まちへ、森へ。

飯山白山〜鐘ヶ嶽、晩秋の里山へ

令和二年(2020)の11月末、神奈川県厚木市の里山ハイク。飯山観音から白山(はくさん。284m)、順礼峠を経て鐘ヶ嶽(かねがたけ。561m)へと、東丹沢前衛の山を歩く。

 

1.飯山観音から白山、順礼峠へ

 

 

神奈中バス本厚木(ほんあつぎ)駅発上飯山(かみいいやま)・宮ヶ瀬行き「飯山観音前」バス停の近く、小鮎川(こあゆがわ。相模川水系)に架かる庫裡橋(くりばし)。標高58m。

 

 

飯山温泉・ふるさとの宿。参道沿いでは唯一の温泉旅館だったが、令和元年(2019)末で閉館となってしまった。

順礼峠から逆方向を歩いてきたときの立ち寄り湯は飯山観音前バス停から(あるいは飯山観音に下らずに森林公園内を桜山から尼寺(にんじ)バス停へと下り)小鮎川上流方面へと歩き、元湯旅館(食事付き)や美登利園(内湯と露天は別の場所)の利用となる。

 

 

 

桜並木の続く川沿いの散策道を歩く。

 

 

 

すっかり葉を落としたコムラサキの実。俗にムラサキシキブとも呼ばれるが、そちらは別種。

 

 

 

総門から参道階段を登る。

 

 

 

 

 

 

 

登った先に、真新しい山門。

 

その名を一般に「飯山観音」と呼ばれ親しまれている、高野山真言宗・飯上山(はんじょうさん、いいがみさん)如意輪院長谷寺(ちょうこくじ)。坂東三十三箇所観音霊場の第六番札所となる。

 

「新編相模国風土記稿 巻之五十七 愛甲郡巻之四 毛利庄 飯山村」は此の地にある「飯山」を村名の由来とし、飯山は「一に飯盛山(めしもりやま)と呼」ぶとある。
「観音堂」の項には「飯山寺と号し(観応元年(1351)の文書にもこの寺号見ゆ)長谷の観音と唱う(嘉吉二年(1442)の鍾銘に飯山新長谷寺と彫る)」とある。そして「別当長谷寺 飯上山如意輪院と号す」とされる。飯上山は飯盛山の音読みが転じて名付けられたのだろうか。

新編相模が指摘する観応元年の文書と思われる、観応元年(1351)の善波有胤(ぜんば ありたね。伊勢原市善波の武士)による書状には、高師冬追討に際して「初代鎌倉公方足利基氏が飯田(横浜市泉区)を発向したところでその供をし、飯山寺を発向して日向山(ひなたやま)に至った」といった内容の記録がある。

 

その歴史について新編相模は縁起に載る所として「神亀二年(725)行基開闢(かいびゃく)の地にして大同二年(807)弘法密教の道場とす、永延二年(988)坂東順詣の札所第六番となる。建久中(1190〜1199)源頼朝秋田城介義景をして造営を加えしめし」と記す。

一方で新編相模は坂東観音霊場記が異説を載せているとして「建仁中(1201〜1204)この地の領主飯山権大夫、観音を信ずること久し・・・尊像は和州(大和国。奈良県)長谷寺の像材にて行基大士の彫刻なり・・・據て(よって)地を選び・・・堂宇を経営す」と記す。そして「この説は当寺には伝わっておらず長谷の唱はこれによって起こったのだろうか」とする。この点、和州長谷寺云々というのは鎌倉・長谷寺の縁起に伝わる話のようでもある。

 

 

 

新たな山門は令和二年(2020)11月3日に落成したばかり。入母屋(いりもや)軒唐破風(のきからはふ)の屋根を架け、大棟(おおむね)には鴟尾(しび)を載せている。

 

 

 

阿形の仁王像。

 

 

 

吽形の仁王像。飯山観音の仁王像は江戸中期の宝永年間(1704〜1711)に造立された。

 

 

 

蟇股(かえるまた)の彫刻。横たわる仏さまに縞々の虎が群がっている。

 

この彫り物の題材はお釈迦さまの仏教説話「捨身飼虎(しゃしんしこ)」。お釈迦さまの前世である薩た(土へんに垂)太子(さったたいし)が飢えた虎の親子を憐れんで自ら身を投げて虎の餌食となったという場面が彫られている。「捨身飼虎」は法隆寺の玉虫厨子に描かれた装画のそれが知られている。

 

 

 

柱には旧山門の古材が接ぎ木して転用された。

 

 

 

古い石碑には「坂東六番飯山寺」と刻まれている。

 

 

 

山門の先にはイヌマキの大木。推定樹齢は400年。

 

 

 

この木は「かながわの名木100選」に選定されている。

 

 

 

観音堂。

 

 

 

御堂は宝形屋根(ほうぎょうやね。上から見ると正方形)を架ける。板壁は横の板壁だが欄間あたりは縦の板壁になっている。桟唐戸(さんからど)を配し、窓は直線的な連子窓(れんじまど)。

 

中世禅宗様の寺院(例えば横浜杉田東漸寺の釈迦堂)は縦の板壁に火灯窓(かとうまど)、中世和様の寺院(例えば横浜本牧三溪園の旧燈明寺本堂)は白壁に連子窓という形式が基本となる。
これが近世(江戸時代)以降になると様式は折衷化し、白壁に火灯窓という組み合わせが多い。逆パターンの縦の板壁に連子窓、というのはちょっと珍しく鎌倉の杉本寺(坂東三十三箇所観音霊場・一番札所)本堂に見られる。飯山観音は板壁こそ縦ではないが杉本寺のそれに近い。金沢文庫の称名寺金堂、釈迦堂は横の板壁に火灯窓。板壁のはめ方や窓の形式の組み合わせで近世密教系寺院にはさまざまなバリエーションが見られる。

 

 

 

長谷寺の扁額。軒唐破風の下、蟇股の彫刻は鳳凰と龍。こちらも近世以降の仏堂にはよく見られる。

 

 

 

銅鍾。室町中期の嘉吉二年(1442)に鋳造された。ここに「飯山新長谷寺」と刻まれている。

 

 

 

山門前の「森林セラピーロードマップ(白山順礼峠ハイキングコース)」。
この日はこのルートを歩き、これに加えて広沢寺温泉入口バス停から鐘ヶ嶽にも登る。

 

 

 

この日は山門横の駐車場で鮎の塩焼き、猪鍋の無料提供というイベントがあった。人出がそれなりにあったのも納得。

 

 

 

9時20分過ぎ、観音堂脇から白山山頂へ向かう。このあたりには三十三観音(石仏)参拝順路が整えられている。

 

 

 

女坂。野生動物被害対策として扉付きの獣除け電気柵が設置されている。

 

 

 

男坂。こちらにも電気柵。ヤマビルは11月も末ともなれば、もう心配はないだろう。

 

 

 

山頂へは短距離だが急登の男坂を登っていく。

 

 

 

森林公園内の分岐路。

 

 

 

木段が続く。

 

 

 

こういった登山道を歩くのは「ゆっくり、小股で、ベタ足」が基本。平地ウォーキングのように大股でガンガン歩くと大概の人はまずふくらはぎが、そしてだましだまし登っていると太ももが攣ってしまう。

 

 

 

本堂から30分もしないうちに、尾根に出た。

 

 

 

山頂手前のテーブル。尾根の反対方向には白山神社の小さなお社があるが、今回は寄らず。

 

 

 

白山(はくさん)山頂(284m)に到着。
ここもまた、加賀の白山から全国に広まっていった「白山信仰」の山の一つ。

 

 

 

展望台。
「ハマの番長」こと横浜DeNAベイスターズの三浦大輔監督が現役時代に三嶋、石田、山崎(崎は立つ崎)康らベイスターズの屋台骨を支える投手陣の後輩たちとともに新年の自主トレのウォーミングアップとして白山を登ってきたことは、ベイファンにはお馴染み。

 

 

 

東の展望。

 

 

 

横浜みなとみらい・ランドマークタワー。

 

 

 

新宿副都心。

 

 

 

東京スカイツリー。

 

 

 

南西には大山。

 

 

 

南東。江の島は木の枝に邪魔されてうまくピントが合わない。

 

 

 

展望台から降りて江の島を撮ってみる。

 

 

 

順礼峠(七沢)に向けて出発。

 

 

 

しかしこの道標、なんとも紛らわしい。「右手が七沢なのに、順礼峠が左手だって?」地図を見返し、あたりをうろうろと何処かに道があるのか確認してしまった。

後で画像を整理していて気づいたのだが、これは矢印の尻と頭で順礼峠と七沢のどちらも右方向、という意味だ。こんな道標、見たことがない。この形式なら普通は左右の分岐だ。初見の人間を惑わすようなこういう表示は考え直してほしい。

 

 

 

植林地を下りていく。

 

 

 

御門橋(みかどばし)バス停分岐。

 

 

 

道標が完備している。

「御門橋」(厚20系統・本厚木駅〜宮ヶ瀬)へ下りると「尾崎」を経て「別所温泉入口」(清川村・きよかわむら)。日帰り入浴施設の「清川村ふれあいセンター別所の湯」がある。

 

 

 

木段への降り口に「下り坂足元に注意」の看板。「関東ふれあいの道・順礼峠のみち」は山慣れない人たちも想定しており、看板も優しい。

 

 

 

木段を下っていく。

 

 

 

平坦な尾根道。

 

 

 

狢坂峠の標柱は本来の峠からやや登り返したところにある。

 

 

 

標柱とベンチ。
「むじな」はタヌキ・ムジナのムジナから来ているのかと思ったが、かつては峠を結ぶ六つの地名から「六つ名坂峠」と呼ばれていたのがいつしか「狢坂峠」に転化したということのようだ。尾根通しの道とクロスして尾根の鞍部を乗越すような山道はとうの昔に廃道となっている。
参考「かながわの峠」

 

 

 

右手に清川カントリークラブが広がる尾根道を進む。

 

 

 

物見峠。

峠とは言うものの、尾根を乗越すような地形ではない。調べてみると、こちらは稜線上の一ピークである「ドッケ」が転化して「峠」となったパターンのようだ。要は見晴らしの良い物見台ということだった。「ドッケ」は丹沢ではあまり馴染みがないが奥多摩では「三ツドッケ」「芋ノ木ドッケ」といった山がある。
参考「かながわの峠」

 

 

 

物見峠からは木段の長い下り。

 

 

 

ゴルフ場沿いがもう少し続く。

 

 

 

朽ちたテーブルとベンチ。

 

 

 

 

 

 

 

至る所に道標とベンチが完備されている。

 

 

 

 

 

 

 

小さな石祠。

 

 

 

県立七沢森林公園に到着。

 

 

 

 

 

 

 

厚木市森の里に集積する事業所の一つ、しんきん情報システムセンター。

 

 

 

そして彼方には再び、ランドマークタワー。ベイブリッジの主塔間に挟まる位置に来た。

 

 

 

ここにも獣除け柵。

 

 

 

基準点。手前のしっかりしたものは何の基準点だろうか。基準点成果等閲覧サービス(国土地理院)では分からなかった。

 

 

 

木段脇のこちらは四等三角点。標高191.8m。

 

 

 

順礼峠に到着。標高167m。

 

 

 

すわり地蔵尊。
その昔、順礼者の老人と娘がここを通りかかったときに潜んでいた悪党によって無残に殺められてしまったことを哀れんだ村人がその供養のために建立したという。

 

 

 

案内板。
古くから観音霊場巡りの参詣者が行き交ったことから付いた「順礼峠」の名。ここは日向薬師(ひなたやくし)への参詣者も通った道であり、日向薬師から白山手前の御門橋バス停までのコースが「関東ふれあいの道・順礼峠のみち」として整備されている。先に通ってきた白山は加賀白山信仰の山。そしてこれから向かう鐘ヶ嶽(かねがたけ。561m)は富士浅間信仰の浅間神社(せんげんじんじゃ)が祀られた山。多くの順礼者がここを通っていった。

 

 

 

七沢温泉・広沢寺温泉へは画面の奥へ折り返すように下っていく。

 

 

 

森林公園を抜けていく。

 

 

 

次の目的地・鐘ヶ嶽(561m)が正面に見える。

 

 

 

道標に従って進むと、坂下橋。橋を渡って右折。

 

 

 

小さな祠の宇賀神社。

宇賀神は水神信仰の神にして財をもたらす福神。七福神の弁財天と習合して祀られることも多い。県内では鎌倉の銭洗弁財天・宇賀福神社がよく知られている。

 

 

 

広沢寺(こうたくじ)温泉入口バス停に到着。標高91m。続いては本日の二つ目、鐘ヶ嶽(561m)へ。

 

 

2.広沢寺温泉入口から鐘ヶ嶽へ

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