まちへ、森へ。

宇田川遡行、小さき森に物語あり

4.宝寿院の枝垂桜、在日米軍深谷通信所へ

 

3.深谷市民の森、まさかりが淵市民の森へはこちら。

 

 

まさかりが淵市民の森から下りてきて、バス通りに出る。

 

左は中村三叉路、右に行くと宝寿院(ほうじゅいん)。行く手の右方に大きな木が見える。

 

 

 

バス通りの途中にある、「汲沢町(ぐみざわちょう)のケヤキ」。樹齢370年、樹高18mの堂々たる古木。(データは名木古木指定樹木一覧・2011年資料)

 

 

 

宝寿院前交差点。左の白壁が宝寿院の敷地。

 

 

 

真言宗大覚寺派・汲沢山宝寿院の山門。

 

山門のすぐ先に、枝垂れ桜が見える。

 

 

 

山門に掲げられた「汲沢山」の扁額。

 

 

 

市の名木古木・シダレザクラ。撮影・平成26年(2014)3月29日。

 

 

 

樹齢100年、樹高は6m。(データは名木古木指定樹木一覧・2011年資料。なお、2001年当時のデータでは樹高9mとされていた。市民グラフヨコハマNo.115「木の姿木の心」2001年発行)

 

 

 

ずいぶんと前から樹勢が弱っていたそうだが、丸太で組まれたやぐらに支えられ樹木医による治療の甲斐もあって、見事に花を咲かせ続けている。

 

 

 

 

 

 

 

風にそよぎ、ゆらゆらと大きく揺らぐ、枝垂れの枝。

 

 

 

 

 

 

 

青空に映える、美しい薄紅色。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂。

 

 

 

 

 

 

 

蟇股(かえるまた)には、五三桐(ごさんのきり)紋。

 

 

 

木鼻(きばな)の、獅子。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝寿院を後に、いよいよ返還の時期が定まった深谷通信所を見に行く。

 

 

 

中村三叉路を過ぎ、先を行く。

 

 

 

 

 

 

 

泉区に入ると、そこに広がるのは広大な円形の敷地。
平成26年(2014)6月末を目途に、ついに返還される見通しとなった在日米軍深谷(ふかや)通信所。その広さは約77ヘクタール(100m四方×77)。半径でいえば500m弱。敷地のほぼ中心に鉄塔が建つ。
※鉄塔は撤去済み。

 

 

 

通信隊はすでに撤退し、事実上遊休地であった広大な敷地。フェンスで囲われたエリアの外に広がる周辺部が野球グラウンドや畑として開放されている。
※跡地は平成30年2月付で「深谷通信所跡地利用基本計画」が策定されている。

 

 

 

だだっ広い敷地を縦断する県道(かまくらみち)。
朝、ここをバスで通過した時は西の空にすそ野を広げた雄大な富士山が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

剥げかかった看板の向こうには、ファイヤーステーション(消防署)だった建物。部隊が撤退しても、事実上の遊休地であっても、フェンスの向こうはオフ・リミット。正式に返還されるまで日本ではない。ゲートの前では建物にカメラを向けることもできない。

 

 

 

ペディメントのような三角形を頭に載せたゲートも、鉄塔をはじめとした建造物も、やがて撤去されるのだろう。長かったひとつの時代が、ここでも終わる。

 

帰途はバス停「通信隊前」から立場(たてば)ターミナル、あるいは戸塚バスセンター、JR大船駅西口へ。

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