平成29年(2017)の6月中旬、花菖蒲、紫陽花の季節を迎えた生田緑地(小田急・向ヶ丘遊園駅より徒歩13分)を歩く。
ビジターセンター近くのしょうぶ園から起伏のある丘陵を登っては下り、を繰り返して枡形山(ますがたやま。枡形城址)山頂へ。午後は緑地内に設けられた古民家の博物館となる日本民家園を巡っていく。
生田緑地・桝形城址
生田緑地・枡形城址(川崎市多摩区)は面積およそ50ヘクタールの広大な緑地。谷戸の起伏は思いのほか大きい。谷戸の奥にはホタルも発生する。枡形山には平安〜鎌倉期の坂東平氏・稲毛氏の居館、山城があった。山頂の展望台からは各方面の超高層ビルの展望が得られる。
川崎市多摩区・生田緑地(いくたりょくち)東口ビジターセンター。
案内図。
生田緑地は広さ50ヘクタール(100m四方×50)あまり。都市計画区域を含めた広さはおよそ180ヘクタールとされるが、これはゴルフ場や向ケ丘遊園跡地(生田緑地ばら苑、藤子・F・不二雄ミュージアムのエリア)を含めたもの。
奥の池からしょうぶ園へと下ってきた谷戸(やと)はやがて水路が二ヶ領用水(二ヶ領本川)へと合流していく。
二ヶ領用水(にかりょう ようすい)は江戸時代初期の慶長16年(1611)に築かれた農業用水路。多摩川の上河原堰(多摩区布田・たまく ふだ)から取水した水路は途中で五反田川(ごたんだがわ。多摩川支流)を併せ、平瀬川(多摩川支流)へ合流。
合流点付近から久地円筒分水(くじ えんとうぶんすい。高津区久地)に流入した水は四方向へ分水された。本流となる堀(川崎掘)は幸区鹿島田(さいわいく かしまだ)付近まで続き、さらに幾つかの堀に分かれて流域の耕地を潤した。
他方、ホタルの里の谷戸は五反田川へと合流していく。
ビジターセンターのすぐ先に広がる、しょうぶ園。
訪れたのは6月17日であるが、日当たりのよい手前側は花のピークを過ぎてしまった。生田緑地の菖蒲園は開花し始めが他所と比べるとやや早く、6月上旬のうちに見頃となる。
木陰のハナショウブは見頃。
奥のハナショウブも見頃。
奥へと進む。
中央広場。
広場に展示されている、蒸気機関車「D51(デゴイチ)」。
「あじさい山」へ。
アジサイは五分咲き。
園路を上がり、「つつじ山」へ。
ツツジ山を抜けていく。
フェンスの向こうは「川崎国際生田緑地ゴルフ場」。
尾根上の広場。
梅園の脇を抜けて「奥の池」へと下りていく。
そのまま下へ。
梅園。
谷戸の底に「奥の池」。
池の畔に建つ、「ローム斜面崩壊実験事故慰霊」の碑。
関東ローム層の崖崩れの仕組みを解析すべく、昭和46年(1971)科学技術庁を中心に通産省、自治省、建設省(いずれも当時)の研究機関により人工崩壊実験がこの地(岡本太郎美術館の建つあたり)で行われた。当時は南関東の各地で大規模造成工事が行われていた時代。
その際、想定外の大崩落が発生し実験関係者と報道関係者の計15名が生き埋めになって亡くなるという痛ましい事故が発生した。
「奥の池」周辺はメタセコイア(落葉針葉樹)の林。谷戸の縁からは湧水(谷戸の絞り水)が滲み出ている。奥の階段の上は岡本太郎美術館。
かなりの高木に育ったメタセコイア。
谷戸の反対斜面に付けられた木製の階段(約210段)を上っていく。
「見晴らしデッキ」から美術館を見下ろす。
緑の深い、生田の森。
伝統工芸館、日本民家園西門。
民家園西門と民家園「船越の舞台」を繋ぐ橋の下をくぐる。
尾根の舗装道に上がった。東口ビジターセンターと西口サテライトをつなぐこの道、尾根伝いに東へ進めば枡形山(ますがたやま)山頂。
西口側は専修大学生田キャンパス。
枡形山方面へ少し進むと「ホタルの国」への降り口。
鑑賞ルールの掲示板。ホタルを写真・ビデオに撮影することは禁止されている。
蛍は非常にデリケートな昆虫のため、そばに自分より強い光があると発光しなくなってしまう。フラッシュの発光はもちろんのこと、デジカメやスマホの液晶画面の光でもホタルにとっては強すぎる。そもそもフラッシュを発光させてしまうと、暗闇に浮かぶ微かな光は打ち消され、ライトで照らした夜の藪(やぶ)が写るに過ぎない。
液晶を光らせずにファインダーを覗きこむタイプのカメラを利用して露出やシャッター速度を調整した夜景モードで撮影しようにも、手持ちでは画像がぶれる(手振れ補正くらいでは役に立たない)ため、ホタルのか細い光を捉えることはまず不可能。かといって三脚で狭い木道を占拠すれば鑑賞する人たちの間でトラブルにもなりかねないので、撮影禁止の措置は止むを得ない。
谷戸へと下りていく。
谷戸の底から仰ぎ見る、青空。
「ホタルの国」を巡る木道へ。
木道が渡された、ハンノキ林。
ハンノキは谷戸の湿地で群落をつくる。
枡形山の尾根への階段を右に分ける。
ホタルの里の草地。
枡形山へ。
「ホタルの里」案内板。
この谷戸は五反田川(多摩川支流)へと合流していく。なお向ヶ丘遊園駅方面へ少し行くと、谷戸を挟んで稲毛山廣福寺と北野天神社が建つ。
戸隠不動尊跡地・枡形山方面へ。
戸隠不動尊跡地。
案内板。
お堂が建ったのは昭和五年((1930)。信州戸隠にゆかりのある不動明王が安置されていたが、平成五年(1993)に焼失した。
山頂へ。
谷戸へ下りていく分岐はホタル鑑賞シーズンの夜間は通行禁止。ライトが無いと足元が危険であるし、逆にライトを点けると蛍が発光しなくなってしまう。
木段を登っていく。
枡形山(ますがたやま。84m)山頂に到着。
展望台そばに建つ、枡形城址の碑。
枡形城(ますがたじょう)は平安末期〜鎌倉初期の武将、稲毛三郎重成(いなげさぶろうしげなり)の居城。この時代から戦国時代後期まで、城といえば山や丘陵を巧みに利用した土の城であった。
山頂部は合戦時に将兵が滞留する区画であり、平時の居館は山裾に置かれた。枡形城の場合、重成の居館「稲毛館(いなげやかた)」は現在の廣福寺(こうふくじ)に置かれていたとされる。
稲毛氏は武蔵国を本拠とした武士団・秩父平氏(ちちぶへいし)の一族。
重成の父である秩父有重(ちちぶありしげ)は小山田荘(おやまだしょう。町田市)を支配地とし小山田氏を名乗った。その息子である三郎重成が稲毛荘(いなげしょう。川崎市北部)を支配地としたことで稲毛氏を名乗ることとなる。
なお弟の四郎重朝(しろうしげとも)は榛谷荘(はんがやしょう。横浜市保土ケ谷区・旭区)を支配地としたことで榛谷氏を名乗った。榛谷荘は伊勢神宮に寄進された荘園なので榛谷御厨(はんがやみくりや)と呼ばれる。いとこにあたる畠山重忠(はたけやましげただ)は重忠の父である重能(しげよし)の代から畠山荘(埼玉県深谷市)を支配地とした。
頼朝の御家人として仕えた重成は武芸の達人であった。初代執権北条時政(ときまさ)の子である北条政子・義時(よしとき。第二代執権)姉弟の妹を妻に迎えており、頼朝の信任も厚かったようだ。
しかし頼朝亡き後の元久二年(1205)、畠山重忠謀殺(二俣川・鶴ヶ峰合戦)の際に事を謀った牧の方(まきのかた。時政の後妻)に加担したとされて弟の重朝ともども攻め滅ぼされてしまった。
参考「中世武蔵人物列伝 時代を動かした武士とその周辺」埼玉県立歴史資料館編。
案内図に見る、多摩川右岸(うがん。河口に向かって右側)の城。鎌倉時代にはこれらの城は鎌倉防衛の前線となり、多摩川は天然の堀の役目を果たした。
小田急・向ヶ丘遊園駅から枡形山への登路案内図。
枡形山展望台。
展望台に上がる階段の途中には枡形山の歴史を解説したパネルが数枚掲示されている。
枡形城には土塁(どるい)・空堀(からぼり)の遺構は確認されていない。遺構としては、およそ100m四方の山頂部に通じる尾根筋に堀切(ほりきり)が確認されている。
戦国時代の記録としては、戦国時代初期の永正元年(1504)伊勢宗瑞(いせそうずい。北条早雲)が「立河原(立川)の合戦」にあたりここに布陣したとか、永禄12年(1569)の武田信玄による小田原侵攻(鉢形城・滝山城の合戦〜小田原城包囲戦〜三増合戦)の途上で北条方の豪族である横山弘成が籠城したという記録がある。
展望台からの眺め。まずは南。
南の展望図。
江田(えだ。荏田)・鶴ヶ峰(つるがみね)方面。そちらは「鎌倉街道中の道(なかのみち)」が延びていく方向になる。
荏田の先の鶴ヶ峰では、本町田あたりで「上の道(かみのみち)」から分かれて「中の道」へと連絡していく連絡路が合流していた。畠山重忠と北条方との間で起こった二俣川・鶴ヶ峰合戦では、重忠は菅谷館(すがややかた。埼玉県嵐山町)を出発して「上の道」を鎌倉に向かう。そして途中から「中の道」への連絡路をたどり鶴ヶ峰に至ったところで北条勢の大軍に遭遇。謀られたことを悟ったが、武人の名誉に賭けてそのまま北条勢と合戦になった。
相鉄線・鶴ヶ峰駅前のタワー(15.2q)。
横浜方面。
ランドマークタワー(18.6q)。
東。
ビル群が比較的近くに見える。
東の展望図。
東急東横線・JR横須賀線、武蔵小杉駅周辺(およそ9.7q)。
東急田園都市線・大井町線、二子玉川(ふたこたまがわ)駅周辺(およそ6.3q)。
中央やや右に大きく見えるのは田園都市線・用賀(ようが)駅前の世田谷ビジネススクエアタワー(6.7q)。そのすぐ右奥にJR山手線・恵比寿駅前の恵比寿ガーデンプレイス(14.2q)。左には芝公園の東京タワー(17.5q)。
押上(おしあげ)のスカイツリー(25.1q)。
新宿副都心(都庁まで14.7q)。
北の展望図。
右手に小田急・向ヶ丘遊園駅前のタワー。
京王線・国領(こくりょう)駅前のタワー(4.4q)。白い煙突はクリーンプラザふじみ(7.8q)。その右奥はJR中央線・三鷹駅前のタワー(10.4q)。
西。
よみうりランド方面。遠くの山並みは霞んで見えない。
専修大学。
西の展望図。
大山(35.4q)はかろうじて見える。
山頂広場の冠木門(かぶきもん)から東口ビジターセンターへ下りる。
門を出たら塀に沿って進む。
関東ローム層の地層。
かなりクッキリした縞模様。こげ茶色の筋も見える。
地層の模式図。火山灰の降灰が積もってできた赤土のローム層は非常に分厚い。
東口ビジターセンターまで下りたら、日本民家園へ。
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