宗の臨済宗諸派であるがそれらは鎌倉時代中期以降。このように当時から真言宗も隆盛を極めていたわけである。


一方、定泉寺の開山は室町時代の末期である天文(てんぶん)元年(1532)、鶴岡二十五坊のひとつである相承院(そうじょういん)の隆継(りゅうけい)による。


江戸時代に入ると洞窟は洞門のあたりが崩壊、しばらく閉ざされていたが天保元年(1830)に灌漑の水源を求めて再び開かれ、およそ30年にわたり内部の整備工事が行われた。指導にあたったのは当時定泉寺に隠居していた学僧・寂照(じゃくしょう)ではないかと考えられている。
洞内の西側部分はそのころに掘り進められたものと推測する見解がある。廻道などは未完のまま終わっている、とされる。


明治に入ると廃仏毀釈の世となり、瑜伽洞も閉鎖され定泉寺も無住となった。大正期を迎えると住職が再び着任、昭和2年(1927)に至り一般公開は再開された。




洞窟の入口から中へ。受付で頂いたロウソクの種火となる火は洞内入口そばをはじめ、途中で消えても再点灯できるよう至るところに灯されている。

ゆっくり歩かなければ消えてしまいそうなか細い灯であるが、それ故に拝観の歩みはおのずとゆっくりとしたものになる。もっとも洞内には照明が引かれているので火を灯さなくとも拝観に支障はない。

洞窟内部の岩盤は軟らかい。ここ鎌倉周辺で採掘され数多(あまた)の石塔や石段に用いられてきた石は「鎌倉石(かまくらいし)」と呼ばれ、硬い「伊豆石」などと比べると細工し易い。が、それは崩落し易いということでもある。
たとえば北鎌倉天園ハイキングコースでみられる十王岩(じゅうおういわ)の彫刻は風雨に晒され風化が激しい。古刹・杉本寺(鎌倉市二階堂。金沢街道沿い)の苔むした石段も摩耗が激しく通行が禁じられている。

ここ田谷の洞窟では洞窟内の温度が年間を通じて17〜8度、また豊富な湧水のゆえ湿度も一定に保たれ、かつ細心の注意が払われることで、脆弱な彫刻はその形を保ってきた。関東大震災(大正12年・1923)にもよく耐え抜いた、と思うと感慨深い。




画像出典・市民グラフヨコハマNo.71「横浜・最新名所案内」(平成2年・1990発行)。


迷路のような三段構造の洞窟は所々が上下左右でつながっており、ときおり他の拝観者の物音や灯りといった気配をフッと感じる。
総延長は約1qと推定、調査が及んでいる廻道は全長およそ540m、行者道として公開されている拝観可能な部分でも250mはある。この密教伽藍では様々な彫刻、尊像が見られる。


まず真言密教の信仰の場としての性格は、大日如来を中心とした胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)、金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)に見られる。密教の世界観を表すこの二つの曼荼羅は、おおまかにいうと胎蔵界曼荼羅は「理論」、金剛界曼荼羅は「実践」を表すということになるそうだ。
瑜伽洞の曼荼羅は、岩のドーム上方に掘られている種子曼荼羅(しゅじまんだら。仏像ではなく梵字(ぼんじ。種子)で表された曼荼羅)である。
そして、日本で独自に発展した浄土曼荼羅(じょうどまんだら)として、弥勒浄土四十九院(みろくじょうどしじゅうくいん)種子曼荼羅が見られる。この曼荼羅は洞内最大規模のドームに掘られている。

なお、瑜伽洞の胎蔵界曼荼羅は八角形に配列される梵字(種子)が、通常の配列と異なって逆回りになっているそうだ(逆さ曼荼羅)。このことに関する解釈論は「鎌倉の密教地底伽藍・田谷の洞窟」(吉田孝著。乾仁志研究論文を増補)に興味深く展開されている。同書は拝観受付で購入することも可能。

一方、庶民信仰の場としては秩父三十四箇所、西国三十三箇所、坂東三十三箇所観音霊場に四国八十八箇所霊場の札所すべての仏さまが文字通り一堂に会し、この洞内におさめられている。
これはかつての庶民にとって、霊場巡りを一時にかなえられるという大変魅力的なものであっただろう。
そのほかにも六地蔵、七薬師、十八羅漢など庶民信仰ワールドが洞窟内いたるところに大展開されている。

なお、洞窟に入ってすぐの天井には家紋が幾つも彫られている。これは工事奉納者のものと考えられている。


鎌倉時代に朝比奈三郎義秀により奥ノ院に祀られた朝比奈弁財天は江戸時代の改修工事に際し、順路の比較的前半になる金剛界曼荼羅のドームの奥に移された。
ここは見落としがちな場所ではあるが、田谷の洞窟の原点ともいうべき弁財天の祀られた場所はぜひ見ておきたい。

また、順路となる行者道の奥、厄除大師の祀られる奥ノ院のそのまた奥には、かつて田谷の御霊神社に抜けるための裏参道があったともいわれる(現在は崩落)。




画像出典・市民グラフヨコハマNo.91「横浜・音の風景アルバム」(平成7年・1995発行)。

順路の後半でみられる、五大明王。中央が不動明王。この辺りは修行道場とされている。順路の先を行ったこの奥は、お水大師のドームへと通じる。




画像出典・市民グラフヨコハマNo.105「横浜・文化財のある風景」(平成10年・1998発行)。

五大明王の前にて、来た道を振り返る。画像奥に見えるドームは弥勒浄土四十九院種子曼荼羅、四国八十八箇所霊場(一部)。




画像出典・市民グラフヨコハマNo.100「百号記念・横浜百景」(平成9年・1997発行)。

順路も終盤、水音が次第に大きく響いてくる。辿り着いたお水大師の祀られるドームでは、金剛水(こんごうすい)と呼ばれる霊水が絶えることなく湧き出で、ドボドボと音をたてて流れ落ちている。天井の大変低い洞内、湧き出た水は音無川となって洞内を流れてゆく。この辺りでみられるのは十八羅漢壁画。





ゆっくり歩いて30分余り、仏様をじっくり見て回ればそれ以上は優にかかる地底伽藍巡りを終え、洞の外へ。




朝比奈弁財天の祠。




子安地蔵尊。




田谷の洞窟を後に、日帰り温泉へ。









途中にある、御霊神社(ごれいじんじゃ。ごれいしゃ)。田谷の洞窟の奥の院から裏参道が延びていた、といわれるが確かめるすべはない。

境川流域ほか相模各地に数多く分布する御霊神社は通常「ごりょう じんじゃ」と読まれることが多い。祭神として関東の大武士団「鎌倉党」の祖・鎌倉権五郎景政(かまくら ごんごろう かげまさ。生没年不詳)を祀る。

鎌倉党は坂東平氏の流れをくむ鎌倉氏のほか支流の大庭(おおば)氏、長尾氏、梶原氏、俣野氏などが名を連ねる。ここ境川流域も支配地としていた。









日帰り天然温泉の、「湯快爽快」たや店に到着。




田谷の洞窟をイメージしたサウナというのがユニーク。

ここからはJR大船駅・戸塚BCにでる路線バス(山王バス停)のほか、JR根岸線(ねぎしせん)本郷台駅へ無料送迎バスも出ている。


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