まちへ、森へ。

躑躅(ツツジ)

等覚院のツツジ

 

川崎市宮前区神木本町(しぼくほんちょう)、天台宗神木山(しぼくさん)等覚院(とうがくいん)。寺号は長徳寺(ちょうとくじ)。
等覚院はツツジ寺として知られ、シーズンには参拝者や見物客でにぎわう。

多摩丘陵の端・多摩川支流の平瀬川流域に位置する等覚院は、川沿いならばほぼ平坦な道のり。
横浜北部の丘陵地からでも鶴見川サイクリングコース沿いであれば、市ヶ尾から国道246号を江田駅東まで進み左折、あざみ野、たまプラーザ、犬蔵(いぬくら。東名川崎インター)、平(たいら)、神木本町と経由していくと思いのほか近い。全行程を通して道が広く、丘陵横断の起伏はあるものの自転車でも走りやすい。

なお最寄りのバス停「神木不動」は二路線。
東急バスであれば東急田園都市線「梶が谷(かじがや)駅」〜小田急線「向ヶ丘(むこうがおか)遊園駅」南口のりばを結ぶ路線。
川崎市営バスであれば小田急・JR南武線「登戸(のぼりと)駅」生田緑地口のりばを発着する路線。
駅から歩くにはやや遠いものの、JR南武線「宿河原(しゅくがわら)駅」からが分かりやすくて比較的近い。

 

 

平成28年(2016)4月中旬から下旬に差し掛かる週末。女坂のツツジに続き、参道石段のキリシマツツジが見ごろを迎えた。

 

 

 

山門は明治37年(1904)の建立となる、立派な楼門の仁王門。平成24年(2012)には銅板葺屋根の葺き替えがなされた。

 

 

 

等覚院の公式サイトによると参道石段のキリシマツツジと女坂のツツジの見頃が重なるのは平成18年(2006)に女坂のツツジが大がかりに植樹されて以来初めて、とのこと。
なお、この年は各地でキリシマツツジの開花が例年より一週間ほど早かったとされている。

 

 

 

植えられたつつじは、その数およそ2,000株。時期をずらしながら、順次満開となっていく。

 

 

 

境内へ。

 

 

 

 

 

 

 

満開のキリシマツツジ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂。安政6年(1859)再建。
銅板葺の屋根は、露盤(ろばん)風の箱棟(はこむね)を載せた宝形造(ほうぎょうづくり)か。あるいは箱棟が切妻(きりづま)なので、とても短い棟(むね)の寄棟造(よせむねづくり)か。

 

 

 

大きな唐破風(からはふ)の向拝(こうはい)。獅子や龍、鳳凰の細やかな彫刻。
白壁に連子窓(れんじまど。四角い枠に縦の格子)という和様の要素をベースに、窓下には縦にはめた板壁という禅宗様の要素を取り混ぜた、近世密教寺院の折衷様式の御堂。

等覚院は江戸時代後期編纂の新編武蔵風土記稿(巻之六十一橘樹郡之四稲毛領長尾村)によっても「開山・開基を祥にせず」とされる。縁起によると「神木」の山号の由来は日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征伝説に遡る。日本武尊がその疲労を癒した霊泉に一本の木を植え、そして時代が下がった平安初期、智証大師円珍がその神木を以て本尊不動明王を刻んだという。

 

 

本堂前のクロマツも立派。

 

 

 

本堂脇のツツジ。
上の方でカメラを構える人がちらほら見られるので、散策路を上がって上から見下ろしてみる。

 

 

 

散策路へ。

 

 

 

コナラの林立する裏山の寺林は、緑豊かであった長尾の里山の姿を今に伝える。

 

 

 

 

 

 

 

満開であればなお見応えがありそう。

 

 

 

散策路を上がっていった先の通用口には「長尾の里めぐり」の標柱が建っている。

このあたりからは尾根伝いに長尾小学校からあじさい寺・妙楽寺、あるいは県立東高根(ひがしたかね)森林公園(北門)、JR南武線久地(くじ)駅方面に抜けられる。

 

 

 

こんどは境内を女坂の側へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石段脇のキリシマは、ひときわ鮮やか。

 

 

 

 

 

 

 

本堂裏の墓地への登り口。

 

 

 

墓地のあたりは、ケヤキの大木や常緑のシラカシの鬱蒼とした寺林。

 

 

 

 

 

 

 

女坂のツツジ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女坂のツツジは、色とりどり。

 

 

 

 

 

 

 

ツツジというと、山歩き愛好家に馴染みが深い野生種では、丹沢ならば山麓から見られる朱色の「ヤマツツジ(山躑躅)」、稜線近くの「シロヤシオ(白八染。ゴヨウツツジ・五葉躑躅)」に赤紫の「トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)」。そして他の山域では九州の山で見られる赤紫の「ミヤマキリシマ(深山霧島)」あたり。

 

一方、園芸種は多種多様で一筋縄にはいかない。そこで大まかにまとめてみた。代表的な園芸種にはキリシマツツジ(クルメツツジ)の系統とヒラドツツジの系統があるようだ。 
参考・「山溪カラー名鑑 日本の樹木」「美しい日本の樹木図鑑1 樹木 常緑広葉樹編(山と渓谷社)」ほか。

「キリシマツツジ」 別名としてクルメツツジ、サタツツジ。
キリシマツツジ(キリシマ)は野生種のヤマツツジかミヤマキリシマあるいは両種の交配でできたと考えられてきたが野生種のサタツツジ(鹿児島県に自生)がキリシマであるともいわれる。
色は主に赤。花、葉とも比較的小型で雄しべは5個。
キリシマツツジは江戸時代にはすでに園芸種として知られ薩摩から京都、江戸へ広まったとされている。園芸業界では本キリシマ、江戸キリシマなどとも呼ばれる。

 

「クルメツツジ」 江戸時代にキリシマが久留米で栽培され、そこから多くの園芸品種が生まれた。淡紅色、白色など、およそツツジに見られる様々な色がある。
クルメツツジがキリシマの系統であることからクルメツツジの園芸種がキリシマの園芸種と紹介されることもある。

 

 

「ヒラドツツジ」
ヒラドツツジは長崎の平戸で古くから栽培されて各地に広まっていった品種群の総称。その形成に大きく影響したのは野生種のケラマツツジ、モチツツジ、キシツツジ、そしてリュウキュウツツジ(シロリュウキュウはキシツツジとモチツツジの雑種といわれる)と考えられる。こちらも様々な色のツツジがある。
花、葉とも比較的大型で雄しべは10個。
ヒラドツツジは大振りで見栄えが良いので街の植栽に多く用いられる。主な品種は次の通り。
「オオムラサキ(大紫)」ヒラドツツジの代表的な品種。ケラマツツジとリュウキュウツツジの交配、あるいはケラマツツジとキシツツジの雑種ともいわれる。大振りで美しい紅紫色の花を付け、街で見られるツツジといえばこの品種、というくらい多く見られる。
「アケボノ(曙 淡紅色)」こちらも街でよく見られるヒラドツツジの品種。
「シロタエ(白妙)」。

 

それでは、女坂のツツジを見てみることに。

 

 

 

赤はキリシマツツジ。淡紅色はヒラドツツジのアケボノ。

 

花の大きさも葉の大きさも、だいぶ違う。

 

 

 

ヒラドツツジのシロタエだろうか。

 

 

 

これは小振りなのでクルメツツジの一品種だろう。でも雄しべの数が多い気もする。自信がない。

 

 

 

これは雄しべの数が少ないので、たぶんクルメツツジの一品種。

 

 

 

色合いはヒラドツツジのオオムラサキのようだが、雄しべの数が少ないのでこちらもたぶんクルメツツジの一品種。

 

クルメツツジの品種はツツジ初心者にはちょっと難しい。

 

 

 

最後は等覚院を彩るツツジの象徴、キリシマツツジ。

 

 

 

門前参道脇のオオムラサキの満開は、大型連休待ち。

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