平成30年(2018)1月中旬、大山(1252m)中腹の見晴台(765m)に登る。東麓の伊勢原・日向地区から大山中腹をトラバース(横断)し南麓の大山地区をこま参道から三の鳥居へと歩いて古刹、滝を巡っていく。
2.日向から大山中腹・見晴台、大山阿夫利神社下社
伊勢原市日向から大山・見晴台へ。見晴台の下、南向きの尾根上からは空気が澄んだ冬の午前中には伊豆諸島のかなり遠くまでが見える。見晴台から下社までは観光地化に合わせて登山道の整備が進んだ。下社拝殿は壮麗な社殿。拝殿内部では御神水・大山名水を汲むことが出来る。
伊勢原市日向(いせはらし ひなた)地区から見晴台(みはらしだい。765m)・大山山頂(1252m)への登山口。日向ふれあい学習センターの手前から山道に入る。
時刻は午前11時ちょっと前。ここで標高およそ310m。バス終点「日向薬師(ひなたやくし)」バス停からは林道を150mほど登ってきた。あちこち立ち寄らなければバス停から登山口までのコースタイムは40分。
林道をショートカットする登山道を登っていく。
再び林道に出る。標高およそ400m。向かいの階段を上る。
丸木の土留が施された石畳の道がしばらくの間続く。
岩のゴロゴロした「九十九曲(くじゅうくまがり)」。
つづら折りの登山道を何度も折り返しながら黙々と登っていく。
分岐に到着。標高およそ690m。
地蔵像が建っている。尾根伝いに下山してきた人が日向薬師方面への道を間違えないよう、しっかりした指導標も立っている。
「勝五郎地蔵」と呼ばれている大きなお地蔵さま。
大山山頂方面へ。
なだらかな尾根道がしばらく続く。
やがて道は緩やかな上りに。
箱根方面の眺めがとてもいい。右から神山(かみやま)、駒ケ岳、二子山(ふたごやま)と幾つものコブが隆起する箱根連山。
煌く相模灘。右手に真鶴(まなづる)半島から伊豆半島、初島(はつしま)。左手には伊豆大島も見える。
この日は条件がよく、伊豆大島の右手には標高の比較的高い利島(としま、海抜508m。およそ101q)、その背後右側には輪郭がはっきりしないもののおそらく新島(にいじま)か式根島(しきねじま)が重なって見えている。
そしてさらに右手にはひょっとすると神津島(こうづしま、海抜572m。およそ135q)かもしれない島影も見えている。 拡大版
正午ごろ、見晴台に到着。標高765m。気温は4度。
ここまで日向薬師バス停からの標高差はおよそ610m。これだけでもちょっとした登山。
そして、あずまやの向こうにそびえる大山山頂。日向薬師バス停から山頂(1252m)まで登るとしたら、標高差はおよそ1100m。ケーブルカー利用による下社の登山口(標高700m)からでなければ、大山といえども標高差が1,000mを軽く超え技術面はともかく体力的・脚力的には結構ハードな行程となる。
よく耳にする「大山はハイキングの山だから大丈夫だよ」という声は、声の主の実力を看過して受け取ってはいけない。声の主が2500m超級・標高差1500m前後の山を歩く人だったりすると、その声を真に受けた初心者・初級者は多分「こんなはずではなかった」となると思う。
鋸状の山容を見せる、大山三峰山(おおやまみつみねさん。935m)。あちらは痩せ尾根、梯子、鎖場(くさりば)の連続する熟練者向けの山。
見晴台からズームでぐっと引き寄せるスカイツリー。距離にしておよそ60q、よくぞ見えたり。これも冬晴れの日ならでは。
見晴台からはランドマークタワー方面は立木に遮られて見えないようだ。
見晴台と下社(しもしゃ)を結ぶ中腹ルートへ。ここは登山者のみならず下社までケーブルカーで登ってきた観光客にも歩かれている。
このトラバース(山腹横断)ルートは落石多発地帯。近年の大山は観光客の集客にも力を入れているため、安全確保のための防護ネットの設置など工事が随所で行われている。
この辺りにはまだ防護ネットが見られない。
崖側は観光客の足がすくまないよう、きっちりとロープが張られた。
しっかりした造りの桟道。
かつての丸木を組んだ桟道の残骸が下に見える。このあたりは路肩の崩壊した滑落危険個所だった。あのままでは観光客は怖くて歩けないだろう。
防護ネットが完成しているあたりを歩いているそばから落石があった。
転がり落ちる石が落ち葉の上を「ガサッ、ザッ、ザッ」と滑り落ち「ゴッ」とネットに衝突する鈍い音。確かに危険だ。かなりのスピードがでているので頭を直撃すれば命にかかわるし、避けようとして迂闊に身をよじればバランスを崩して滑落死する危険もある。
山道の脇、石段を数段登るとモミの大木の奥にスギの大木がそびえている。
御幣(ごへい)を下げた縄を廻した、御神木。大山には信仰の山としての長い歴史がある。
観光客のための整備が進んでいるとはいえ、この中腹ルートもそれなりに起伏のある山道なので足元に不安を感じさせない程度の靴は履いておきたい。
二重ノ滝前のアーチ橋を見下ろす。
二重社。神仏分離がなされる前の江戸時代、ここには二重堂(倶利伽羅堂)が建っていて倶利伽羅龍王が祀られていた。
案内板。「呪いの杉」という、ちょっと怖い「丑の刻参り」の話も載っている。
二重ノ滝。二段の段瀑になっている。
この冬(平成29〜30年)は降水量が極端に少ないこともあってか、水の流れない涸れ滝になってしまっていた。
平成28年(2016)の正月に初日の出登山した時は水が流れていたが、カラッと乾燥した日の続く冬場の二重ノ滝は涸れ滝になってしまう年も多いようだ。
二段の滝の上段は僅かばかりの水が凍っている。氷瀑というほどではない。
かながわの美林50選・大山のモミ林の標柱。
解説板。
大山周辺のモミの原生林は斜面下部の常緑広葉樹(カシなど)から斜面上部の落葉広葉樹(ブナなど)へと混じり合いながら連続した原生林を構成している、とある。
沢の水を引水するパイプ。
パイプは下社境内へ。
石段を上がれば下社境内の中段。
見晴台から30分ほどで大山阿夫利神社下社(おおやまあふりじんじゃ しもしゃ)に到着。ここは茶屋の立つ広場。左手がケーブルカー下社駅。
ケーブル阿夫利神社駅から下社拝殿までは石段がもうひと登りある。
参拝者を迎える鳥居。
下界を見下ろす。
相模湾・江の島の眺めがとてもいい。三浦半島もよく見える。
下社の立派な拝殿。
大山阿夫利神社の創建は社伝によれば崇神天皇の御代とされる。延喜式神名帳には「阿部利神社」と記載された。
近世(江戸時代)以前、神仏習合の時代の大山には山頂に「石尊大権現」が祀られていた。現在下社拝殿の建つこの地は神仏習合の時代には大山寺本堂(不動堂)が建っていた。
拝殿下の御神水「大山名水」。
拝殿裏手の登山口。冠木門(かぶきもん)の「登拝門」と青銅の鳥居が設けられている。門の向こうには山頂(大山阿夫利神社本社)への表参道となる急峻な石段(本坂)が続く。
大山の初詣・初日の出登山はこちらのページへ。
現在でも夏山シーズン以外は門扉が片開きとなっているのは江戸時代までの名残り。
新編相模国風土記稿によると江戸時代までは夏の例祭(旧暦6月27日〜7月17日の二十日間)の間だけ門扉が開かれ、山頂に登ることが許された。また祭礼中であっても女性は登ることができなかった。例祭の期間外は大山詣りで来ることができるのはここまでとなる。
二代豊国画「名勝八景 大山夜雨 従前不動頂上之図(まえふどうよりちょうじょうのず)」
画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション
昔の大山寺本堂裏から登拝門の石段を経て山頂・石尊大権現へ向かう参拝者。参拝者は「納めの太刀」を携えている。石段途中に見えるのは茶屋か。
広重「東海道五十三次細見図会 程ヶ谷」
画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション
道中風俗に木太刀(きだち)を担いだ大山詣りの人が描かれている。実際、江戸の鯔背(いなせ)な若い衆がこのようなどデカい木太刀を江戸から担いでいって大山を登っていたらしい。そもそも江戸から大山まで歩いていくわけだし、昔の人は本当にタフだ。現代人なぞ「おめぇさんなんぞは半人前だな、えぇ?」と笑い飛ばされそうだ。
新編相模国風土記稿・大山図(赤文字加工はサイト管理者)。
画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション
江戸時代の町衆による大山詣りの像。
下社から大山寺へ。
下社から「こま参道」まで下りていくルートには男坂(おとこざか。おざか)と女坂(おんなざか。めざか)とがあるが、大山寺(おおやまでら)が女坂の途中に建つので女坂を下っていく。
3.雨降山大山寺へ
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