まちへ、森へ。

西丹沢前衛の山、シダンゴ山から高松山へ

2.シダンゴ山〜ダルマ沢ノ頭〜高松山

 

1.寄からシダンゴ山へはこちら。

 

 

ハイカーでにぎわうシダンゴ山(シダンゴやま。758m)の山頂。

 

 

 

午前11時ごろ、シダンゴ山を出発。

 

ここから先はダルマ沢ノ頭(ダルマさわのあたま。880m)、西ヶ尾(806m)を経由し高松山(たかまつやま。801m)から田代向(たしろむかい)バス停へ下山する。標準コースタイムは4時間35分(休憩含まず)、ちょっとした日帰り縦走ルート。

 

なお、このコースは松田町(まつだまち)公式サイト・観光情報のページに掲載されている一般向けのハイキングコースとしては紹介されていない。観光パンフレットのダウンロードページに掲載されている「松田町周辺西丹沢ハイキングマップ」では「その他ハイキングコース」として色分けされている。

 

宮地山(みやじやま)分岐から先は各種登山地図でも破線の「バリエーションルート(山歩き愛好家が想定するハイキングにおいて地形図の読図が必須のルート)」に準じた扱いになっているので山慣れない初心者のみの入山は控え、ある程度の山歩き経験を積んだ初級者であっても等高線の明確な二万五千分一地形図を元にして綿密な計画を立てたうえでの入山をお勧めしたい。

 

 

 

植林地を下り始めるとすぐに現れる道標。こちらも宮地山への山道が整備されている。

 

 

 

よく整備された登山道を下っていく。

 

 

 

宮地山分岐に到着。標高680m。

 

 

 

ダルマ沢ノ頭は、林道秦野峠線の方面へ。

 

 

 

宮地山分岐を過ぎた先は、歩く人がぐっと少なくなる。

 

 

 

鉄ハシゴに到着。舗装道の虫沢林道が交差している。

 

ここまできて、かかとの上にグズグズとした違和感。どうやら靴擦れを起こしかけている。
トレッキングシューズを新しいものに代えて初めての山歩き。3,40分のまち歩き数回で慣らしたつもりだったが、やってしまった。気にはなるものの、とりあえずこのまま進む。

 

 

 

鉄梯子の先も急傾斜の木段が続く。

 

 

 

 

 

 

 

三日前の夜に降った雪が若干残っている。

 

 

 

午前11時50分ごろ、ダルマ沢ノ頭(ダルマさわのあたま。880m)に到着。

現在はここが「ダルマ沢ノ頭」の山頂ということになっているが、昔はこちらは「八郎丸(はちろうまる。883m)」と呼ばれていた。当時は登山道を進んだ先の871m峰が「ダルマ沢ノ頭」とされていた。

 

ここでかかとの応急処置。山歩きをするときはこれだけは必ず携行するという「応急処置セット(ファーストエイドキット)」を取り出す。山歩きを始めて20年あまり(途中にブランクはあるが)、靴擦れを処置するパッドがここにきて初めて役に立った。

入れておいたのは、今は無きIBS石井スポーツ(横浜鶴見)で初めてトレッキングシューズ等を購入した時におまけでもらった(あるいは購入を勧められたか。記憶に無い)「compeed(コンピード)」。ちなみにネットで調べてみると今では国内での扱いはほとんどない模様。その代わり、バンドエイドのジョンソン&ジョンソンが出している「キズパワーパッド」が入手しやすい。

早速分厚いパッドを両足に貼りつけてみたが、これがピタッと密着して非常に具合がいい。結局、この日はその後の歩行に全く支障がなかった。とはいえ、反省点も一つ。靴下をトレッキング・山歩き用の分厚いものにせず、普段履きの五本指ソックスで来てしまったことだ。「まあ、今回はこれでもいいか」という油断が招いた靴擦れといえなくもない。

 

 

処置を終え、先へと進む。

 

 

 

急斜面を下っていく。

 

 

 

所々に残る雪。

 

 

 

スギの枯葉でフカフカの、植林地の作業道のような山道を進んでゆく。

 

 

 

 

 

 

 

871mのピークを過ぎて、緩やかに下っていく。

 

 

 

林道秦野峠分岐。標高840m。

秦野峠林道は寄(やどりき)の上流側となる稲郷(いなごう)から丹沢湖東岸の玄倉(くろくら)を結ぶ。舗装林道の秦野峠から更に登っていくと檜岳(ひのきだっか)山稜の鞍部となる旧秦野峠。そこから檜岳山稜を鍋割山(なべわりやま)方面に縦走していくと雨山峠(あめやまとうげ)に至る。

 

高松山方面はカッコ書き。この先は道標が無く、一層バリエーションルートらしい雰囲気に。

 

 

 

開けた感じの尾根道。誤った方向へ下っていく尾根に吸い込まれてしまうと道迷いで確実に遭難しそうな、地形図の読図とコンパスが必須の雰囲気。しかしながら、要所の木々に道しるべとなる赤テープが巻かれている。

 

 

 

大した雪ではなかったとはいえ、北側斜面にはそれなりに雪が残る。

 

 

 

先客の足跡が結構残っている。

 

三日前の夜に山間部に雪が降った今回は、「念のため」と冬の低山歩きに威力を発揮する『ルッド』シューズチェーン(スパイクが付いていないチェーン)を入れておいたのだが、全く必要なし。チェーンどころか登山用スパッツ(脛に付ける泥除け)すら不要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スギの若木の倒木。

 

 

 

山道の要所に巻かれている、赤や緑のテープ。

 

 

 

辺りを見渡しながら、スギの枯葉が分厚く積もっているばかりの急斜面を下りていく。

 

 

 

 

 

 

 

コロコロとした獣のフン。これはシカのフンだな。

 

 

 

木段や道標の一切ない、長い下り斜面が続く。

 

 

 

標高710mあたりから登り返し。

 

 

 

送電線鉄塔下に到着。標高731m。時刻は午後1時少し前。

 

 

 

鉄塔下に残る、先客の足跡。

 

 

 

送電線鉄塔下から南へと下り、西ヶ尾のピーク(806m)を目指す。

 

 

 

標高680mあたりまで下ると、急斜面の登りが始まる。このとき気温は8度。意外と暖かい。

 

 

 

かなりきつい登りが延々と続く。もちろん木段もない。今回はストック(トレッキングポール)を携行しなかったが、逆ルートでここを下るにはストックがないと足元が不安できついかもしれない。

 

 

 

ヒラヒラと風に泳ぐ、道しるべの銀テープ。

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ西ヶ尾(806m)のピーク。

 

 

 

東の眺望が開ける。左奥に丹沢主脈、その手前右側に鍋割山稜、一番手前の緑はダルマ沢ノ頭(ダルマさわのあたま。880m)。

 

左奥から不動ノ峰(ふどうのみね。1614m)。その右手には、シダンゴ山からは鍋割山に隠れて見えなかった丸っこい丹沢山(たんざわさん。1567m)。その手前に丸っこい鍋割山(なべわりやま。1273m)からの鍋割山稜が重なり、大丸(おおまる。1386m)を経て右奥は塔ノ岳(とうのだけ。1491m)。

 

 

 

およそ20年前、平成10年(1998)の山行記録より。 拡大版

前述のように、当時はダルマ沢ノ頭は八郎丸と称していた。なお表尾根の行者ヶ岳の表記は当時の二万五千分一地形図が1180mの双耳峰(そうじほう)ではなく隣りの1209m峰を行者ヶ岳と記載していたことによる。現在の地理院Web地形図では記載が双耳峰の側に戻っている。

 

 

 

西ヶ尾(806m)付近。時刻は午後1時20分過ぎ。

 

 

 

高松山(801m)へ向けて下っていく。

 

 

 

尾根の鞍部(あんぶ)まで下っていくと久しぶりに道標が現れた。

 

 

 

この鞍部はヒネゴ沢乗越(のっこし。峠。標高710m)。こちらの道標は行政ではなく「虫沢古道を守る会」による設置。

尾根と交差する「虫沢(むしざわ)・田代向(たしろむかい)バス停」への道は集落間の生活の道であった古道「はなじょろ道」が「守る会」にの整備により復活。
こうして、田代向バス停から虫沢川沿いの車道、はなじょろ道を経て高松山、第六天古道、虫沢古道と周遊するハイキングコースが整った。

 

 

 

高松山(801m)まで、最後の登り。

 

 

 

ここからの登山道は「第六天古道」。「守る会」の方々により丸太の土留が施されるなどして、整備が行き届いている。

 

 

 

 

 

 

 

「ダルマ山」とは「ダルマ沢ノ頭」の古称であろう。「新編相模風土記稿 巻之十七 足柄上郡巻之六 大井庄 虫沢村」における山の項には「達磨タケ山」の記述が見られる。

 

 

 

古道を進む。

 

 

 

再び東の眺望。

 

左手に表丹沢(おもてたんざわ)の主峰・塔ノ岳(1491m)。塔ノ岳の右手を段々になって高度を下げるのは表丹沢のメインルート・大倉尾根。大倉尾根の向こうには表尾根(おもておね)。

 

 

 

表尾根を右へたどっていくと新大日(しんだいにち。1340m)。中ほどの双耳峰は険阻な鎖場で知られる行者ヶ岳(1180m)。尾根の右端が烏尾山(からすおやま。1136m)。進路を奥方向に変えて登り返すと、どっしりとした台形の三ノ塔(さんのとう。1205m)。

 

先に歩いてきたシダンゴ山(758m)は斜面が剥げた緑の山の手前、こんもりとした濃い緑の山。

 

 

 

三ノ塔の右手の小ピークは二ノ塔(にのとう。1140m)。それぞれから尾根が派生して秦野盆地へと下っている。そしてその右手、端正な三角の山が相州の霊峰・大山(おおやま。1252m)。

 

 

 

ちょっとした岩場も安全のためのロープが張られており、ハイカーにやさしい心遣い。

 

 

 

ビリ堂分岐まで来たところで、来た道を振り返る。ここまで歩いてきた秦野峠方面からの道は、20年前に歩いた時よりもさらに前の頃は手入れのなされていないヤブだったようだ。

 

ビリ堂の先は高松山南斜面の広大なミカン畑を経て山北町尺里(やまきたまち ひさり)へと下る道。こちらに下りると「丹沢山」の蔵元・川西屋(かわにしや)酒造店、川西屋分店がすぐ近く。
以下は平成10年(1998)の山行記録。

 

 

 

ビリ堂とは集落の最後の(最奥の)御堂という意味だそう。当時から御堂はなく、二基の石仏(馬頭観音)が奉安されている。お供えはミカン。

 

 

 

ミカン畑農道。

 

 

 

このときは挨拶を交わした蜜柑農家さんにミカンを幾つか頂いた。

 

 

 

平成10年(1998)の山行記録より。

 

 

 

ホウキを逆さに立てたようなアブラチャンの木々の間を抜けていくと、もうすぐ山頂。

 

 

 

広々としたカヤトが広がる、高松山(たかまつやま。801m)山頂に到着。時刻は午後2時。

 

現在の山頂は手入れの行き届いた、きれいに刈り込まれた広場となっている。昔は萱場(かやば)の里山としてふもとの人々に利用されたのだろう。

 

 

 

木々が成長していた往時と比べると眺望がしっかり確保された現在の山頂。西には箱根の山々。

 

 

 

足柄平野。

 

 

 

あいにく富士山には雲がかかってしまった。

 

 

 

東に秦野盆地。

 

 

 

山頂から第六天方面へ下山開始。途中の尺里峠(ひさりとうげ)を経由して田代向(たしろむかい)バス停へ向かう。時刻は午後2時8分。

 

標準コースタイムではバス停まで1時間40分かかる(休憩時間を含めず)。バスの時刻は3時40分。その次は4時50分。もしも逃してしまったら田代向バス停で1時間以上もボーっと待っていられない。そんなことをしたら体が冷え切ってしまう。とにかく、急ぐ。

 

 

3.高松山から第六天古道・虫沢古道を田代向へ

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