まちへ、森へ。

大山裏参道から南尾根、鶴巻温泉へ

3.蓑毛越から大山南尾根を鶴巻温泉へ

 

2.蓑毛から蓑毛越、大山阿夫利神社下社へはこちら。

 

 

下社(しもしゃ。標高695m)から蓑毛越(みのげごえ。670m)まで戻ってきた。時刻は午前11時20分ごろ。

 

蓑毛越からは大山南尾根(おおやまみなみおね)を鶴巻(つるまき)温泉へと下っていく。南尾根は伊勢原市と秦野(はだの)市の市境となる。

 

 

 

弘法山(こうぼうやま。235m)は善波峠(ぜんばとうげ。193m)で分岐する尾根を秦野駅方面に下っていった先の山。

 

 

 

歩き始めてすぐの浅間山(せんげんやま。680m)に建つ電波塔。山道は浅間山の山頂を巻いてゆく。

 

 

 

延びていく、なだらかな尾根道。

 

 

 

続いて現れた電波塔はNTTの無線中継所。

 

 

 

登山道は敷地を回り込む。

 

 

 

 

 

 

 

そびえ立つ二基の電波塔。

 

 

 

 

 

 

 

電波塔が次々と現れる。

 

 

 

 

 

 

 

だらだらの下りが続く。

 

 

 

ヒノキの植林が続くなか、八方へ太枝を広げた立派な山桜の古木が現れた。

 

 

 

送電線鉄塔に到着。標高480mまで下ってきた。

 

 

 

食害除けのカバーがかけられた、植林されたばかりの苗木。

 

 

 

鉄塔の脚元は眺望がいい。

 

 

 

ズームでとらえる横浜ランドマークタワー、ベイブリッジ。

 

 

 

北東に視線を振る。

 

 

 

こちらには東京スカイツリー。

 

 

 

お昼の12時10分過ぎ、不動越(ふどうごえ。標高461m)に到着。

 

 

 

手書きの道標。下社まで1時間とあるが、これはかなりの実力者のレベル。標準的には蓑毛越まで55分、下社へはそこから更に30分といったところ。

 

 

 

車道を横断し、登山道を進む。

 

 

 

「イヨリ峠」とあるのは、いにしえの不動越。

 

 

 

イヨリ峠(不動越)には不動明王の道標が建つ。刻まれた文字は「文政五(1822)壬午(みずのえ うま)歳」。その昔、大山道にはこうした不動明王を冠した道標が数多く建てられた。
向かって左側面には「此方(こちら) いいすみ道(足柄下郡飯泉村。坂東三十三箇所・飯泉観音への参詣道) 小田原道」、右側面は「此方 大山町 こやす(大住郡子安村。現在の子易)道」とある。

 

かつては石仏の部分が欠損し石柱部分も二つに折れて打ち捨てられていたというが、まずは石柱部分が修復された。
参考「かながわの峠」
そして、欠けていた頂部の石仏部分が阿夫利睦の方々により平成27年(2015)に修復された。

 

 

 

この辺りで標高およそ450m。西への分岐は小蓑毛(こみのげ)、才戸入口バス停へと下る古道。蓑毛裏参道のサブルートとなる。

 

 

 

 

 

 

 

なだらかな尾根を少しばかり進むと、高取山への急な登りが始まる。

 

 

 

西には葉を落とした木々の隙間から姿をのぞかせる富士山。

 

 

 

ひと登りしてゆるゆると進むと間もなく高取山の山頂。

 

 

 

高取山(たかとりやま。556m)に到着。時刻は12時45分。

 

北には大山(1252m)の端正な姿と、手前に向けて延びてくる大山南尾根。

 

 

 

東は展望が開ける。

 

 

 

ランドマークタワーと鶴見つばさ橋。

 

 

 

山頂の西側に建つNHK大山無線中継所。

 

 

 

高取山から善波峠(弘法山方面)に向けて急傾斜を下っていく。

 

 

 

聖峰(ひじりみね)分岐。

 

 

 

この先の下りは傾斜が見た目以上にきつくなる。ストックがあると楽。

 

 

 

急坂を10分ほど下ってきた。

 

 

 

尾根をそのまままっすぐ(誤った方向に)突き進んでしまわないよう、道標も完備。

 

 

 

要所に設けられた道標。

 

 

 

 

 

 

 

振り返り見る高取山、大山。

 

 

 

鹿除けのフェンス沿いに進む。

 

 

 

午後1時50分過ぎ、念仏山(ねんぶつやま。355m)に到着。南西の展望が大きく開けた。眼下に広がる秦野盆地の市街地と渋沢丘陵。

 

そして遠景には湯坂道(ゆさかみち。鎌倉古道)の尾根、二子山(1065,1099m)、駒ヶ岳(1356m)、神山(かみやま。1438m)といった箱根の峰々。

 

 

 

駒ヶ岳、神山、なだらかな山容の明神ヶ岳(1169m)、金時山(きんときやま。1212m)、そして右端におにぎり型の矢倉岳(870m)。

 

 

 

「江の島だ」と撮ったら、ピントが抜けた。

 

 

 

湘南平(しょうなんだいら。180m)は無事。

 

 

 

送電線鉄塔を過ぎて鹿除け柵の扉を通過。

 

 

 

次の送電線鉄塔が建つあたりは、国道246号・新善波トンネルの上となる。

 

 

 

名古木(ながぬき。秦野市)分岐。ここまでたどってきた尾根道は「関東ふれあいの道・野菊と信仰のみち」と名付けられている。

 

 

 

建て込んでいるモーテルを見下ろす。

 

 

 

善波峠(ぜんばとうげ)に到着。時刻は14時20分。

 

 

 

この切通しの下には国道246号旧道の善波トンネルが通っている。

 

現在は大きな切通し(きりどおし)の林道となっている善波峠。ほんの40年ほど前(1978)の写真では、もっと浅くて狭い切通しとなっていた。

 

 

 

国道246号旧道のさらなる旧道となるこの古道は、近世の矢倉沢(やぐらさわ)往還。古来、波多野道あるいは大山道、富士道とも称され、江戸と足柄を結ぶ文化、経済の動脈だった。峠の東側には鎌倉時代の武将・善波太郎重氏の館があったと伝わる。

 

参考「丹沢今昔」

 

 

 

傍らにひっそりとたたずむ、首なしの地蔵菩薩像。

 

 

 

石仏の脇を上がったところには常夜灯が復元されている。

 

 

 

文政十年(1827)と刻まれた燈明台は現存するが、火袋(ひぶくろ)は失われている常夜灯。

 

 

 

燈明台には「御夜燈」と刻まれている。

 

 

 

右上はここまで辿ってきた尾根道、左が切通し。右は「熊出没注意」看板そばの道標が「弘法山」と示す道。

 

 

 

「弘法山」と示す道へ。

 

 

 

「関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)枝線・野菊と信仰のみち」案内板が立つ。「小蓑毛」の一つ手前のバス停「才戸入口」から不動越に上がり、大山南尾根を善波峠へと下るルートが枝線となっている。

 

枝線についてはウェブ上の「関東ふれあいの道」公式サイトには掲載がない。高取山はちょっと前までの文献ではこの案内板のように「鷹取山」とも表記されてきた。

 

 

 

案内板の傍らの道標。弘法山への道はここで分岐。

 

 

 

鶴巻温泉駅(吾妻山)方面へ。ここから先は軽装のハイカーも多い。弘法山から吾妻山にかけての尾根は散策コースとして日常的に親しまれている。

 

 

 

軽いアップダウン。

 

 

 

東海大学前駅への分岐。鶴巻温泉駅(吾妻山)方面へは左手へ。

 

 

 

石座神社(せきざじんじゃ)経由鶴巻温泉(駅)方面(野仏の道)への分岐。吾妻山は鶴巻温泉駅方面へ。このあたりはちょっと表記がごちゃごちゃしている。

 

 

 

矢倉沢道への分岐(標高155m地点)。ここで道標に「吾妻山」の表記が現れる。

 

矢倉沢往還の道筋はこの分岐の先で合流する旧道を善波峠へ向けて引き返すように進んでいくと、善波峠手前のモーテル造成地あたりで途切れている。

 

 

 

年の瀬は日の暮れるのが早い。

 

 

 

吾妻山(あづまやま。159m)に到着。時刻は15時。

 

 

 

街を見下ろす。

 

 

 

案内板。

 

ヤマトタケル東征伝説における「あずまはや」の地は県内でも各地に伝承が伝わっている。著名なところでは律令国家の官道であった足柄峠。そして、チャレンジングな学説としての碓氷峠(箱根・明神ヶ岳の南側)。謎多き古代史では、歴史ロマンは際限なく広がってゆく。

 

吾妻山から鶴巻温泉駅へはあともう少し。

 

 

 

もう年の瀬だというのに、まだ晩秋の雰囲気が残る里山。

 

 

 

 

 

 

 

道標で折り返すように下っていく。

 

 

 

山道から車道に出る。

 

 

 

東名高速をくぐる。

 

 

 

くぐった先で道標に従い、向かいの道へ直進。

 

 

 

道なりに進んでいくと、鶴巻温泉元湯「陣屋」の敷地に突き当たる。右折して敷地沿いに進み、陣屋の正面にちょっと寄り道。

 

 

 

大正年間創業の老舗旅館「元湯 陣屋」。間もなく正月を迎えるこの時期、立派な門松が設えられた。立ち寄り湯としてぜひ利用してみたいところではあるが、お目当ての風情ある山荘露天風呂(〜15:00)は大山南尾根縦走の山帰りでは時間的にちょっと間に合いそうにない。
陣屋公式サイト

 

将棋タイトル戦の対局の場としてもその名を馳せる陣屋旅館の敷地は、鎌倉幕府草創期の重臣・和田義盛の別邸だったところ。一万坪を超える敷地には明治天皇を迎えるために建てられた旧黒田侯爵邸「松風の間」といった由緒ある建築が三井別邸だった時代に移築されている。
先代の女将は宮崎駿監督のいとこ(ソースは旅番組の御本人談)であり、門の背後に見られるケヤキの向こう側あたりに聳えているクスノキは宮崎監督の少年期の情操を育んだであろう縁から「トトロの木」と名付けらている。

 

90年代以降、鶴巻温泉は通勤圏として駅周辺にマンション開発の波が押し寄せ、70年代後半〜80年代初頭ごろの丹沢ガイドブックに「温泉旅館数十五軒」とか「丹沢周辺では随一の賑わい」といった記述が見られた往時の四分の一近くまで旅館数が減ってしまった。

 

陣屋では90年代の終わりごろ近隣の廃業した旅館跡地で始まったマンション建設の基礎工事開始と同時期に陣屋敷地内の源泉水位観測井の水位が大幅に低下。温泉権保全のための工事中止を求める仮処分の申立て(正式な訴訟は準備に時間がかかり、その間に工事が進行して源泉が枯渇するリスクがあったためいったん工事を止めてもらう必要があった)に対して話し合いの場が設けられる方向であると報道されたこともあった。現在こうして何軒かの旅館と公営温泉施設が営業を続けているのだから、その後の話し合いは上手くまとまったのだろう。

 

とはいえ旺盛な需要にもとづく開発圧力にさらされてきたなか、変わりゆく鶴巻の地で他の温泉地と競合しながら営業を継続していくことは容易ではなく、陣屋も先代の頃には由緒ある建築・広大な庭園の維持に必要な利益を上げられずに多額の負債を抱えてしまい経営危機に陥っている。そうした逆境に直面しつつも現在の当主御夫妻のひとかたならぬ尽力もあって陣屋が超高級旅館として劇的に再生されたことは、多くの経済記事で報じられた。

 

 

 

陣屋敷地の角から駅方面への道に戻ってきた。分岐を右へ進むと駅前通りへ。

 

 

 

こちらも創業90年を超える老舗、大和旅館。日帰り入浴(要問い合わせ)も受け付けている。
大和旅館公式サイト

 

 

 

分岐を進むと、公営の日帰り入浴施設「弘法の里湯」。

 

 

 

気軽に立ち寄れるのは日帰り専業の魅力。
弘法の里湯公式ページ(秦野市)

 

 

 

鶴巻温泉駅前の通りを駅北口へ。

 

この反対方向には旅館から転業した日帰り入浴施設「ゆたか」があった。ヤシの木に囲まれた広い露天風呂があってそちらも結構気に入っていたのだが、残念ながら随分と前に廃業してしまった。

 

 

 

15時30分過ぎ、鶴巻温泉駅北口に到着。

 

 

 

 

 

 

 

リニューアルされた駅舎。平成31・令和元年(2019)「納めの山歩き」はこれにて終了。

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