まちへ、森へ。

牧場と富士山展望の山・大野山と丹沢湖

令和四年(2022)一月中旬の週末、富士山の大展望を楽しみに西丹沢前衛の山・大野山(おおのやま。723m)に登る。
スタートは山北(やまきた)駅。下山は丹沢湖へと下りロックフィルダムの三保(みほ)ダム、湖底に沈んだ世附(よづく)地区から移築された古民家「三保の家(旧渡辺家住宅)」を訪れる。

 

1.山北駅から大野山

 

 

黒瓦の木造駅舎(大正13・1924年築)が味わい深い、JR御殿場線・山北駅。標高は107m、時刻は朝7時40分ごろ。

 

 

 

駅前には昭和初期に流行したアールデコ様式を取り入れた建築がいくつか残っている。

 

 

 

駅前大通りを少し進んで「河村城址(かわむらじょうし)」への案内板で左折、御殿場線沿いの桜並木へ。

 

 

 

並木道を進む。

 

 

 

山北橋から見下ろす御殿場線。

 

 

 

樋口橋(とよぐちばし)へ。

 

 

 

安戸(やすど)トンネルを抜ける。

 

 

 

大野山入口バス停。
なお、こちらのバス停は春秋のみの季節運行「大野山登山口〜新松田駅」のバス停。「西丹沢ビジターセンター〜新松田駅」の大野山入口バス停は国道246号沿い。

 

 

 

「カフェ リーフス」前の手作り道標。

 

 

 

コンクリートの祠に守られた馬頭観音(馬頭観世音菩薩)。

 

 

 

向かって左の馬頭観音には「宝暦四(1754)甲戌(きのえいぬ)」、右には「明和三(1766)丙戌(ひのえいぬ)」と刻まれている。

 

 

 

もうしばらく進むと、チェーンソーアートの動物たち。「チラッと見えるのが大野山だニャ〜♪」

 

 

 

牧草地の大野山山頂付近が本当にチラッとだけ見える。

 

 

 

東名の高架(鍛治屋敷橋)下を通過。

 

 

 

県立山北つぶらの公園の青看板。この奥に電話ボックスと都夫良野(つぶらの)入口バス停。

 

 

 

もう少し進むと右分岐。ここで右手の坂を登っていく。
なお左手をもう少し先へと進むと「ナイトアルコン工場」手前に大野山登山口バス停(折り返し場)がある。その先をさらに進むと足柄ボクシングジムや公衆トイレがあり、ジムの手前に再び右分岐があるのでそちらから登ってもよい(どちらから登っても、進んだ先で合流する)。

 

 

 

右手の坂の道標。

 

 

 

坂の折り返しから見える、唯念上人(ゆいねん しょうにん)の六字名号塔(ろくじみょうごうとう)。同様の石塔は駿豆・足柄(すんず・あしがら)地域に数多く建てられている。

この石塔には「安政五(1858)戊午(つちのえうま)」と刻まれている。正面には「南無阿弥陀仏」の六字が刻まれているが唯念の六字名号塔は字体のクセが強いのでひと目でそれとわかる。山行前に確認したグーグルマップ・ストリートビューでは坂手前の道標辺りに建っていたが、こちらに移されたようだ。

 

 

 

道標に従い左手を直進。

大野山を山北駅側から登る場合、登山道よりも手前の鍛治屋敷、古宿の集落の道がかなり複雑になっている。グーグルマップはおろか、地理院地図にも掲載されていない里道が多い。事前に見ておくのであれば「ゼンリンいつもnavi」「Yahoo」「マピオン」といった住宅地図ベースの地図が道や建物、バス停の詳細な情報を掲載している(ただしマピオンは大野山登山口バス停の位置がずれている)。

 

 

 

進んだ先にも道標。この丁字路でボクシングジム手前の右分岐からの道が合流する。

 

 

 

石垣にも道標。

 

 

 

狭い舗装路の山道を登っていく。

 

 

 

登った先に車止めのある分岐。左手に道標が出ている。

 

 

 

今度は人形「丹沢クリステル・キャサリン姉妹」の道標。大野山の山北駅側ルートにはユニークな道標が多い。
この姉妹、もともとは大倉の登山口にいたらしい。もう長いこと大倉尾根は御無沙汰なんで、知らなかった。

 

 

 

古宿集落の足柄茶畑。

 

 

 

旧共和小学校前(標高330m)に到着。時刻は8時半過ぎ、気温は3度。
ここまで登って来ると真冬とはいえさすがに暑い。どっと汗をかく前に着込んでいた中厚手フリース(私のは冬の丹沢で汎用性の高いポーラテック200を用いたジャケット)やらウィンドブレーカーやらをさっさと脱いで身軽に(冬場のレイヤーはもっぱら保温速乾シャツの上にダクロンウールの山シャツをはおっているが行動中はこれで充分)。

 

 

 

旧共和小学校の閉校後、校舎は「町立共和のもりセンター」として利用されている。

 

 

 

正門前、西に姿を見せる富士山。

 

「富士見通り」を右折して進んでいくと旧校舎の裏手あたりに公衆トイレがある。冷えてトイレが近くなる季節でも、大野山ハイキングコースではトイレに事欠くことはない。

 

 

 

国指定重要無形民俗文化財「山北のお峰入り」の案内板。その起源は南北朝期に遡る、とある。
山北町(やまきたまち)公式HPによると近年は概ね五年おきに行われているそうだ。次回は令和五年(2023)秋の予定。

 

 

 

市間(いちま)分岐を右手に分け、左手を進む。市間集落の奥には「お峰入り」が行われる高杉の神明社がある。

 

 

 

「大野山・地蔵岩ルート」登山口。

 

 

 

登り始めるとすぐに地蔵岩の案内板。

 

 

 

岩に上がると石仏を覆う簡素な祠が建つ。

 

 

 

中央は馬頭観音か。「文化四(1807)丁卯(ひのとう)」と刻まれている。
右は頬杖を突き宝珠を持っているので如意輪観音だろうか。赤い前掛けをめくれば膝を立てているはず。舟形光背の文字は風化していて読めなかった。左は像自体が風化している。

 

 

 

こちらは地蔵菩薩。親に先立った幼子が河原で石を積む「賽の河原」の説話が背後の板に書かれている。

 

 

 

戻らずにそのまま進めば再び登山道に合流。

 

 

 

上側合流の案内板。

 

 

 

道はいよいよ登山道らしくなる。

 

 

 

山歩き初心者にやさしい、赤テープの誘導。

 

 

 

枯れた沢を渡る橋。上流側は深くえぐれている。

 

 

 

山頂が近づいてきた。

 

 

 

木橋の崩壊地点。風水害で通行止めになっていた登山道は令和三年(2021)三月に復旧した。

 

 

 

崖沿いを削って迂回路が設けられている。

 

 

 

 

 

 

 

近年、超大型の台風が猛威を振るうことが多くなった。滝のような水が押し寄せれば脆い山肌はひとたまりもない。

 

 

 

堰堤下の橋。

 

 

 

こちらも仮復旧。
先の木橋も山慣れた人ならば歩けないこともなかっただろうが、高齢者グループや子連れのハイカーでも間違いが無いようにするためには通行止めにするのが無難だったのだろう。

 

 

 

蛇篭で大規模に復旧工事が進められている。

 

 

 

牧草地に出た。

 

 

 

注意を促す看板。

 

 

 

山頂へ向けて木段の一気の登り。

 

 

 

634m(ムサシ)を通過。

 

 

 

 

 

 

 

道標には注意を促す看板。

 

 

 

これは県営牧場だった頃からのものだろう。

 

 

 

そもそも現在では高圧電流の電気柵が張られているので、牧草地を横切って高杉へ下るコースは通行できない模様。

 

 

 

広々と開けた尾根(標高655m)に到着。目の前に連なり延びるのは丹沢主稜。

 

 

 

畦ヶ丸(あぜがまる)から大室山(おおむろやま)。

 

 

 

大室山から檜洞丸(ひのきぼらまる)。

 

 

 

檜洞丸から同角ノ頭(どうかくのあたま)。

 

 

 

同角ノ頭から蛭ヶ岳(ひるがたけ)。

 

 

 

牧場は現在、民間の「薫る野牧場」により運営されている。

大野山山頂の牧場はかつて、春〜秋の間に県下の酪農家から牛を預かり育てる県営の乳牛育成牧場(昭和43・1968年開場)だった。しかし県の「緊急財政対策」に基づく各種事業の見直しにより、平成27(2015)年度いっぱいで県営牧場は廃止。
丹沢では異色の牧歌的なこの山の跡地は一体どうなってしまうのだろうか、と気掛かりだった。その後相模原出身の若き女性酪農家が平成29年(2018)夏に山地酪農(やまちらくのう)を実践すべく地権者である「共和財産区(法人)」から放牧場を借り受け「薫る野牧場」を開設。そのニュースを知ったときは「よくぞ引き受けてくださった」と無性に嬉しかったことを今でも思い出す。

 

 

 

 

大型連休頭の山開きの頃になれば、いつでもジャージー牛たちを見られるだろうか。

 

 

 

こちらはテレビの放映があった後の反響で収拾がつかない状態になっているらしい。落ち着くまではもうしばらくかかるだろう。

 

 

 

山頂へ向かう。

 

 

 

南に箱根の山々。天気がいいので大涌谷(おおわくだに)の噴気もちょこっと見える。

 

 

 

「イヌクビリ」付近の大きな看板。県西地域ウォーキングガイドのマップが載っているが、山北駅側ルートはウェブ上のものと異なり地蔵岩ルートではなく深沢経由(車道)ルートが示されている。地蔵岩ルートが通行止めになっていた期間に設けられたのだろうか。
ちなみにイヌクビリとは昔大力な男が山犬の首をとったとかオオカミを罠で退治したという伝承から来ているそうだ。

 

 

 

先代の看板(平成25・2013年11月、大野山フェスティバル時に撮影)。
県営乳牛育成牧場時代の末期。現在では放牧場は「薫る野牧場」となっている。
旧県営乳牛育成牧場「まきば館」「牛舎」は現在では管理者が「(株)門屋食肉商事」となり「大野山かどやファーム」となっている。

 

 

 

更にもう一代前の看板(平成11・1998年8月撮影)。

 

 

 

駐車場の先は車両進入禁止。

 

 

 

右手の駐車場側には公衆トイレと「こもれび遊歩道」の道標。ここから舗装路とは別に山頂までの道が整備されている。

 

 

 

午前10時すぎ、山頂に到着。大野山からの富士山は美しく、そして大きい。

 

 

 

山頂の石祠。アルペンガイドの旧版など各種ガイドブックには「竜集大権現を祀る」との記述がみられる。

大野山は古くは「王ノ山」といい南北朝期の後醍醐天皇を祀ったことから付いた名だという。登りがけに見た「山北のお峰入り」案内板にも神明社(高杉大神宮)に伝わるお峰入りの行事は南北朝期に始まった、とあった。
参考「いらすと丹沢・山ものがたり」とよた時著。

 

 

 

石祠の傍らには方位盤。

 

 

 

山頂の標柱と「関東の富士見百景」プレート、チェーンソーアートの動物たち。
久しぶりに見た標柱は随分と傷んでしまっていた。

 

 

 

山頂から谷峨駅方面に少し進み、牧草地越しの富士山。

 

 

 

大野山からの富士山は、ただただ雄大だ。

 

 

 

丹沢湖・三保ダムを見下ろすベンチで早昼の大休憩。下山は丹沢湖方面へと向かう。

 

 

2.大野山から丹沢湖

page top