まちへ、森へ。

境川サイクリングロード、田園地帯をゆく

平成25年(2013)の9月、稲穂も実る秋の彼岸入りの頃。横浜市瀬谷(せや)区と大和(やまと)市の市境、中原街道・新道(しんみち)大橋から藤沢大和自転車道(境川サイクリングコース)を利用して、流域の各所へ寄り道しながら境川遊水地までを走る。

 

今回は自転車で境川沿いを主に走ったが、小田急江ノ島線、相鉄(そうてつ)いずみ野線の各駅を利用すればルートの一部をウォーキングする楽しみ方もできる。

 

1.新道大橋から上飯田の本興寺へ

 

 

新道(しんみち)大橋から左岸通しに下流へ向かう。

 

 

 

左岸は砂利の道が多い。

 

 

 

途中で右岸へ。

 

 

 

右岸のサイクリングロードを南下、この先に見える新幹線のガード下をくぐる。

 

 

 

緑橋。右へ行けば小田急江ノ島線高座渋谷(こうざしぶや)駅はそう遠くはない。
左へ曲がり、橋を渡った先へ行く。

 

 

 

いちょう団地前信号を過ぎた先にある、日蓮宗別格本山・法華山本興寺(ほっけざんほんこうじ)。

 

寺の総門(そうもん)は、武家の館のような冠木門(かぶきもん)。この冠木門は、控柱(ひかえばしら)を立てたうえで控柱と本柱とをつなぐ貫(ぬき)の上に小さな屋根を載せた、高麗門(こうらいもん)の形式もとっている。

 

 

 

総門から延びる参道の奥に山門(仁王門)が見える。

 

本興寺の元となる寺は鎌倉・日蓮上人辻説法ゆかりの地にあった。室町時代初期の弘和(こうわ)2年(1382)に山号を法華山と改めた日什(にちじゅう)が事実上の開祖。江戸時代の万治(まんじ)3年(1660)、幕府の弾圧を逃れ鎌倉からこの地(相州鎌倉郡飯田村。現横浜市泉区上飯田町(かみいいだちょう))に移ってきた。

 

 

 

参道の途中にある真ん中の石碑に「開山日什」と刻まれている。

 

 

 

仁王門。天明5年(1785)建立。

 

 

 

仁王像(金剛力士像)阿形(あぎょう)。

 

 

 

仁王像(金剛力士像)吽形(うんぎょう)。

 

 

 

本興寺縁起の碑。

 

 

 

 

 

 

 

本堂。明治二年(1869)再建。唐破風(からはふ)の向拝(こうはい。せり出した屋根)の下には見事な彫刻が施されている。

 

 

 

いちばん上の彫刻は鳳凰。

 

 

 

松鷹。鷹の視線の先には逃げる雀。

 

 

 

蟇股(かえるまた)にはこれまた精緻な見事な彫刻、上人の一代記。

 

 

 

木鼻(きばな)には、獅子鼻、獏(ばく)鼻。

 

 

 

曲がった梁の海老虹梁(えびこうりょう)、その上にある手挟(たばさみ)にも細かな彫刻。手前側は麒麟だろうか。内側の並びには松。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝蔵。

 

 

 

本堂のそばには、イトヒバの古木が。

 

 

 

堂々たるその木は、周囲の木と比べても胴回りがひときわどっしりと太い。樹齢はわからないが、この太さからして軽く300年は越えていそう。

 

 

 

傍らに石船。

 

 

 

大客殿。

 

 

 

境内にはイトヒバやイチョウの古木がそびえる。

 

 

 

来た道を戻り、ふたたび境川・緑橋へ。

 

 

2.本興寺から下和田の長屋門、左馬神社、上飯田のイヌツゲ生垣へ

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