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柏尾川流域、大船界隈・信仰のかたち。


JR大船(おおふな)駅から鎌倉市の玉縄(たまなわ)地区、横浜市栄区の田谷(たや)を巡り、日帰り温泉まで歩く。

1.JR大船駅から大船観音、玉縄首塚へ。




鎌倉市と横浜市栄区にまたがる、JR大船(おおふな)駅。東海道線ホーム先端から観音像が見える。




JR大船駅は、東海道線・横須賀線それぞれのホームから湘南新宿ラインが発着する複雑な構成になっているため、利用客が混乱しないようにひとまとめの表示板となっている。




西口から大船観音へ、歩行者デッキをゆく。




デッキ上からの観音さま。
手前の川は柏尾川(かしおがわ)。やがて境川(さかいがわ)へ合流し、相模湾へ注ぐ。

柏尾川は境川の最大支流。それ自体も多数の支流をもち、横浜市南部における流域面積は本流である境川のそれよりも広い。




歩行者デッキから大船駅西口バスターミナルへ下り、少し引き返す。









大船観音への参道。









曹洞宗仏海山(ぶっかいざん)大船観音寺。拝観は有料。









観音像の建立着手は昭和4年(1929)。世の音(声)を観る観世音菩薩への信仰が人々の迷いを救うという、観音思想の普及を目指した。
昭和9年(1934)以降、資金難や長引く戦争の影響により工事はひとたび中断。
昭和29年(1954)、新たに曹洞宗永平寺の管長たる禅師を代表者として大船観音協会が設立される。集まった浄財により工事が再開されたのは昭和32年(1957)、昭和35年(1960)完成。
昭和56年(1981)協会は解散し、曹洞宗の独立した一寺院となった。









白衣観音(びゃくえかんのん)。高さは約25m。頭に阿弥陀如来像の化仏(けぶつ)を戴き、瓔珞(ようらく)という装身具をまとう。




化仏とは本来の姿である仏。一般に如来や菩薩などは一口に仏さまというが、大まかにいうと何々菩薩(弥勒菩薩や観音菩薩など)はその修行を重ねることにより仏(何々如来)と成る。




慈悲深い、ふくよかなご尊顔。




背面から胎内へ。




観音像の胎内。内部は平成14年(2002)までに改修工事が行われた。




戦後の工事再開前の観音像。




胎内には天蓋(てんがい)の下に観音像の原型(三十分の一)が祀られている。














慈光堂。



















原爆慰霊碑。




被爆25周年に、県下在住の被爆者により建立された。




慰霊碑は、爆心地の石・瓦が橇(そり)に載せられている。




原爆の火。福岡県星野村(現八女市)で今なお燃え続ける「原爆の火」より採火された。









大船観音を後にし、先へ。西口バスターミナルを見下ろす。




右へ行く。




横断歩道を渡ったバスターミナルの先、最初の角を右に入っていく。




茶のみ処・大船軒。
「鯵(あじ)の押寿し」の駅弁で知られる大船軒の本社ビル。昭和6年(1931)築。




中はカフェとして利用されている。
玄関周りほか窓や庇など随所にアール・デコの意匠が見られる。昭和初期の近代建築らしいすっきりしたデザイン。




行く先に大きなタブの木が見える。




タブの木の根元に、玉縄首塚(たまなわくびづか)。

戦国時代の初期である大永(たいえい)6年(1526)、鎌倉に攻め入った安房(あわ。現千葉県)の里見氏と、それを迎え撃った後北条氏との合戦がこの地であった。
後北条方の軍勢は小田原城の最も重要な支城である玉縄城(たまなわじょう)の初代城主北条氏時(うじとき。北条早雲の次男)とその家臣。
合戦後、討死した家臣の首を互いに交換しこの地にて供養した、といわれる。

新旧の碑が並ぶ。




新しい碑は昭和42年(1967)建立。




古い碑は文政8年(1825)建立。




供養地蔵の、六地蔵。

首塚を後に、先へ。




右へ行く。




フラワーセンターへの案内板に従い、右へ。









フラワーセンター前。歩道橋を渡る。




歩道橋から振り返ると通りの向こうに見えるトンネルは、龍宝寺(りゅうほうじ)トンネル。トンネルの向こうはこの後で訪れる玉縄城跡の城下、龍宝寺界隈。




県立フラワーセンター大船植物園の、入場ゲート。




和風庭園、鑑賞温室が見える。


2.貞宗寺、円光寺、久成寺へ。  まち歩きトップへ戻る。