まちへ、森へ。

奥深き西丹沢・世附川流域

西丹沢・世附川流域滝めぐり

 

令和元年(2019)9月中旬、西丹沢・世附川(よづくがわ。酒匂川支流)流域の林道・登山道をたどって神奈川県山北町(やまきたまち)から山梨県山中湖村へと歩く。

 

平成22年(2010)の台風による崩落の多発で長らくの間通行止めとなっていた水ノ木幹線・大棚沢線林道であったが、平成30年(2018)の秋にようやく復旧した。
復旧した暁には是非とも再訪したかった世附の大棚(おおだな。大棚の滝)へ、東海自然歩道にも指定されている林道をたどって向かう。大棚の滝から先は切通峠(きりどおしとうげ、1051m。甲相国境尾根)を越えて山中湖・平野(ひらの)へ下る。

 

 

※探訪記の記述は同年9月上旬に房総・三浦周辺に強風による大被害をもたらした台風15号から5日後のものであるが、10月中旬には駿豆甲信越・関東・東北に豪雨による甚大な被害をもたらした台風19号が襲来した。神奈川県西部の箱根・丹沢も大きく被災しており、林道は再び通行止めとなった。現在の状況については神奈川県自然環境保全センター(外部リンク)>かながわの山に登りたい>自然公園歩道情報で確認を。

 

 

小田急線新松田駅発・富士急湘南バス「西丹沢ビジターセンター行」の始発に乗車、浅瀬入口バス停(標高337m)へ。時刻は朝8時15分ごろ、気温は25度。

 

バス停付近から振り返り見る斜張橋は、ダム湖の丹沢湖に架かる永歳橋。
浅瀬入口バス停から浅瀬ゲートまでは標準コースタイムで1時間。浅瀬ゲートから世附大棚までは2時間10分。世附大棚から切通峠までは2時間。切通峠から山中湖平野バス停までは50分。合計6時間(休憩時間等を除く)ほどの山歩きとなる。

 

 

 

バス停から歩き始めてすぐ、長さおよそ500mの落合隧道を抜けていく。

 

 

 

トンネル出口に架かるトラス橋は梯子沢橋。橋からは梯子沢の滝が目視できるらしいが、よくわからなかった。

 

 

 

荒井沢洞門。

 

 

 

左に世附大橋を分ける。

 

 

 

「望郷の碑」。傍らには「水神様」の碑と「世附百万遍念仏発祥の地」の碑。

「望郷の碑」の建碑は昭和49年(1974)。かつてこの地に存在した世附村を後世に伝えるために建碑された。そして昭和53年(1978)、三保ダムの完成により世附村は水没する。
「世附百万遍念仏」はおよそ600年前よりこの地にて行われていたと伝承される、巨大な数珠を用いた念仏信仰。県の無形民俗文化財に指定されている。地区の能安寺にて行われていたというが、世附地区が水没した現在では同じく山北町内の向原地区にお寺を移転して続けられている。

 

 

 

寺ノ沢橋から見下ろす、寺ノ沢の滝。

 

 

 

姿の良い直瀑。落差は10m余りか。「寺ノ沢」の寺とは、かつてこの地にあった能安寺のこと。

 

 

 

滝壺橋。

 

 

 

滝壺橋から見下ろす、滝壺沢の滝。

 

 

 

こちらは段瀑になっている。岩壁に隠れた上段の滝から下段の滝まで、2、30mはありそう。

 

 

 

ミツバ岳(834m)の登山口。地理院地図には登山道(破線)の記載はなく「山と高原地図(2012年版)」にも登山道の記載はない、いわゆるバリエーションルート(地形図の読図が必携のルート)となる。奥にそびえる世附権現山(よづくごんげんやま。1018m)と併せて登る、かなりマニアックなルート。

 

 

 

世附川橋を分ける。

 

 

 

旧世附キャンプセンターのトイレ。キャンプ場の営業は終了したようだがトイレは利用できた。

 

 

 

山肌に見られる崩落の跡。

 

 

 

旧浅瀬荘前。

 

 

 

浅瀬ゲート。ゲートには「クマ出没注意」の張り紙。ゲートの脇を抜けていく。

 

ここでクマよけ鈴の代わりに持ってきた南部風鈴をザックに吊るし、ダブルストックのトレッキングポールを準備して先へと進む。時刻は午前9時半ごろ。

 

 

 

世附川(よづくがわ)流域の水系図。

 

酒匂川(河内川)の支流である世附川の流域は広い。水系は本谷から北に枝分かれし畦ヶ丸(あぜがまる。1293m)の西側あたりを源頭とする大又沢、菰釣山(こもつるしやま。1348m)の西側あたりを源頭とする本谷の水ノ木沢、高指山(たかざすやま。1174m)の東側あたりを源頭とする大棚沢、鉄砲木ノ頭(てっぽうぎのあたま。1291m)の東側あたりを源頭とする土沢に分かれる。

このあたりは渓流釣りや狩猟の人々、沢登りの登山者が主な入山者となるが、稜線歩きの登山者は極めて少ない山域。登山地図にも稜線上の登山道の記載はほとんどない。世附川の源流域は針葉樹の植林地となった国有林が大部分を占め、東の丹沢大山国定公園、西の富士箱根伊豆国立公園の間を埋めるように県立丹沢大山自然公園に指定されている。

 

 

 

浅瀬橋。ここで世附川本谷と大又沢を分ける。

現在は浅瀬から本谷沿いに水ノ木沢幹線林道が通っているが、その昔この地にはトロッコの森林軌道が二路線(大又線、水ノ木線)通っていた。木材の搬出を担ったそれらの軌道は昭和41年(1966)に撤去されている。
参考「丹沢今昔」奥野幸道著

 

 

 

古い道標に「夕滝橋200m」とある。吊り橋の夕滝橋は平成22年(2010)の台風による集中豪雨で流されてしまい、復旧のめどは立っていない。

 

 

 

夕滝橋の礎石跡らしきコンクリートが残っている。

 

 

 

対岸。

 

 

 

よく見るとコンクリートの小さな支柱が残っている。

 

 

 

画像出典「五感探訪やまなみ五湖」(平成4・1992年 神奈川県企画部政策調整室発行)

 

この橋は世附側から不老山(ふろうさん。928m)へ登る登山道の入口だった。20年ほど前、ここから不老山に登って山市場(丹沢湖の南側)に下山したことがある。
現状では対岸に渡ったとしても登山道は崩落・寸断され歩行は困難であろう。

 

 

 

川が右にカーブして左側(右岸・うがん。下流に向かって右岸)から小さな滝状の沢が合流する手前辺り。

 

 

 

手前の対岸に目をやると、夕滝が流れ落ちている。

 

 

 

ぱっと見で各段が10〜20mくらいはありそうな五段ないし六段の段瀑。地理院地形図から推測する限り、その落差は合計で100mほどはあろうか。林道から気軽に見られる滝としては丹沢全山でも屈指の落差を誇る。

 

 

 

晩秋の夕滝。
平成15年(2003)12月の山行より。

 

夕滝を後にして、先へと進む。

 

 

 

崖崩れの跡を削って均し、林道が復旧した。崖には落石防止ネットが掛けられている。

 

 

 

緑がかった岩は西丹沢でよく見られるという石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)か。

 

 

 

沢の水は透き通ったエメラルドグリーン。

 

五日ほど前に東京湾を縦断し三浦・房総に大被害をもたらした台風の影響でバス車窓から見る三保ダム下流の河内川は濁っていたが、ここまで来ると透明感が戻っている。

 

 

 

右岸(うがん。下流に向かって右の岸)にはコンクリートブロックの護岸が破壊された跡。

 

 

 

芦沢橋まで来た。

 

 

 

上流側の欄干が一部破壊されたままになっている。

 

 

 

橋を渡ると「王子社有林」の看板。

 

 

 

先へと進んでいくと、そこにも大崩落の跡。

 

 

 

それでも沢はエメラルドグリーンが美しい。白っぽい岩床が続く西丹沢・酒匂川水系の谷ならでは。紅葉の季節もまた格別だろう。

 

 

 

林道を何か所も寸断した複数の大崩落を復旧していくのだから、時間もかかる。

 

 

 

対岸の左岸には地滑りを起こした一筋の跡。

 

 

 

土砂に飲み込まれずに、美しく姿をとどめた滝。

 

 

 

山百合橋の手前、廃屋が見える。

 

 

 

この廃屋は本州製紙(現王子ホールディングス)の詰所だった建物。
参考「続丹沢夜話」ハンス・シュトルテ著

 

 

 

山百合橋。

 

 

 

橋から下流側を見下ろす。

 

 

 

橋から上流側。沢は一層、狭くて深い渓谷の様相を呈してくる。

 

 

 

先へ進んでいくと、またしても崩壊地跡。

 

 

 

土砂崩れの跡が凄まじい。

 

 

 

飴のようにひしゃげたガードレール。

 

 

 

 

 

 

 

錆びついたガードレールに残る、広河原橋の銘板。

 

 

 

その傍らに晩夏の花、玉紫陽花(タマアジサイ)が咲いていた。時刻は11時5分、標高およそ500m。気温は22度。

 

 

 

国有林の案内板。

 

 

 

このあたりから先は国有林のエリアとなる。

 

 

 

ガードレールに残る金山橋、夕霧橋の銘板を過ぎていくと、東京電力「水ノ木沢取水口入口」の道標が立っている。ここまでにも「雷沢排砂口入口」「高尾沢排砂口入口」「世附川サイフォン入口」といった道標が立っていた。

ここで取水された水がどこの水力発電所に供給されているのか地理院地図で確認してみると、大又沢ダムを経由して丹沢湖畔の落合発電所に落としている水のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

林道の復旧工事は現在も続いている。

 

 

 

水ノ木橋に到着。時刻は正午。

かつて林業が盛んだったころ、水ノ木は大又沢の地蔵平と並ぶ木材搬出の拠点だった。
昭和30年代ごろまでは登山者がガソリン機関車に牽引されたトロッコに便乗させてもらうことも度々だったようだ。奥野幸道著「丹沢今昔」、ハンス・シュトルテ著「続丹沢夜話」、植木知司著「かながわの峠」等にはそういった記述がみられる。

 

ここまで浅瀬入口から10qあまりを写真を撮りながら歩いてきた。標準コースタイムは3時間なので45分ほど余計にかかっている。
ここから切通峠方面に進むと、10分足らずで大棚の滝への降り口。

 

 

 

降り口には案内の標柱が立っている。

 

 

 

標柱のすぐ先から、急斜面を下りていく。

 

 

 

ジグザグの急斜面。

 

 

 

下りていった先、ポツリと打ち捨てられた水車。

 

 

 

この水車は水ノ木の製材所に電力を送った発電所の跡だという。活況を呈していたであろう、在りし日の水ノ木を偲ばせる。
参考「続丹沢夜話」

 

 

 

大棚の滝へ。

 

 

 

大滝がいよいよその全貌を現した。

 

 

 

世附の大棚、落差30m。西丹沢では滝のことを「棚」と呼ぶケースも多い。

 

 

 

丹沢一の水量を誇る大棚。訪れたこの日は台風の五日後。その水量は、見る者を圧倒する。滝壺の周辺は飛沫が立ち込め、腹の底にドーッという轟音が響く。

 

 

 

平成15年(2003)初冬の大棚。水量の減る季節にあっても、丹沢一とも謳われるその水量はさしたる衰えを見せない。

 

とはいえ、やはり台風直後の大棚は束の間、広葉樹の瑞々しき原生林に育まれていた往時の姿を甦らせる。
参考「森林再生 水を育む豊かさを」神奈川新聞社

 

 

 

激流となって下りゆく沢。

 

 

 

さざ波打つ水辺。

 

大棚で大休憩を取り、午後1時過ぎ切通峠に向けて出発。

切通峠から山中湖へ下山した場合、山中湖平野バス停から御殿場方面に直通する路線バスはない。途中の旭日丘バスターミナルで御殿場駅行きに乗り換えることになる。
なお新松田駅に戻るのであれば大棚で折り返して浅瀬入口まで戻るほうが、帰りのバスの便は利便性が良い。上流の中川温泉には日帰り温泉「ぶなの湯」もある。

 

斜面を登り林道まで戻る途中、厚く積もった杉の枯れ枝に引っかかってトレッキングポールのねじ込み式バスケットが抜けてしまったことに気付く。あわてて戻って探すことで時間を15分ほどロスしてしまった。バスケットのねじ込みの緩みには気を付けておかないと、思わぬところで時間を無駄にしてしまう。

 

 

 

林道から見下ろす大棚の滝。

 

 

 

切通沢橋に到着。時刻は14時。標高740m、気温は20度。

 

コースタイムはここから切通峠まで1時間。切通峠から山中湖平野バス停まで50分。
平野から旭日丘までは山中湖周回バス(ふじっ湖号)の最終が15時53分。かなり余裕を持ったつもりでここまでしか調べていなかったが、ギリギリの時間になってしまいちょっと焦る。
(なお山中湖平野から旭日丘を通る路線バスは山中湖平野発富士山駅行が16時15分、19時22分(最終)となっていた。山中で焦らないためにも事前の下調べはもっと徹底しておいた方が良かった)

 

 

 

道標の柱がバリバリとささくれ立っている。これはクマにやられた跡か。

 

 

 

もうしばらく林道が続く。

 

 

 

崩落の跡。

 

 

 

林道終点。時刻は14時35分。この先は登山道となる。切通峠まではあと1q。

 

 

 

切通峠方面へ少しばかり進むと、切通峠0.8qの道標が立っている。この先は切通峠まで道標はない。

 

 

 

目印は赤テープのみ。こうした道では「山と高原地図」などの登山地図は大まか過ぎてあまり役に立たない。

 

 

 

本来なら地理院地形図で確認しながら歩くのが望ましいところだが時間的な余裕がなかったので周囲をぐるりと見渡し、折り返しながら登っていく道を見失わないように注意しながら進む。

 

ハイキングで親しまれている「東海自然歩道」のルートだが、こうした山道もあるので地理院地形図は用意しておいた方がいい。殊に山歩き初心者は真っ直ぐに突き進んで道を見失い沢に突っ込んでしまうと大変なことになるので注意しなければならないところ。

 

 

 

山腹の踏み跡を突き進んでいく。

 

 

 

山仕事の作業道のような山道を歩くこと30分ほどで、切通峠(きりどおしとうげ。1051m)に到着。時刻は15時。今にも降り出しそうな曇天になってしまった。時間も押しており、良い眺めはないかと探している余裕はない。

 

 

 

この峠は甲相国境尾根を乗っ越していく峠。

なお甲相国境尾根をたどると高指山(たかざすやま。1174m)へは30分ほど。三国山方面へ1時間ほど進むと鉄砲木ノ頭(てっぽうぎのあたま。1291m)。その山頂はいずれも富士山と山中湖の大展望がすばらしい。

 

 

 

鉄砲木ノ頭からの富士山と山中湖。 拡大画像
平成12年(2000)9月の山行記録より。

 

ちなみに当時の山行記録には高指山は「展望ダメ」と記してあった。現在は山頂からの展望がしっかり確保されている模様。

 

 

足早に平野(ひらの)へ下っていくと二股の道。右手は道というよりは、大雨で掘れただけの跡のようにも見える。

 

地形図をチェックして左へ下りていく。

 

 

 

晩夏から初秋にかけての花、トリカブトが咲いていたので一枚。

 

 

 

グラウンドが目に入ってきた。

 

 

 

グラウンド沿いの道から先は平野の国道まで一直線。小雨がぱらついてきたが、大した雨ではない。

 

 

 

山中湖平野といえば、テニス合宿のメッカとして知られる。あちらにもこちらにもテニスコートが広がっている。

 

 

 

国道413号・山中湖平野バス停に到着。時刻は15時40分過ぎ。想定していたよりも一本早い15時43分の道志(どうし)小学校発旭日丘(あさひがおか)行に間に合った。

 

平野バス停はロータリーになっており、旭日丘方面(画面右方向)のバスも国道で停車せずロータリーに入ってくる。

時間に余裕があるのであれば、平野から20分ほど歩くと山中湖温泉「石割(いしわり)の湯」がある。随分と前に籠坂峠(かごさかとうげ)から三国山稜・甲相国境尾根を縦走したおりに利用したことがあるが、ここもなかなかいい。天気が良ければ切通峠から高指山に廻って石割の湯へ下るのもよいかもしれない。

 

 

平野からバスで10分足らずで旭日丘バスターミナル。御殿場駅行きはここで乗り換え。

 

 

 

道を挟んだ反対側が御殿場駅方面のりば。次のバスは16時13分発、待ち時間は30分ほど。

 

 

 

バスを待っていると、山中湖の水陸両用バス「KABA」が戻ってきた。さすがに山中湖は集客力の高い観光地だ。

 

 

 

ダイヤの時刻から結構遅れて旭日丘を出発したバスだったが、駅に着く頃にはほぼ遅れを取り戻し17時過ぎにJR御殿場駅(富士山口)に到着。

 

天気が崩れてしまい駅前からの夕刻の富士山をキレイに撮ることもできそうになかったので、そのままホームへ向かい帰途に就く。
御殿場駅から松田駅までは30分余り。御殿場線はJR東海の管轄だが、両駅とも関東の交通系ICカード(Suica、PASMO)が利用できるようになった。

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