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多摩美の森から小沢城址、香林寺へ


令和三年(2021)春のお彼岸。年明けから新型コロナ禍による緊急事態宣言が再発令されるも、三月下旬には宣言が解除される見通しとなった。満開のヒガンザクラからソメイヨシノの開花へと移ろいゆく季節、多摩丘陵の五反田川(多摩川水系平瀬川・二ヶ領本川支流)、三沢川(多摩川水系)流域を歩く。

今回のルートは標高にして50m(小田急・読売ランド前駅)〜約100m(東京ヴェルディクラブハウス正門前)〜46m(小沢城址きたん坂入口)〜90m(小沢城址天神山)〜33m(穴沢天神社御神水)〜約120m(よみうりゴルフ倶楽部正門前)〜約80m(細山北谷公園)〜約100m(香林寺五重塔)〜約65m(生田西小学校下)〜約120m(高石神社)〜約70m(小田急・百合ヶ丘駅)。舗装路が大半とはいえ、里山歩き並みの起伏のあるまち歩きとなった。

1.読売ランド前駅から多摩自然遊歩道を小沢城址へ



川崎市多摩区、小田急線・読売ランド前駅の北口。標高は50m。上りホーム最後尾からポンと出られる北口にはバスターミナルなどを整備するスペースはなく、線路沿いを県道(津久井道・つくいみち)が走っている。
多摩自然遊歩道へは正面奥に見える道を入っていく。




カフェ・ド・シュロを左手に見ながら、奥へ。




遊歩道の案内板。




川崎市多摩区・麻生(あさお)区にまたがる「多摩特別緑地保全地区」に設けられた「多摩自然遊歩道」。
川崎市都市農業振興センター農地課の公式サイト「あさおグリーン・ツーリズム」によると遊歩道の開設は昭和53年(1978)と結構古い。多摩特別緑地保全地区は昭和63年(1988)に川崎市により指定され、現在では追加指定により里山の斜面緑地およそ6.7ヘクタール(100m四方×6.7)が保全され、住民の憩いの森となっている。




道が二手に分かれるところで中腹の道を登ってゆく。




クヌギ、コナラなど里山の木々の芽吹きはこれから。




春の訪れとともに里山に花開く、タチツボスミレ。




ヤマザクラ。




斜面緑地の下には住宅地が広がり、緑地の上は日本女子大と付属中高のキャンパス。




竹林。




ヤマザクラの大木。




多摩特別緑地保全地区は「こもれびの会」により「こもれびの森」として整備、管理されている。









健康の森掲示板。このあたりは「麻生区市民健康の森(麻生鳥のさえずり公園)」。




現在地。標高およそ85m。




「麻生鳥のさえずり公園」の案内板。
「市民健康の森」は川崎市による事業として行政と市民の協働により平成10年頃から各区に一か所ずつ整備されてきた緑地。「麻生区市民健康の森」は「麻生鳥のさえずり公園」と呼ばれ「麻生多摩美(たまみ)の森の会」による管理がなされている。

健康の森に隣接する緑地は「多摩美ふれあいの森」「多摩美公園」としてそれぞれ「多摩美みどりの会」「公園愛護会」による管理がなされている。そして多摩自然遊歩道(特別緑地保全地区)も含めた一帯は「多摩美の森」と総称され、全体でおよそ10ヘクタールの緑地となる。

「多摩美」という地名は、一見して「たまび?美大と関係あるのか?」と思ってしまう。角川日本地名大辞典14(神奈川県)によると、昭和53年(1978)に当地区(細山地区)に住居表示が実施された際、住民による名前の応募のなかから「多摩丘陵地帯で多摩川と美しい富士山が見えるところ」という意味で多摩美が選ばれて多摩美一丁目、二丁目となった、とある。




小さな畑と「多摩美の森の家」。









小ぶりながらも手入れの行き届いた、気持ちのいい森の広場。




多摩自然遊歩道の案内図。
よみうりランドを中心によみうりゴルフ倶楽部、ジャイアンツのファーム球場、ジャイアンツの寮、日テレの生田スタジオ、ヴェルディの練習場クラブハウスと、都県境を挟んだ一帯はさながらよみうり王国の様相を呈している。

多摩美の森から小沢城址へと向かう。




木段を登って立体交差の道路に上がる。









Jリーグ・東京ヴェルディ練習施設のクラブハウス。この辺りで標高およそ99m。奥にグラウンドが広がっている。
Jリーグの草創期、読売ヴェルディ、ヴェルディ川崎として一時代を築いたヴェルディはかつてここを本拠としていた。今となってはそれも随分と昔のように感じられる。




クラブハウス正門に向かい合う下り坂の左手は、菅(すげ)さくら公園。道の奥には新宿の超高層ビル群が見える。意外と近い。




ソメイヨシノが四分咲きくらいになっている。




ソメイヨシノとオオシマザクラ。
この年の南関東は彼岸入りの頃には開花宣言がでており、ここ数年の傾向にたがわずソメイヨシノの開花が早い。




公園の向こうに、よみうりランドが見える。




奥の階段を下りていくと、川崎市農業技術支援センター前の桜並木。




公園下の角から農業技術支援センターにかけて150mほどの桜並木が続いている。









農業技術支援センターのナシ園。試験農場のため立ち入りはできない。









農業技術支援センター正門。標高およそ92m。




センターの案内図。




多摩自然遊歩道の案内板。




寿福寺墓地の脇をゆく。




下ってゆくと、小沢城址の森が見える。




臨済宗建長寺派・仙谷山寿福寺の山門。

江戸後期の地誌「新編武蔵国風土記稿 巻之五十九 橘樹(たちばな)郡之二 稲毛(いなげ)領 菅村 寿福寺」には寺の由緒として応永十四年(1408)に沙門宗圓(宗円)によって記された古縁起が引用されている。
古縁起には「建長寺の大安禅師大方慶和尚(大安法慶)がこの地にやって来て荒廃していた寺を禅林として再興した。永徳二年(1382)には鎌倉公方足利氏満が禅師の徳を慕って参謁し三個の殿宇を造営した」という内容の記述がある。風土記稿の編者は「この宗円はその頃の住(住職)であるという。この縁起に載せられたところはすこぶる詳細であり当時のことを証すべきものが多い。しかるに今寺伝によれば開山法慶は弘安元年(1278)九月七日に寂せり(没した)という。これは縁起にいう方慶が氏満と交りし永徳二年より百五年前にあたるので寺伝が誤っていることになる。また寺伝に法慶より先は天台宗であったとあり、古き寺院であることには違いない」と記す。

また、川崎市教育委員会公式サイトの「木造 国一禅師坐像」(寿福寺所蔵の尊像)のページには現在確認されている墨書、銘文などの学術的な解釈が記されている。
国一禅師座像には首ほぞの墨書や胎内に納められた銘札の銘文が確認できる。銘札には「康応元年(1389)没、仏満禅師(法慶禅師の師)の法嗣である仙谷開山大安法慶禅師」という内容の記載がある。また首ほぞの墨書から座像は国一禅師太古世源(1232〜1321)の像であることが判明している。
国一世源は建長寺の塔頭(たっちゅう。寺院内の寺院)であった向上庵(現在は廃絶している)の開山となった高僧。国一世源は法慶から遡ると無学祖元(建長寺第五世、円覚寺開山)の仏法の流れをくむ先達にあたる。そうした縁から、大正8年(1919)になって廃絶された向上庵に安置されていた座像を寿福寺に迎えたのであろう、という推察がなされている。

「法慶より先は天台宗(ただし荒廃していた)であった」点については古縁起の記述に拠ることになる。平安初期に最澄によって開かれた天台宗よりも更に遡る推古天皇六年(598)から縁起は始まっている。古縁起は江戸後期の地誌「江戸名所図会 巻之三 天機(てんき)之部 第三 寿福禅寺」に引用される漢文に和文訳が併記されており新編武蔵のそれよりも読み易い。
縁起によると寿福寺の地は推古天皇六年、聖徳太子が高橋妃(聖徳太子の妃)の亡き母である入阿弥尼公の終焉の地において七堂を創建し冥福を祈った旧跡である、とある。仙谷山というのは仙人の道鏡がこの山に隠棲し修業したことによる。本尊十一面観音は大和国長谷寺の像と同じ木から彫られている。康平年間には八幡太郎源義家が奥州に出陣のおりここに宿泊して開運を祈った。小沢小太郎重政(秩父平氏の一族・稲毛重成と北条時政の娘との子。小沢城城主と伝わる)もまた御本尊に信心を寄せていた。文治年間には源義経と弁慶がこの地を訪れている(ここまでは聖徳太子や道鏡の伝説のほか、武相各地に伝わる大和長谷寺に所縁の尊像、八幡太郎の奥州出征、義経と弁慶の伝説などが見られる)。やがて兵火により寺は衰退。そして建長寺の法慶がこの地にやって来る、と連なっていく。




本堂前のシダレザクラはまだ開花前。




山門前からさらに坂を下ると、寿福寺梅林。




小沢城址へは「スピード落とせ」看板の左側の狭い道を進む。




近隣住民の方の厚意で設けられたイスとテーブルの「お休み所」を過ぎて真っすぐに進めば、ほどなくして小沢城址の「きたん坂入口」。

城址に登る前に、日立製作所寮の角を右折してちょっと寄り道。




菅仙谷(すげせんごく)なかよし公園。小さな児童公園だが、民主党政権の菅直人首相、仙谷由人官房長官、彼らと党内で対立していた小沢一郎前幹事長(いずれも当時)の時代には菅仙谷なかよし公園をジロリと見下ろす小沢城址の如きシチュエーションが「シュールな現実」としてちょっとしたネタになった。あれからもう十年にもなる。




右折した角に戻り真っすぐ進むと、小沢城址の城下。標高46m。




「きたん坂入口」は青いトタンの倉庫の裏手にある。


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