まちへ、森へ。

桜(サクラ)

柏尾川の桜並木

 

平成31年(2019)4月最初の週末、横浜戸塚・柏尾川(かしおがわ。境川の最大支流)の桜並木へ。JR戸塚駅付近から右岸(うがん)沿いに栄区の飯島橋付近まで、およそ3.6qを歩く。

 

この年の横浜地方は3月21日に気象台が開花宣言。しかしその後は早春に逆戻りしたような低温の日が続き、満開になるまでに二週間ほどかかった。そこから更に一週間、花持ちもよく開花から三週間あまりの長きに渡って染井吉野を楽しむことのできた年となった。

 

 

戸塚地区センター・戸塚図書館・戸塚公会堂の裏手を流れる柏尾川。川に沿って、この付近から歩行者・自転車分離のプロムナードが整備されている。ここから自転車を押して歩き、お花見ウォークへ。

 

 

 

戸塚駅あたりへと続く、右岸上流側の桜並木。

 

 

 

立派な姿の染井吉野の古木。

 

 

 

屋台の出店も多い。自転車道側は屋台の裏手。花見の時期はこちら側にも人が溢れている。

 

 

 

もっちりと咲き競う、満開の桜。

 

 

 

護岸は遊歩道が整備されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右岸も左岸も、花見客で賑わう川べり。

 

 

 

若葉も芽吹き始めた染井吉野。

 

 

 

プロムナードの案内板。戸塚駅寄りの朝日橋から桜橋を経て高嶋橋まで、右岸の桜並木再生計画について説明がなされている。

柏尾川の桜並木の歴史は古い。桜の樹は幕末の安政三年(1856)に植えられ始めた、とされるがそれらは早々に失われた。安政六年(1859)には横浜が開港。明治元年(1868)には初代の並木が完成する。明治20年(1887)には横浜駅(現桜木町駅)より折返し西に向けて東海道線が開通、戸塚駅が開業している。初代の桜並木は明治41年(1908)、蛇行する暴れ川だった柏尾川の堤防改修のため伐採された。

 

 

二代目は明治43年(1910)、堤防完成を記念して植樹された。旧鎌倉郡域が横浜市に編入されて戸塚区が誕生する頃にはすでに4qに及ぶ並木が完成している。昭和一桁の頃には芸者を乗せた舟遊びが行われたこともあったという。

 

 

二代目の桜並木。「横浜郷土小史 柏尾川の桜」(横浜市産業部観光係著 昭和16・1941年発行)より。
画像出典 国立国会図書館デジタルコレクション

 

本文には「戸塚の駅から右手、大船の間近まで一里余に亘り・・・一丁目裏から六丁目裏まで堤上に桜を植えた」とある。
与謝野寛(鉄幹)は柏尾川の桜を「春風や戸塚堤のさくらより三味の音流る桑の畑にも」と詠んだ。三味線の音色が流れる様は堤の出店を詠んだか、あるいは舟遊びのそれか。

 

二代目の並木は戦時中の昭和19年(1944)、燃料の薪にするために伐採された。

 

そして昭和27年(1952)。サンフランシスコ講和条約の発効を記念して三代目が植樹される。こちらは昭和51年(1976)に堤防改修のため一部伐採されるも、現在に続く桜並木を形成している。植樹後50年を経た頃にはサクラの老化が目立つようになったため再生事業が手掛けられた。

 

参考「戸塚区史」「横浜郷土小史」

 

 

 

画面奥に戸塚駅前のビル群。

 

 

 

高嶋橋を過ぎると、右手に空き地が広がる。ここは日立製作所(情報・通信システム社)の跡地。県内事業所が再編され、吉田町(戸塚駅そば)の事業所への集約により空き地となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤマザクラ。赤みを帯びた若葉の芽吹きと同時に花が開く。

 

 

 

案内板にはオオシマザクラとあったが、オオシマといえば淡い緑色の萼をもつ花と緑色の若葉が同時に開くのが一般的。ここまで赤みを帯びているのはヤマザクラではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあたりでは橋を渡った対岸の左岸側が栄区になる。

 

 

 

遊歩道がいったん途切れて車道沿いの歩道にでると、柏尾川大橋。

 

このあたりまで来たら、左岸へ渡り戸塚駅まで引き返すのも花見の季節ならではのおすすめルート。戸塚区発行の「柏尾川健康づくりコースガイドマップ」が参考になる。

 

 

 

環3柏尾川大橋の信号を渡ると、再び遊歩道が続く。

 

 

 

信号を渡ると右手に再び大きな空地。ここはブリヂストン(横浜工場下郷地区)の跡地。こちらも事業所の再編により空き地となった。

 

ブリヂストン跡地を過ぎると右岸側も栄区に入る。

 

 

 

金井(かない)遊水地。豪雨時に水を溜める施設として平成元年(1989)から供用されており、コンクリート堤の向こうが本流となる。

 

境川や鶴見川の遊水地と比べると、その規模は大きくはない。神奈川県の横浜川崎治水事務所事業概要(平成30年度)によると、イメージ図として住友電工敷地の一部(川沿い)に金井第二遊水地(仮称)が計画されている。

 

 

 

照明塔は金井公園野球場のもの。

 

 

 

オオシマザクラ。

 

 

 

シダレザクラは終わってしまった。

 

 

 

遊水地と柏尾川本流を隔てるコンクリート堤。

 

 

 

住友電工に沿って。

 

 

 

飯島橋を過ぎると桜並木のプロムナードは終わり。

 

 

 

住友電工横浜製作所の南門あたり。

 

 

 

工事の進む横環南(よこかんみなみ。高速横浜環状南線)の橋脚。戸塚IC(仮称)方面を見る。

横環南は横浜横須賀道路・釜利谷JCTと横浜新道・戸塚ICを結ぶ。この付近に完成する栄IC・JCTから釜利谷JCTまでは圏央道と重なり、栄IC・JCTから藤沢IC方面へ分岐する横浜湘南道路とともに圏央道の一部ともなる。

 

ここまで来たら、この先は笠間大橋を経て大船駅前までおよそ1.6q、徒歩25分。神奈中バス利用なら笠間大橋の先にある宮ノ前バス停(徒歩6分)から大船駅西口行に乗車、3分。なお住友電工南門バス停の「右廻り大船駅西口行」は平日の夕方以降しか運行していない。

 

今回は自転車で境川サイクリングロード(藤沢大和自転車道)を下分橋(泉区上飯田町)から南下、宇田川・まさかりが淵市民の森のサクラを巡ってからここまで来た。この先は笠間大橋から環状4号へ入り、田谷・原宿を経て深谷から宇田川沿いへ下り、境川サイクリングロードに復帰する。

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