平成28年(2016)4月、新緑の季節を迎えた県立東高根森林公園を歩く。
県立東高根森林公園
県立東高根森林公園(川崎市宮前区)は面積およそ12ヘクタール(100m四方×12。なお市立公園部分まで含めた都市計画公園面積はおよそ14ヘクタール)。JR南武線・久地駅から公園北口(東名高速側)まで徒歩およそ20分。
県立の森林公園としてはやや小ぶりな森ではあるが、谷戸部分が公園墓地の緑ヶ丘霊園(川崎市高津区)に隣接し、その広さ以上に大きな森に感じられる。谷戸の湿地には木道の散策路が渡され、谷戸の斜面には多摩丘陵の元来の植生であるシラカシの天然林が良好に保全されている。
公園北口から、あるいは県立公園部分と事実上一体化した市立公園部分出口からは、東名高速を跨いで「ツツジ寺」等覚院、あじさい寺・妙楽寺方面とつなぐ「長尾の里めぐり」のコースをたどることもできる。
公園南口のパークセンター(宮前区神木本町・しぼくほんちょう)はツタの絡まる「もじゃ」ぶりが、いい感じ。
案内図。
南口から奥に向かって谷戸(やと)が枝分かれしながら延びていく。かつては谷戸田(やとだ)として利用されてきた谷戸の大半は、公園となった現在では谷戸の湧水を活かした水辺、湿地として整備されて大規模な木道(桟道)が設けられている。
谷戸を挟む台地状の尾根も二か所が公園として整備された。その一つは大規模なシラカシの自然林が縁取っており、台地の上には弥生時代の遺跡が埋蔵保存されている。なお、大きな谷戸の対岸を縁取る緑は霊園の斜面緑地として保全されている。
もう一つ、小さく枝分かれした谷戸の対岸を縁取る緑はクヌギ、コナラといった薪や炭などの燃料に利用されてきた木々の里山。
シラカシ林は多摩丘陵の北部における元々の植生であった。すなわち仮に人の手にかかることなく放置されれば、この地は長い年月の末にシラカシの天然林となっていく。
これほどまとまったシラカシ林が都市開発はおろか里山としての利用すらなされることなく残っていることは多摩丘陵ではとても珍しい。
東高根のシラカシ林は多摩丘陵の原生林を偲ばせる姿として県指定天然記念物となっている。
弥生時代の遺跡(東高根遺跡)はシラカシ林の台地上で発掘された。そのきっかけは昭和44年(1969)頃に持ち上がった大規模宅地開発計画。その事前調査として試掘したところ弥生〜古墳時代の大規模集落跡が発見された。しかも遺跡を取り巻くシラカシ林が学術的に貴重であると判明したので、遺跡とシラカシ林を併せて保全し県立公園として整備されることとなった。
遺跡は県史跡の指定を受け、土をかぶせることで埋蔵保存された。そしてその上に芝生を張り、古代芝生広場となった。
南口からケヤキ広場へ。
水辺沿いの散策路。
谷戸が枝分かれするところには池が造られ、あずま屋のある回遊式の日本庭園となっている。
新緑の季節の、モミジの紅葉。
庭園から谷戸奥の湿性植物園へ。
木道が延びていく。
はじめに稲作田ゾーン。
この谷戸には昭和40年(1965)ごろまでは谷戸田が見られた。さらに遡れば、台地上に遺跡が確認された弥生時代の頃から谷戸では水田耕作が行われたと推測されている。
湿性植物園の案内図。
湿性植物園は稲作田、湿性花園、湿性樹林、湿性野草の四つからなり、加えて最奥に梅林が整備されている。
湿性花園ゾーンへ。
湿性花園。ハナショウブなどが植栽されている。
谷戸を挟む尾根は、対岸側は緑ヶ丘霊園の斜面緑地。こうして谷戸の地形が生き残った。この公園がその広さ以上に深い森に感じられるのは、隣接地が緑地として保全され大規模開発を免れていたことが大きい。
谷戸を縁取る斜面はシラカシ林となっており、階段状の観察デッキが台地上の古代芝生広場へと続く。こちらは後ほど巡ることにして、先に谷戸沿いを進む。
湿性樹林。ハンノキやミズキなど水辺を好む樹木が見られる。
竹林を過ぎていくと湿性野草ゾーン。
湿性野草ゾーン。秋に花咲くツリフネソウなど湿地を好む山野草が見られる。
ベンチ、テーブルのある広場の右手奥が梅園ゾーンとなる。
稲作田から梅園まで、梅雨の季節の湿性植物園はこちらのページへ。
谷戸の斜面は、下部には柔らかな新緑の湿性樹木。上部には濃い緑の常緑樹シラカシ。
谷戸最奥のどん詰まりはバリアフリー対応の、つづら折りのスロープ。
スロープを上がると谷戸の尾根。ここから公園北口の子供広場を過ぎて芝生広場へ。
北口はJR南武線・久地駅への最寄りとなる出口。なお北口からは東名高速を跨いで長尾小学校の先、ツツジ寺で知られる等覚院さらにはあじさい寺・妙楽寺へと足を延ばすこともできる。
芝生広場。奥は古代芝生広場。
古代植物園の入口。こちらは後ほど巡ることにして、小さいほうの枝谷戸へ下りる。
パーゴラ広場。
藤棚のある見晴台を見下ろす。
見晴台。
4月の下旬、フジが見頃。
見晴台の下へ。
あきくさ広場(花木広場)へと下りていく。
枝分かれした小さな谷戸の池。
園路をたどり、先ほど通過したシラカシ林の観察デッキへ戻る。
シラカシの自然林。
樹林の木々は、その大半がシラカシ。
常緑のシラカシは、一年を通して緑が濃い。
解説板。
里山におけるクヌギやコナラなど燃料の薪にする木とは別に、木質の堅いシラカシ(白樫)は道具をこしらえるために必要な木として保護され、植栽もされてきた。
観察デッキから見下ろす。この谷戸を縁取る斜面は、結構深い。
登りきったところは古代芝生広場。この辺りで試掘調査がなされた。
東高根遺跡の解説板。
南関東におけるムラ社会の始まり。居住地は台地、耕作地は谷戸。原始に在っては、ドングリのなるシラカシの木は食用の木の実を得るという意味もあった。
シラカシ林の解説板。
古代植物園へ戻ってきた。
案内板。
原始〜古代、生活に必要なものを得るために、いにしえの人々は現代人とは比較にならないくらい、暮らしの中で多種多様な植物を使いこなさざるを得なかった。
ここでは食糧、衣料、木製品、染料、薬、建物など生活の場面ごとに分類された植物が植えられている。
テーマごとに植物が育てられている。
秋の七草、春の七草の区画。
文学と関わり深い、秋の七草。
万葉集に収められた山上憶良(やまのうえの おくら)の和歌は、「五七五 七七」の短歌と「五七七 五七七」の旋頭歌(せどうか)の二首。
「秋の野に さきたる花を およびをり かき数ふれば 七草の花」
「はぎのはな おばな(ススキ)くずばな なでしこのはな おみなえし またふじばかま あさがお(キキョウ)のはな」
一方、七草粥に見られるように生活文化と密接なのは春の七草。
こちらの和歌(短歌)は詠み人知らず。
「せりなづな ごぎょう(ハハコグサ)はこべら ほとけのざ(コオニタビラコ) すずな(カブ)すずしろ(ダイコン) これぞななくさ」
市立の東高根森林公園が隣接し、県立公園エリアにはないグラウンドが整備されている。
「やあ、邪魔するよ」
ピクニック広場へ。
こちらの樹木はクヌギ、コナラといった里山の木々。切っては新たな芽を育て、を繰り返しながら薪、炭といった燃料を得てきた。
落葉樹の木々は、新緑の季節には淡い緑色が頭上を覆う。
ピクニック広場からユリ園へと下りていく。
木道が観察デッキとなっている、ユリ園。斜面に県花ヤマユリなどが植えられている。
ユリ園を下りれば、南口のパークセンターはすぐ近く。
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