まちへ、森へ。

相模横山・相模川河岸段丘の街をゆく

6.県立相模原公園・花菖蒲の季節

 

5.相模原麻溝公園・紫陽花の季節はこちら。

 

 

相模原麻溝公園(あじさい小路)から県立相模原公園・水無月園(花しょうぶ園)へ向かう。「花の谷」から先へと進み、「横浜水道みち緑道」へ。

 

 

 

案内図。県立相模原公園、市立相模原麻溝公園がまとまっている案内図としてはかなり見やすい。

 

相模原麻溝公園から水無月園(花しょうぶ園)へは「横浜水道みち緑道」を通っていくのが近い。緑道は女子美術大学のキャンパス内を横断しているが、自由に通行できるようになっている。米軍相模原住宅の水道みちの方も、早くこのようになってくれたらよいのだが。

 

 

 

車道を渡る。

 

 

 

明治の中頃に敷設された横浜水道(道志川水系)の案内板。なお、先に観てきた相模原沈殿池は戦前期に計画、昭和20年代に完成した相模湖水系の施設。

 

 

 

女子美大の正門。水道みち緑道を挟んだ反対側は「女子美術大学」バス停。

 

 

 

両側が女子美大キャンパスとはいえ、緑濃い緑道はそれをあまり感じさせない。

 

 

 

横浜水道みちの随所に見られる「トロッコ」の歴史の案内板がここにもある。

 

 

 

再び車道を渡る。

 

 

 

車道の左手に相模原ギオンスタジアム(相模原麻溝公園競技場)。

 

 

 

水無月園(花しょうぶ園)入口に到着。時刻は午後2時ちょっと前。

 

左手の道は横浜水道みち緑道の続き。森の中の散歩道を抜けるように下っていくと県道に出る。県立相模原公園「せせらぎの園」地区の入口へはそちらの道の方が近い。

 

 

 

水無月園へ。
水無月園には三枚の菖蒲田がある。

 

 

 

見ごろを迎えたハナショウブ。

 

 

 

 

 

 

 

こちらの菖蒲田はハナショウブが三つの系統(江戸系・肥後系・伊勢系)、品種ごとに分類され、それぞれに名札が立てられている。

 

 

 

解説板。水無月園ではおよそ118種、22,000株のハナショウブが育てられている。

 

 

 

江戸系。江戸時代末期、花菖蒲栽培に情熱を注いだ幕臣・「菖翁」こと松平定朝が多くの品種を生み出した。
菖蒲園に植え込まれた平咲きの花を上から眺める前提で作られた江戸系は、小振りでシュッとした印象。小粋な江戸っ子好みといったところか。

 

江戸系は早咲きが多いのかピークを外してしまったようで、ちょっと疎らだった。

 

 

 

緑陰。

 

 

 

初紅(はつくれない)。

 

 

 

薄化粧。

 

 

 

肥後系。江戸時代の末期、江戸「菖翁」の花菖蒲を肥後(熊本県)藩主細川氏が譲り受け、熊本で改良され発展した。門外不出とされていたため、外に持ち出されて広まっていくのは昭和期以降。
室内鑑賞を前提とした、大振りで見栄えのする豪華な花。

 

 

 

雄峰。

 

 

 

勇将。

 

 

 

淡雪桜。

 

 

 

桜月夜(薄い桃色系の方)と新児化粧(しんちごげしょう)。

 

 

 

光源氏。

 

 

 

松涛(しょうとう)。

 

 

 

紅葉山。

 

 

 

 

 

 

 

紅椿。

 

 

 

麗月。

 

 

 

新児化粧。

 

 

 

 

 

 

 

御所遊(ごしょあそび)。ルーツの江戸系を思わせる姿。

 

 

 

細雪。

 

 

 

伊勢系。江戸時代の中期に伊勢(三重県)松坂で栽培され発展。
こちらも大振りで、垂れた花弁が優美。

 

 

 

浪花津(なにわつ)。

 

 

 

青柳(あおやぎ)。

 

 

 

不知火(しらぬい)。

 

 

 

津の花。

 

 

 

修善寺。

 

 

 

曙光。

 

 

 

白仙。

 

 

 

獅子舞。

 

 

 

紅の糸。

 

 

 

隣りの菖蒲田。

 

 

 

 

 

 

 

こちらは様々な品種が混在して咲き競っている。

 

花菖蒲を撮りながらゆっくりと観て30分ほど。

 

 

 

もう一枚の菖蒲田へ。

 

 

 

こちらは草が生い茂ってしまった。

 

 

 

県道を隔てた「せせらぎの園」側への出口。

 

 

 

出口の手前、「山の神」に立ち寄る。

 

 

 

 

 

 

 

石段の傍らには「山神々社」の標柱。「左木曽道」「右 町田道」「明治廿五(二十五)年(1892)三月一日 当村下溝 志村代三郎」と刻まれた道標となっている。

 

 

 

小さな祠の、大山祇(おおやまづみ)神社。神仏習合の「山の神」の時代を経て、近代以降に現在の名となったのだろう。

 

大山祇命といえば相州では大山阿夫利神社の祭神として知られる。神仏習合の江戸時代までは阿夫利神社は「石尊大権現」として信仰を集めた。
一方で全国の大山祇神社の総本社は伊予(愛媛県)の大山祇神社。こちらは江戸時代までは「大三島社」と称されていた。この後で訪れる当麻山無量光寺は時宗の開祖・一遍上人ゆかりの寺院であるが、一遍は伊予の豪族・河野氏の出身。その河野氏は代々、大三島社の祝(はふり。神職)を勤めていた。
このお社が大山祇神社と称するようになったのは、こうした縁も関係するのだろうか。
参考「相模原市史 第一巻」

 

 

 

県道へと下りていく。

 

 

 

山の神坂下(旧フィッシングパーク前)バス停そばの、県立相模原公園「せせらぎの園」地区入口。フィッシングパーク時代からのアーチ門が残っている。

 

 

 

案内板。

 

 

 

「せせらぎの園」は道保川(どうほがわ。相模川水系鳩川支流)の水を引き込んで造られている水辺空間。

 

 

 

「神奈川県フィッシングパーク」(1970〜1998)跡地が平成27年(2015)に公園の一部となった。

 

 

 

フェンスに魚のトリックアートが描かれている。

 

 

 

「下の池」を見下ろしつつ、当麻山無量光寺へと向かう。

 

 

 

県道が「フィッシングパーク通り」と呼ばれているのは、ここがフィッシングパークだった頃の名残り。

 

 

 

現在は名前が付いていない、旧「フィッシングパーク下」信号。時刻は午後2時半ごろ。

 

 

7.当麻山無量光寺

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