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アメリカ山公園・港の見える丘公園から山手西洋館へ


山手の散策は谷戸坂(やとざか)なり港の見える丘公園なりを上っていくのが情緒がある。
一方で、みなとみらい線元町・中華街駅からエレベーターで直結の「アメリカ山公園」が完成してからは、高低差が苦にならないアクセスも可能になった。

お盆休みの頃、みなとみらい線元町中華街駅を出発点にアメリカ山公園を経て、あるいは港の見える丘公園を経て、山手本通り(やまてほんどおり)を歩く。なお横浜市緑の協会が管理する西洋館については、常時内部を見学できる(休館日を除く)。


まずはアメリカ山ルートを紹介。



6番出口からアメリカ山公園まではエレベーターかエスカレーターで上がっていく。




エスカレーター屋上出口。
山手に向かって緩やかな傾斜の公園になっている。




屋上の案内板。 案内図拡大版 




振り返ればマリンタワー。




アメリカ山のいわれが記された案内板。 案内図拡大版

安政6年(1859)の開港から数年後、山手一帯が居留地として外国人に開放された。




明治21年(1889)の、横浜地図「YOKOHAMA The Japan Directory」。 拡大版

明治20年代に行われた第一次築港(拡張)工事による大さん橋完成の直前期の図。
明治の頃は山手が外国人に「ブラフ」と呼ばれていた時代。ここに掲げられている地図は山手界隈の補足が詳細。




アメリカ山から開港場の居留地(関内)を見下ろした彩色写真。

堀川(中村川を延長した掘割)に沿った左手に、ヘボン博士邸が見られる。ヘボン博士は開港直後に来日、当初は神奈川の成仏寺を宿舎とし宗興寺(そうこうじ)で施療所を開設していた。




公園を出て、右手に外国人墓地を見ながらゆるやかな坂を上ってゆく。




坂の左手には横浜地方気象台。
昭和2年(1927)築。山手では異色のモダニズム(近代主義)を主とした建築は、数少ない戦前からの気象台庁舎として今でも現役で活用されている。




擁壁の石積みはブラフ積(づみ)。長方形の石の、長手(ながて。長辺)と小口(こぐち。短辺)を交互に並べる洋式の積み方。
山手界隈の土木遺構としてよく見られる。

ここからさらに行くと、外国人墓地正門前。


一方、みなとの見える丘公園・フランス山からのアプローチも見どころは多い。




山手散策の玄関口、元町中華街駅5番出口を出てすぐの、港の見える丘公園・バルタール広場。




みなとの見える丘公園案内板。  案内図拡大版  案内図拡大版その2




パビリオン・バルタール。この奥が、フランス山。









バルタール広場から、樹林の中の木製階段をたどって一気にフランス山の尾根に登る。




フランス山のいわれが記された案内板。 拡大版 









フランス・イギリス軍隊の駐屯とともに、山手はその初期の歴史を刻んでいく。幕末期の軍隊駐屯についてはこちら




尾根上には旧フランス領事官邸の遺構。




この建物は関東大震災後の昭和5年(1930)に建てられ昭和22年(1947)に焼失した。




一階の一部分が残されている。 拡大版




下の写真が建物の全景。 拡大版

昭和初期の洋館らしい、装飾の少ない合理的なスタイルの建築。




こちらは震災で倒壊した、先代のフランス領事官邸。 拡大版

明治29年(1896)築のこの建物は、よりクラシックな印象。




フランス領事官邸遺構の傍らに建っている風車。
これは、井戸水を揚水するための風車が再現されたもの。




モデルとされたのは「ヴィラ・サクソニア(ドイツ人の邸宅)の風車」。 拡大版

ヴィラ・サクソニアは山手から本牧通りをへだてた向かいの山、本牧の西之谷町(にしのやちょう)に建っていたドイツ人貿易商の邸宅と判明している。明治時代の山手とその周辺にあった豪壮な洋館建築の姿をこの写真から垣間見ることができる。

右側の平面図には、レンガ造り井戸と風車用の基礎の遺構が示されている。フランス領事官邸遺構の少し先に、井戸の遺構がある。




風車用の基礎。上の平面図の、右下の基礎にあたる。




井戸。









遺構全般の案内板は、山の下の広場(バルタール広場)に設置されている。




フランス山を登りきった頂上は、みなとの見える丘公園の展望広場。ベイブリッジが一望できる。

このすぐそばに、イギリス館がある。ここから洋館めぐりをスタート。なお、(財)横浜市緑の協会が管理する西洋館は入館料なしで内部を見学することができる(月に一回及び年末年始の休館日あり)。




横浜市イギリス館(旧英国総領事公邸)。昭和12年(1937)築。
谷戸坂を上りきった、港の見える丘公園前の信号からすぐのところにある。




右側は一階西側に半円形に張り出したサン・ポーチ。




山手111番館(旧ラフィン邸)。大正15年(1926)築。
イギリス館の並びに建つ。
J.H.モーガン設計。波打つようなスペイン瓦の赤瓦を葺いたスパニッシュ・スタイルで玄関ポーチは屋根のないパーゴラ(藤棚)形式。




吹き抜けの広い居間。二階回廊は立ち入りが制限されている。









山手外国人墓地正門。
山手本通り沿い。
J.H.モーガン設計。左右対称の門柱・袖塀は花崗岩を積んだ重厚なもの。正門の鉄扉は戦時中に供出させられ現在のものは2代目。
この脇から横浜地方気象台を経てアメリカ山公園へ至る緩やかな下り坂となる。




レストラン「山手十番館」。明治百年祭を記念し、昭和42年(1967)開館。




開放的なベランダを二階に設けたデザイン。これは、ヨーロッパ諸国が熱帯地方に進出した際に現地の気候風土に合わせて採用したスタイル(コロニアル様式)である。日本でも当初は取り入れられたが、寒い冬には必ずしも適合しなかった。結果、関東大震災(大正12年・1923)により明治期の建物が失われて以降、山手では震災後の新たな洋館にはほとんど見られなくなった。
神奈川県下では数少ない、ベランダをめぐらせた明治期の洋館は平塚・八幡山の洋館(旧横浜ゴム平塚製造所記念館)がある。

なお、明治期の山手の洋館は横浜開港資料館(外部サイト)>閲覧室でご覧になれる資料>よこはま歴史画像集をみる>13.明治期銅版画>日本絵入商人録−横浜山手之部、で見ることができる。




山手資料館。明治42年(1909)築。昭和52年(1977)移築。
山手本通り沿い。山手十番館の敷地内に建つ、山手のランドマーク的な建物。
元は本牧(ほんもく)一丁目に建築され、昭和4年(1929)諏訪町に移築、のちに現在地に移築。管理は(株)横浜十番館であり、(財)横浜市緑の協会ではない。
半切妻屋根を組み合わせ、オレンジ色のフランス瓦が葺かれる。外壁は淡いグリーンの下見板張り。窓はよろい戸(ブラインド)つきの上げ下げ窓。




切妻の赤い妻壁には二連のアーチ窓を設け、妻飾りには中世の教会天井あたりに見られるハンマービーム(水平の梁をアーチ材で支える工法)のデザインが用いられている。明治期の洋館らしいクラシックな印象。




横浜山手聖公会。昭和6年(1931)築。
山手本通り沿い。
山手三塔(聖公会、カトリック山手教会、横浜雙葉)のひとつ。J.H.モーガン設計。関東大震災で倒壊した教会堂に代わって建てられた。
表面に大谷石を貼った、石造風の重厚な外観。鐘塔は城砦風。内部は戦災や火災でたびたび被害にあうも、修復されている。





山手234番館。昭和2年(1927)築。
山手本通り沿い、元町公園前。
外国人向け民間集合住宅として建てられた。二階バルコニーを左右対称に並ぶ円柱が支えている。









山手89−6番館(えの木てい)。昭和2年(1927)築。
山手本通り沿い、元町公園前。
一階玄関ポーチ横の、アーチ窓をあしらったベイ・ウィンドウ(張り出し窓)が特徴。この一帯に建てられた同じタイプの洋館で、完全な形で残っているのはここだけ。現在は一階が喫茶店となっている。




エリスマン邸(旧山手127−1番館)。大正15年(1926)築。平成2年(1990)移築。
元町公園内。
A.レーモンド設計。山手町内の他所から現在地に移築。
よろい戸つき上げ下げ窓、ガラス戸のサンルーム、バルコニーなどが見られる。施主のエリスマンは貿易商で、外国人墓地に埋葬されている。









ブラフ80メモリアルテラス(旧山手80番館遺構)。
元町公園内。
関東大震災で崩壊した洋館の遺構。同様の遺構は、本牧(ほんもく)の三溪園・三重塔の建つ小山の上にあった豪商・原善三郎の別荘「松風閣」跡でも見られる。




ベーリック・ホール。昭和5(1930)年築。
山手本通り沿い・元町公園隣。
J.H.モーガン設計。施主のベーリックは貿易商。戦後、セント・ジョセフ・インターナショナルスクールに寄贈され、ベーリックの名が残された。そのセントジョセフも今はない。
スパニッシュ・スタイルを基調とし、三連アーチの玄関ポーチなど様々な装飾が施されている。









バンケットルーム(宴会場)。太い梁をそのまま見せるデザインの天井。




二階プライベートルームはクローバー型の小窓があしらわれている。














玄関ホール。鋳物細工の階段手すり。




カトリック横浜司教館別館。昭和2年(1927)築。非公開。
山手本通り沿い。
切妻屋根につけられた大きなドーマー・ウィンドウ(屋根窓)が目を引く。元は外国人向けの貸家として建てられた。




カトリック山手教会聖堂。昭和8年(1933)築。
山手本通り沿い。
山手三塔のひとつ。関東大震災で倒壊した教会堂に代わって建てられた。アーチ型のステンドグラス窓、尖塔をを戴く鐘塔など、ネオ・ゴシックの意匠が用いられている。




山手公園管理事務所(旧山手68番館)。昭和9年(1934)築。昭和61年(1986)移築。
山手公園内。
震災後の外国人向け貸家のひとつ。せり出した玄関部分に半切妻の屋根が載っている。現在はテニスコートのクラブハウスとして使われている。




山手34番館。大正末期築。非公開。
山手本通り沿い。
本格的なマンサール(あるいはマンサード)屋根(腰折れ型の屋根)を持つ。玄関ポーチにはドーマー・ウィンドウを載せ、二階妻壁ともども天然スレート(玄昌石)がうろこ状に貼られている。




外交官の家(旧内田家住宅)。明治43年(1910)築。平成9年(1997)移築。
イタリア山庭園内。
J.M.ガーディナー設計。かつては東京のお屋敷町だった渋谷区南平台(なんぺいだい)に建てられていたが、内田家からの寄贈によりこの地に移築。
アメリカン・ヴィクトリアン様式を基調とし、淡いイエローの下見板張り、よろい戸つき上げ下げ窓。一階にはサンルーム、二階にベランダ、屋根にドーマー・ウィンドウ(屋根窓)が設けられている。最大の特徴である角に設けられた尖塔をもつ八角形の塔屋は、この洋館を印象深いものにしている。凝った造りは明治時代に山手にあった、震災で失われた数々の洋館を彷彿させる。













窓の外にはイタリア山庭園が見える。そのすぐ先、画面中央にはトンネルを出てすぐのJR根岸線石川町(いしかわちょう)駅のホーム屋根と首都高狩場線も見える。




ブラフ18番館(旧山手45番館。旧カトリック山手教会司祭館)。大正末期築。平成5年(1993)移築。
イタリア山庭園内。
元はカトリック山手教会に隣接して建っていた。オレンジ色のフランス瓦が葺かれた寄せ棟屋根の組み合わせ、一、二階ともよろい戸つき上げ下げ窓をあしらったベイ・ウィンドウ(張り出し窓)など、洋館らしいデザインが端的に表れている。




ベイ・ウィンドウ内部。


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