まちへ、森へ。

保土ヶ谷宿から井土ヶ谷へ分水嶺越え、古道金沢みちを歩く

2.清水ケ丘公園と大原隧道

 

1.保土ヶ谷宿・金沢横丁から「いわな坂」はこちら

 

 

清水ケ丘公園公園の南側入口。こちらは古道「金沢道(かなさわみち)」に面している。

 

清水ケ丘公園の開園は昭和58年(1983)。南区最大となるおよそ9ヘクタール(100m四方×9)の面積を持つ運動公園。

ウェブで閲覧できる昭和30年代の横浜市三千分一地形図を見ると現在の公園野球場の辺りは横浜国大グラウンド、その他は大原耕地と呼ばれる里山が広がっていた。公園に隣接する横浜清陵高校(旧清水ケ丘高校)は昭和49年(1974)に保土ケ谷区常盤台に移転する前の横浜国立大学経済学部(戦前期の旧制横浜高等商業学校)。
清水ケ丘では首都高神奈川3号狩場線の建設に伴う調査の時に縄文・弥生時代のいくつかの塚や古墳が発掘されている。

 

 

 

南側入口のすぐ側は公園のシンボルツリーが立つ「見晴らし台」。

 

 

 

 

 

 

 

「見晴らし台」とシンボルツリーの「エノキの木」。

 

 

 

上大岡(かみおおおか。港南区)の超高層ビルが見える。

 

 

 

ランドマークタワーは頭が見える。

 

 

 

すっくとそびえる、エノキの木。

 

 

 

絵になるその姿は横浜岡村(磯子区)出身のデュオ「ゆず」がジャケットやプロモーションビデオに用いたこともあって「ゆずの木」とも呼ばれる。

 

 

 

そう、柚子でなくとも「ゆずの木」なのだ。

 

 

 

「見晴らし台」から公園の下を貫く大原隧道を観に行く。

 

画像奥を左右に走る古道「かなさわみち」。手前の分岐右手の道は旧来からの里道にほぼ重なる。大原隧道へはそちらを通っていくことにする。

 

 

 

 

 

 

 

地域の共同墓地がふっと現れたりするあたりは、古くから開かれていた里道らしさを感じる。

 

 

 

左折して登っていく。

 

 

 

 

 

 

 

里道は首都高狩場線で途切れる。

 

 

 

狩場線のコンクリートアーチ橋。高速道路開通に併せて付けられた長い階段を降りていく。

 

 

 

降りたところは南太田二丁目フレンド公園。

 

 

 

アーチ橋をくぐっていく。

 

 

 

橋の下には水が湧いている。案内板には「ここの水は水道水ではなく清水です。飲用には適さないものです」とある。

 

 

 

獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん)。

 

全国の先頭を切って横浜に近代水道が敷設された明治20年(1887)以降、水道水を数十軒単位ごとに井戸感覚で利用するために旧市内各所にイギリスから輸入された共用栓が設置された。こちらは当時のものが狩場線の工事後に設置されたのであろうが、実際に獅子の口から水が出ているのがいい。

ヨーロッパでは噴水やら水場やらでライオンの口から水が出るが、日本では神社の手水などで龍の口から水が出る。文化ごとに水の守護神が異なるわけだが、日本で共用栓が製造されるようになるとライオン(獅子頭)は龍(龍頭)に変わり「龍頭共用栓」となった。これがいつしか「蛇体鉄柱式共用栓」と呼ばれるようになったのだが、龍が蛇に取って代わられた理由には諸説あるようだ。

 

 

 

大原隧道へ。

 

 

 

大原隧道の南太田坑門。

 

この小さなトンネルは関東大震災(大正12・1923)後の昭和3年(1928)、蒔田(まいた)・磯子(いそご)方面に西谷(にしや)浄水場からの水道管(蒔田磯子線)を敷設するために開削された水道用トンネル。元々は水道専用だったが戦時中は防空壕としても活用され、現在は人や自転車(降りて通行)も通ることができるように整備されている。

 

 

 

「大原隧道」のプレート。
紫褐色の焼過煉瓦(やきすぎレンガ。文字通り高温で焼かれた吸水性の少ないレンガ)はレンガの長手(ながて)と小口(こぐち)を交互に見せるように積む「フランス積み」で積まれている。この頃は既にイギリス積み(長手を並べた段と小口を並べた段を交互に重ねていく)が主流であったので、そこには設計者のデザインに対するこだわりが感じられる。

 

 

 

アーチや装飾柱の部分は花崗岩。装飾柱は古典主義建築に見られるトスカナ式の柱頭デザインが採用された。総じて戦前期におけるデザイン性の極めて高い土木遺産となっている。

 

 

 

トンネル入口。トンネルの延長は254m。

 

 

 

内部と路面は平成6年(1994)にプロムナードとして整備された際、改修されている。

 

 

 

清水ケ丘坑門。

 

 

 

トンネルの脇は清水ケ丘公園の北側入口。

 

大原隧道を観たのであれば、同様のデザインが採用された兄弟トンネルの東隧道(あずまずいどう。保土ケ谷区岩井町)も観ておかないわけにはいかない。

 

 

 

足を延ばして東隧道へ。バス通りに出て左折、道なりに進んでいく。

 

 

 

歩くこと10分足らず、聖隷横浜病院まえを過ぎると二又の道の向こうにトンネルが見える。

 

 

 

東隧道。こちらは昭和5年(1930)築。当初から水道と道路の併用トンネルとして建設されたため大原隧道よりも大きい。延長はおよそ169m。
鉄道建設から始まった我が国のトンネル建設史において、モータリゼーションの発展に伴う本格的な道路トンネルとしては山手隧道(中区)などとともに初期のものといわれる。

 

トンネルの向こうは保土ケ谷駅東口。ここを抜けると今回のまち歩きの振出しに戻る。
大原隧道に戻り、清水ケ丘公園へ。

 

 

 

北側入口から登っていくと目の前に広がる、自由広場。

 

 

 

大きな芝生がうねるように広がっている。

 

 

 

運動広場(軟式野球場)。

 

 

 

屋内プール。

 

 

 

子供の遊び場。

 

 

 

首都高狩場線をまたぐ公園東橋。

 

 

 

反対側は人工地盤の多目的広場・花壇と体育館。

 

 

 

見晴らし台まで戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

公園の南側入口から、再び金沢道へ。

 

 

3.南太田・井土ヶ谷界隈あるき

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