まちへ、森へ。

早渕川流域〜太古から現代へ、開発のあゆみ

3.「ふじやとのみち」徳生公園から「くさぶえのみち」牛久保公園・山崎公園へ

 

2.大塚歳勝土遺跡公園・都筑古民家園へはこちら。

 

 

大塚・歳勝土(おおつか・さいかちど)遺跡公園の出入口から直進。

 

 

 

しばらく歩道を行った先を右折すると歩行者自転車専用道となる。このように緑道以外にも歩行者が安心して歩ける道がニュータウン内に張り巡らされている。

 

 

 

奥に中大付属横浜中等部・高等部。

 

 

 

クルマを気にせずに歩ける散歩道。

 

 

 

 

 

 

 

「ふじやとのみち」・徳生公園の案内図。

 

 

 

広域図(緑道・公園案内図)。

 

港北ニュータウンのまちづくりでは、センター南北地区を囲むように幾つもの大きな公園が造られた。それは元々あった里山の谷戸を極力活かして設けられ、それらを緑道(○○のみち)でつないでいった。その緑道も元々は大部分が早渕川支流や大熊川支流の小川であった。

 

「グリーン マトリックス」と名付けられたそのまちづくりは、住民に緑豊かな憩いの場をもたらすこととなった。池を配置し流れを引き、築山を築く。それは、街全体をあたかも巨大な回遊式庭園に見立てたかのよう。

 

 

 

「ふじやとのみち」を行く。

 

 

 

徳生(とくしょう)公園。平成10年(1998)開園。広さ4ヘクタール(100m四方×4)。

 

徳生という名称は由緒ありげな地名。「徳を生む」という、よい響き。どのような由来があるのだろうか。

 

 

 

円形池。

 

 

 

 

 

 

 

広々とした公園のすぐ向こうに高層棟がそびえる。ニュータウンを象徴する風景。

 

 

 

「くさぶえのみち」へ。

 

 

 

緑道の上を街の幹線道路が立体交差で跨ぐ。
港北ニュータウンは丘陵を削って平坦にしたのち元の起伏を大規模に埋め立ててしまわず、谷戸の窪みはそのまま残して立体交差の緑道・公園とした。そのあたりが市域の各所で先行した大規模開発とは異なっている。

 

 

 

幹線道路下をくぐった辺りで「くさぶえのみち」を外れてベルリンの壁を見に行く。

 

 

 

 

 

 

 

ベルリンの壁。ドイツ企業であるテュフ・ラインランド日本法人のテクノロジーセンター敷地角に設置されている。

 

テュフ・ラインランドは一般消費者には馴染みの薄い、いわゆるB to B企業。各種サービス・製品を試験し、その品質を第三者の立場で認証するビジネスを展開している。
市域でも港北区・都筑区・緑区は市の施策によりドイツ系企業が数多く進出しており、テュフもその一つ。こうしたかたちでまちづくりに参加している。

 

回遊式庭園にさりげなく置かれることも多い、由緒ある名石。街全体を巨大な回遊式庭園に見立てるなら、このベルリンの壁はまさに庭園に配置された名石の如き異彩を放つ。

 

 

 

1989年(平成元)に崩壊したベルリンの壁。絵はフランス人画家ティエリー・ノアールにより1987年(昭和62)に描かれた。この絵はベルリンの壁に描かれた絵としては結構有名なシリーズとなっているそうだ。

 

 

 

壁の厚みは、思いのほか薄い。

 

 

 

裏側は何も描かれていない。崩壊後は壁の東側にも絵が描かれていったらしいが、この状態のままの方が崩壊前の東西ドイツ(東西ベルリン)の姿をよく象徴している。この壁を乗り越えようとして、幾多の人々が悲劇に見舞われたことか。

 

 

 

「くさぶえのみち」へ戻る。

 

 

 

 

 

 

 

牛久保公園。平成10年(1998)開園。広さ4.6ヘクタール(100m四方×4.6)。

 

丘陵地で数多く目にする「何々久保(何々窪)」という地名は谷戸の地形に付けられた古来の地名として典型的。港北ニュータウンの地名には古い地名をそのまま使っているものも結構ある。

 

手洗いの裏手から高台へ。

 

 

 

高台。桜が散り始めている。

 

 

 

 

 

 

 

円形の芝生広場。

 

 

 

高台から歩行者自転車専用道へ。

 

 

 

下小山歩道橋を渡る。

 

 

 

長徳寺沿いをゆく。

 

 

 

案内図。

 

 

 

 

 

 

 

「くさぶえのみち」に戻ってきた。

 

 

 

水路が段々状に整備された緩やかな傾斜を登っていく。

 

 

 

地下鉄ブルーラインの線路が地上に出ている。このあたりは起伏の多い地形なので、地下鉄がこうして時おり地上に顔をのぞかせる。

 

 

 

案内図。

 

 

 

道路下をくぐる。

 

 

 

橋のような、トンネルのような構造。
これはボックスカルバートという工法。成形済みの角筒状コンクリート部材を埋め込んでいる。早渕川の支流となる谷戸の最上流部にあたるこのあたりは起伏が浅く、この工法なら橋を架けるより手間がかからなさそう。

 

 

 

住宅・都市整備公団(現UR。都市再生機構)のプレート。
昭和40年(1965)に基本計画が発表され、膨大な遺跡発掘調査を経て着手されたニュータウンの基盤整備も、昭和62年(1987)の頃には土地造成はほぼ出来上がった。

 

 

 

山崎公園。平成3年(1991)開園。広さ6.7ヘクタール(100m四方×6.7)。

 

早渕川支流だった小川跡(現ふじやとのみち、くさぶえのみち)の最奥にあたる。先に歩いた「ふじやとのみち」の徳生公園は標高およそ30m。そこから「くさぶえのみち」を経た山崎公園は標高およそ46m。

なお、先に歩いた「ふじやとのみち」は徳生公園から分岐して進んだ神無(しんなし)公園の手前あたりで、分水界を経て早渕川のもう一つの支流跡とつながっている。神無公園から先へと続くもう一つの支流跡は、中原街道旧道の「のちめ不動前」あたりまでが「ふじやとのみち」として整備されている。

 

 

 

池。

 

 

 

せせらぎ沿いに進む。

 

 

 

運動広場。

 

 

 

山崎公園プール側の園路から「やさきのみち」へ向かう。

 

 

 

公園プール。

 

 

 

公園の外周園路。

 

 

 

途中に広場。

 

 

 

 

 

 

 

住宅地沿いをゆく。

 

 

 

下りたところを左へ。

 

 

 

公園出口からは「やさきのみち」(歩行者自転車専用道)。中川八幡山公園へと続いていく。

 

 

4.「やさきのみち」中川八幡山公園から都筑中央公園・茅ヶ崎杉山神社へ

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