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金刀比羅大鷲神社・酉の市


街のあちらこちらに少しずつ年の瀬を感じられるようになる11月、「酉の市(とりのいち)」の季節が巡って来た。この年(平成30・2018年)の「酉の日」は1日(一の酉)、13日(二の酉)、25日(三の酉)。

「二の酉」の午后、横浜真金町(まがねちょう。南区)・金刀比羅大鷲神社(ことひら おおとりじんじゃ)の酉の市を訪れる。




市営地下鉄ブルーライン・阪東橋(ばんどうばし)駅を降りると、大通り公園。ここまでは京急・黄金町(こがねちょう)駅から歩いても数分。
大通り公園を関内(かんない)方面へと進んでいく。




屋台の出店が連なるあたりで右へ折れると、横浜橋通り商店街のアーケード。「酉の市」の当日、人波でごった返す商店街。




商店街には金刀比羅大鷲神社への順路案内が掲げられている。




生涯を真金町で過ごした桂歌丸師匠は「笑点」のみならず「横浜橋」にとっても永遠の存在。




参拝順路の矢印の向きが変わるあたり、左手の路地へ入っていく。




昭和の薫り漂う路地は生鮮食料品の横浜橋市場。




市場を抜けて左手へと進んでいくと、金刀比羅大鷲神社(ことひら おおとりじんじゃ)。




小さな境内の正面をびっしりと覆う献燈。




鳥居のそばには亡き歌丸師匠の名で出された献燈も。

真金町の金刀比羅神社が現在地に遷座したのは明治15年(1882)。その歴史は安政六年(1859)、幕末の開港と同時に港崎(みよざき)遊郭に讃岐の「金毘羅様」が勧請されたことに遡る。大鷲神社は明治5年(1872)遊郭が高島に移転したころに「おとり様」が勧請され、高島に遷座した金刀比羅神社の境内社として大鷲神社に祀られたのが始まり。この神社は開港場における遊郭の歴史とともに歩んできた。









鳥居前の通りを奥までずらりと並ぶ、屋台。




通りに設けられた、古熊手の受納所。









左折して、大通り公園へ。




交差する道にも屋台が並ぶ。




大通り公園に沿って。




大きな熊手を担ぐ人の姿。




「酉の市」の縁起物、熊手を売る出店が並んでいる。




平日の昼下がりのひととき。それでも人また人、人で賑わう「二の酉」。日曜に重なる「三の酉」の夕暮れ時にはいったいどれくらいの人手になるのだろうか。









「福を掻き集める」縁起物として人気の、熊手。




売約の度に威勢の良い「いよぉ〜、シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャン」の三本締めの声が響く。この「酉の市」ならではの高揚感が、心地よい。
























豪華絢爛、巨大な熊手。









熊手の出店の背後には、大通り公園をゆく人々の変わらぬ日常。酉の市が終わると、街は歳末の色を濃くしてゆく。


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