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立教大学のクリスマスツリー

 

街にクリスマスツリーが点灯する季節、東京池袋の立教大学を訪れる。

横浜駅から池袋駅までは、平成25年(2013)3月から東京メトロ副都心線と東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線が直通となり、ずいぶんと近くなった。横浜・池袋間が特急でわずか40分ほど。山手最寄りの元町中華街からでもおよそ50分。山手西洋館のクリスマス装飾を見て巡った後で立教ツリーの点灯を見に行くということも、そう大事(おおごと)ではなくなった。

 

 

思わず目を惹きつけられた、一面の広告。

 

 

 

東京メトロ副都心線・池袋駅ホームから和光市方面寄りの長いエスカレーターで改札に上がる。改札を出たところは小振りな地下街(エチカ池袋)。改札を出て、右へ。

 

 

 

いくらも歩かないうちにいちばん奥の出口へ。ここから地上に出ると、立教通り。

 

 

 

出口から右へ、通りをゆく。

 

 

 

すぐにキャンパスが見えてくる。

 

 

 

大学正門。「St.Paul's」とは立教大学の別称。
同校の第二応援歌「St.Paul's will shine tonight」(立大グリークラブ。YouTubeへリンク)は高校野球からプロ野球まで幅広く応援歌として演奏されており、お馴染み。
立教大学第二応援歌「セントポール」スタジオ収録版(YouTubeへリンク)。

 

 

 

本館。立教大学は東京築地居留地に明治7年(1874)、聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教により立教学校として創立。明治40年(1907)専門学校令により大学となる。
大正7年(1918)には現在の池袋に移転。大学の象徴ともいうべき赤レンガ校舎群はその時以来の歴史を有する。大正11年(1922)には大学令に基づく大学となった。これはキリスト教の私学としては同志社大学に次いでのもの。

 

 

 

本館に向かって右手に、礼拝堂(チャペル)。
これらの建築群は、フランス積み(煉瓦の長辺・長手(ながて)と短辺・小口(こぐち)を交互に並べる積み方)の様式で建てられている。

 

 

 

フランス積み。ステンドグラスには立教の校章。

 

 

 

丸窓のステンドグラス。

 

 

 

本館裏の中庭。

 

 

 

本館の奥に第一食堂。
本館と第一食堂、その間に挟まれた二棟がレンガ建築群の中で最も古い建物。第一食堂は尖塔を持ち、この四棟の配置で「立」の字を表現している。

 

 

 

入口の上にはラテン語で「APPETITVS RATIONI OBEDIANT」(食欲は理性に従うべし)という表記。

 

 

 

食堂の屋根裏には太い梁がのぞく。台形のトラスの両端に曲線を描くアーチ材が添えられた、ハンマービームと呼ばれる骨組み。
これだけの建築が関東大震災(大正12年・1923)で倒壊せずに生き残ったのは幸運だった。震源地(相模湾沖)からやや遠く、しかも内陸寄りであったことも幸いしたのだろう。

 

 

 

本館下の通路から第一食堂を見る。

 

 

 

本館。

 

 

 

午後4時30分。ツリーに明かりが灯った。点滅するイルミネーションと異なって瞬かないこの電飾は静かに、そして厳かに灯る。

 

 

 

クリスマスツリーとなるヒマラヤ杉は1920年ごろ植えられたというから、建築群とほぼ同時にこの地で歴史を歩んできた。

 

 

 

本館に向かって左手、礼拝堂と対をなす位置には、図書館旧館。

 

 

 

図書館としての役割を終え、展示館として生まれ変わる。

 

 

 

 

 

 

 

日没後、辺りは急速に暗くなってゆく。

 

 

 

赤が強くなってしまい、光の加減がなかなか難しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通りを挟んだ向かい側から。巨大なツリーは通りすがりであってもよく見え、まさに地域のシンボルとなっている。

 

 

 

藍色から濃紺へ、刻一刻と変わってゆく空。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とっぷりと日が暮れた立教通り。

 

 

最後にクリスマスキャロルとしても親しまれている厳かな一曲をどうぞ。
ちなみにこの曲は山下達郎さんの「シーズンズ・グリーティングス」にも収録されていました。

 

O Come,All ye Faithful (神の御子は今宵しも) (リンクはYouTube)

 

 

 

横浜山手西洋館のクリスマスへ

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