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長屋門公園の雛段飾り


相鉄(そうてつ)線三ツ境(みつきょう)駅から南、長屋門プロムナードから瀬谷(せや)区阿久和(あくわ)地区の長屋門(ながやもん)公園へ。




駅から来ると、公園の奥まった一番低いところに、長屋門はある。




清水湧く幅の狭い谷戸を斜面樹林地が挟み込む地形が、そのまま公園となった。














門をくぐると、正面には大きな茅葺の古民家が。









明治17年(1884)築といわれる、長屋門。旧大岡家の長屋門である。




この長屋門は、母屋側から見て右側に土蔵(穀蔵)、中央に現在は二階が工房として使われている納屋土間、左側に現在は事務所として使われている居住部分がある。納屋の上には納屋の通風・採光をよくするための抜気(ばっき)がある。全体として、近在の長屋門と比べてもかなり大がかりな門となっている。




文庫蔵。




この母屋、実はここに建ったのはそう遠い昔のことではない。
「瀬谷歴史かるた」(昭和55年発行)には、この地は「これ一つ静かにのこる長屋門」と詠まれている。昭和53年発行「市民グラフヨコハマ第25号」掲載写真によると、大岡家の屋敷にすでに主屋はなく雑草地となっていた。




この建物は、元は泉区和泉(いずみ)地区に屋敷を構えていた安西家の主屋であった。
和泉地区の安西家といえば、同地の天王森泉館(てんのうもりいずみやかた)も元は安西氏が清水製糸場本館を買い取って転用した住宅であった。




旧大岡家の屋敷地が公園化される際、この環境にふさわしい移築可能な主屋が探され、安西家の厚意で同家主屋が移築されることになった。




移築される前の間取りは、市内の古民家によく見られる「四つ間取り」。天王森泉館でも見られる、座敷や板の間などが田の字に配置された間取りである。
ところが移築にあたって解体調査されたところ、大黒柱近くの地中から鎮物(しずめもの。土地の神にささげる品)の徳利が出土。徳利の推定年代が建物の部材の推定年代より後であることから、安西家の主屋としての歴史より以前の時代があったことが明らかになった。それは1700年代末期まで遡る。

こうした部材の痕跡調査によって、四つ間取りではなく、囲炉裏(いろり)や押板(おしいた。いわゆる床の間の原型)を持つ広間型の間取りが復原され、この地に再現されることになった。




土間。




広間。
























奥の座敷。














長屋門の土蔵。












































長屋門の二階納屋に通じる階段。









現在は工房として利用されている。




文庫蔵。黒漆喰の重厚な扉。












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